第31話 絶対受け止めるから
お母さんから転校のことを聞かされた。
転校する理由を話そうとするお母さんの眉は少し険しくて、どこか悲しそうだった。
だから私は、どこの学校? と話を逸らした。
だって、理由なんて聞かなくてもわかっているから。
私が周りと違って、変だから。
だから周りと反りが合わなくて、毎日のようにイジメというものを受けている。
お母さんとお父さんは私のことを考えて転校という手段を選んだ。
でも、違う学校に行っても、きっと私は誰とも合わなくて、同じことを繰り返すと思う。
周りと合わせようとはしてる。けど、周りに合わせるって何をしたら合わたことになる?
喋らないこと?
椅子に座ったまま動かないこと?
何をしても変だと言われる。
関わらないようにしていても、向こうから関わってくる。
せっかく距離を置いているのに関わってきて、気持ち悪いとか不気味とか言われる。
周りに合わせるのって本当に難しい。
だって、人それぞれ求めている反応や行動が違うから。それを的確に取捨選択する能力が必要になる。
私にはそれがどうしても出来ない。他人が求めてる正解が一つもわからないから。
お母さんから転校のことを聞かされた時、同時にこの街から引っ越すことも伝えられた。
この街に特に思い入れはない。
そう思っていたのだけど、気がつけばスケッチブックと筆箱を鞄の中に入れ、近くの公園へと向かっていた。
寂しいとか、名残惜しいとかそういう感情はない。
ただ、もう戻って来ることはないだろうこの街の風景を、このスケッチブックに記録したいと思った。
学校でもよかったけど、坂を登らないと行けない。あと少し遠い。それに今日は土曜日だから学校は閉まってる。だから近くの公園にやって来た。
公園には同じ小学校の子たちが遊んでいた。
主に男の子が多い。
サッカーをしていたり、野球をしていたり。
「うわ、保坂来てんぞ」
「おい誰か追い払えよ」
「嫌だよ。あんな気持ち悪いやつと話したくねぇ」
「私も無理〜」
「私も〜」
公園に入った瞬間、あんまり歓迎されてない雰囲気を感じた。
それでも私にはやりたいことがある。
私の見てる最後の景色を、このスケッチブックに描き残すこと。
でも、あんまり眺めが良くない。
これだとただの公園。どこにでもある普通の公園と変わらない。
この街の公園だとわかる何かが欲しいと思った。
辺りをぐるりと見回していると、ベンチに座った男の子たちがお菓子を食べていた。
……なるほど。
駄菓子屋ならこの街にあるシンボル的存在。高いところに登ればここからでも見える。
公園から見える駄菓子屋という構図が私の中ではしっくりときた。この街の公園だとよくわかる。
そうとなれば、私は公園内で一番高い場所を探した。
滑り台は高いけど、知らない男の子たちが遊んでるからゆっくり描けない。
ブランコの上はどうだろうと思ったけど、そこも誰か使ってる。
その時、私は見つけた。
この公園に並び立つ大きな木々。その中で一番背の高い木を。
私は鞄を肩に掛け、その木に登った。
表面がでこぼこしていたお陰でそれが足場になってて登りやすかった。
あっという間に高いところまで登り、太い枝の上にゆっくりとお尻をつけて座った。
その時、芋虫が膝の上にぽとっと落ちてきた。
膝の上でのそのそと動く芋虫。なんだか可愛いなと思って、開いたスケッチブックの上に芋虫を乗せてみた。
人差し指でツンツンと突いていると、芋虫が動かなくなってしまった。
もしかしたら死んだフリをしているのかも。
ツンツンするのを止めても全く動かないので、芋虫を優しく掴んで隣にそっと置いた。
「驚かせてごめんね」
一応謝ってみたけど、動く気配はしない。
「まぁ、いっか」
そのうち動くと思う。
スケッチブックを膝の上に置いたまま、鞄から筆箱を取り出す。
筆箱のチャックを開けようとしたら、どこかに引っかかっているみたいで、なかなか開かなかった。
少し強めに、グッ、と強引に引っ張ったら、引っかかっていたのが抜けたみたいで、チャックが開いた。
でも、強めに引っ張ったせいで、勢いあまって筆箱の中身を下にばら撒いてしまった。
「…………」
私の手には空っぽになってしまった筆箱だけが握られている。
どうしよう。
思ったより高いところまで登ったせいで、降り方がわからなくなってしまった。
上手く着地できれば、この高さから飛び降りても問題はない。だけど、どうしてか体が飛び降りようとしてくれない。
上手く着地できる自信はあるのに、体が動いてくれない。
これって、恐怖心?
