第9話 おんぶ
無事とは言い難いが、保坂さんのスニーカーを回収した後、再び下駄箱へと戻って来た。
「そう言えば、どうしてあそこにあるって知ってたんですか?」
女子トイレに向かう保坂さんの足取りに迷いはなかった。まるで最初から知っているみたいだった。
保坂さんは床に置いた、まだ濡れているスニーカーをジッと見つめながら口を開く。
「たまたま見てしまった。妖精の悪戯を」
「あくまで妖精の仕業ですか……」
人がやったとどうしても認めたくないみたいだ。
でも、隠されるところを目撃したということは、誰が隠したのか犯人を見ているはず。
それなのに先生に相談しないのはどうして。
ことを大きくしたくないのか、それとも、保坂さんにとっては取るに足らない出来事なんだろうか。
そんなことを考えているうちに、保坂さんはまだ濡れているスニーカーを履こうとする。
「まだ乾いてないので今履くと靴下が濡れますよ」
「でも履かないと翔は嫌なんでしょ。靴下が破けるって」
「なので、俺の靴を履いてください。保坂さんの足のサイズより大きいですけど、履けないことはないですから」
「翔は?」
「俺は体育館用のシューズがあるので大丈夫です」
今日の体育が体育館であるものだと思って持って来てしまった体育館用のシューズ。
少し外履きとして使っても、後で靴裏を洗えば問題はないだろう。
「翔の靴ぶかぶか。歩きにくい」
「それは、我慢してもらえると」
俺の足のサイズは二十八。保坂さんの足のサイズは二十三。彼女のスニーカーを洗っている時に靴底に書いてあった。
保坂さんが履くと、靴と言うよりサンダルのようになっている。
でも、靴下よりは遥かにマシだと思うんだけど、保坂さんからしたらどうやら嫌みたいだ。
というか既に脱いでしまっている。
そして棒立ちでこちらを見つめている。
「翔」
「はい何でしょう」
反射的にそう反応してしまった俺に、保坂さんはなぜかこちらに向けて両腕を伸ばしてきた。
「どうしたんですか」
「おんぶ」
「おんぶ……?」
「うん。おんぶ」
「そ、それはどうしてですか……?」
また保坂さんがよくわからないことを言い始めた。
「おんぶすれば、私は靴下のまま帰れる。翔は自分の靴を履いて帰れる。ついでに歩き疲れなくて済む。一石二鳥」
「一石二鳥なんですかね」
「一石二鳥」
言い切る保坂さん。
歩き疲れなくて済む、のところが本音のような気がするのは気のせいだろうか。
「おんぶ」
やる気のない垂れた目で見つめてくる保坂さん。
別におんぶをするのは構わないのだけど、問題は保坂さんの家までの距離だ。
歩いて帰れる距離なら何とか行けると思うけど、電車やバスといった公共交通機関を利用するほど遠いなら流石におんぶしては体力的に難しい。というかおんぶしたまま交通機関なんて利用できない。
「ちなみに家ってどこらへんなんですか」
「すぐそこ。少し歩けば着く」
「それは本当なんですよね」
「どうして疑う?」
「いや、その……」
保坂さんのことだからとりあえず疑ってしまう。
「疑うのは良くないと思う」
「そうですよね……わかりました。おんぶして帰りましょう。もしけっこう遠かったら途中で俺の靴履いてもらいますけど良いですか?」
「うん。すぐそこだし、ノープロブレム」
「では」
俺は保坂さんに背を向け、その場にしゃがみ込んだ。
すると、両肩に保坂さんの細い腕が乗り、そして、背中に熱を感じた。
「いいよ」
「わかりました。立ちますね」
保坂さんの両足を抱え、俺は立ち上がる。
軽っ。
背中に保坂さんが乗っているはずなのに、あまり重さを感じない。
全体的に華奢で細身な保坂さん。でもまさかここまで軽いとは思わなかった。逆に軽すぎてちゃんと栄養取れているのか心配になる。
「翔」
保坂さんは突然、俺の半袖シャツの胸ポケットにスマホを入れてきた。
「あの、荷物入れじゃないんですけど……」
「違う。私に代わって家まで案内してくれる」
「どういう──」
そこまで言いかけた時、胸ポケットに入れられた保坂さんのスマホから声が発した。
『真っ直ぐです』
「音声案内ですか……」
「うん。家まで案内。その間……寝る」
「え、寝るんですか」
「うん。お休み。着いたら起こして」
「あ、ちょっと」
保坂さんの顔が俺の右肩に寄りかかった。
小さな吐息が聞こえる。
「保坂さん?」
そう呼んでみるけど、保坂さんから反応は返ってこなかった。
さすがにまだ眠ってはないと思うけど、家に着くまで寝るという頑なな意思を感じた。
「もし道がわからなくなったら起こしますからね」
「ん……」
それは返事と言うにはあまりにも小さすぎた。
でも何となく、わかった、と言ったような気がした。
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