でも、怖いとは思ってない。飛び降りようとすればいつでも飛び降りれる。そんな気持ち。
ただ、体が動かない。
「…………」
困った。
これだと鉛筆や消しゴムを取りに行けない。
地面に落ちた文房具をずっと見つめていても何も思いつかない。
ふと顔を上げてみたら、公園の外に立った男の子二人と目が合った。
顔が少し似てる。兄弟?
兄弟だとしたら、長髪の人が兄で、その隣の短髪の人が弟かな。
長髪の人、髪が長いせいなのか少し老けて見える。それに背が高い。見た目で判断するなら、隣の短髪の人と比べて一番兄の素質を感じる。
「…………」
そうだ。
降りられないなら、あの人たちに取ってもらおう。
そう妙案を思いついた時だった。
短髪の弟っぽい人がこっちに向かって来た。
公園に入って来て、真っ直ぐに私が今座ってる木の下までやって来た。
近くで見ると改めて弟っぽいと思った。もし逆だったら面白いな、なんて考えていると、話しかけてくる。
「降りられないの?」
その問いに対して私は首を縦に振るしかなかった。事実、私は飛び降りたいけど、体が飛び降りようとしたくないみたいで、動いてくれない。
「落とした」
私が草むらに落ちた文房具たちを指差すと、それに釣られて男の子は顔を下に向けた。
そして散らばった文房具たちを徐に拾い集めると、それを私に見せてくる。
「これ?」
「うん、それ。これに入れて投げて」
私は空っぽの筆箱を男の子の上に落とした。
男の子はそれを掴むと「わかった」と言って文房具たちを筆箱の中にしまい、チャックを閉める。
「行くよー」
「うん」
頷くと、男の子が筆箱を私の右手に目掛けて優しく投げた。
綺麗に真っ直ぐ飛んできた筆箱を私は難なく掴んだ。
「ありがとう。名前は?」
「名前? 河岡翔。今日引っ越して来て、もしかして佐伯小に通ってる?」
「翔……いい名前。うん、通ってる」
佐伯小学校は、今私が通っている学校で、もうすぐで居なくなる学校。
転校することは別に言わなくていいと思った。どうせもう会うことはないから。
それよりも、駄菓子屋も良いと思ったけど、もっと良い被写体を見つけた。
この街に来たばかりの新しい顔。
そして、この街から去ることになる私。
「……うん、これにしよう」
駄菓子屋が見えるここから風景を描くよりも、もっと良い構図を思いついた。
「翔、今から飛び降りるから受け止めて」
「え、え? 受け止める!?」
「うん」
飛び降りるとは言ったけど、やっぱり体が動かない。
とりあえずスケッチブックと筆箱を鞄にしまって、それを落とした。
すると翔が俊敏に動いて私の鞄を受け止めてくれた。
「お、落とすなら言ってよ」
「別にそれは受け止めなくてもよかった」
「でも、俺からしたらこれが君の大切な物に見えたから」
「大切な物……」
私はあれを大切だとは思ったことがない。
翔の認識が一般的なんだろう。私の認識はいつもズレてる。
一般的な認識を少しずつ覚えて、認識の差異を調整しないと、また転校した先でも同じことになる。
そういう意味では、翔とはもっと早めに会いたかった。
「翔、受け止めてくれる?」
そう問いかけると、翔は両手を広げ、自信満々に答える。
「任せて! 絶対受け止めるから!」
不思議だった。
何の根拠もない自信なのに、翔の自信に満ち溢れた顔を見ているとさっきまで動かなかった体が少しずつ力が入るようになった。
「飛ぶよ?」
「いつでもどうぞ!」
その自信はどこから来てるんだろう。
前にも似たような経験があるから?
わからないけど、一つわかることは、安心感に満ち溢れているということだけ。
「行くよ」
私はそう合図して、枝に座ったまま体を倒して飛び降りた。
それは一瞬だった。
一瞬強い風が体全体を駆け抜け、気がついた時には翔の腕の中だった。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
「大丈夫。ありがとう」
翔は私からそっと離れると安堵の表情を浮かべた。
「良かった〜。実はちょっと、ちゃんと受け止めれるか不安だったんだよね」
「そう。でも、受け止めてくれた。お陰で降りられた」
うーん……この胸がドクドクしてるのは何なんだろう。抑えてみると心臓が激しく脈打ってるのがわかる。もしかして破裂する予兆?
「どういたしまして。じゃあ俺は戻るね」
「待って」
「どうしたの?」
「そこに、こっちに向いて立ってて」
「え、こ、こう?」
「うん。そのまま動かないで」
私は草むらの上に座って、鞄からスケッチブックを取り出して膝の上に置いた。それから筆箱から鉛筆と消しゴムを取り出し、こっちを見つめて直立している翔をスケッチブックに描き写した。
少し表情がぎこちない気がしたけど、これはこれで自然でいいと思った。
変に着飾ってない、この街に来たばかりの初々しさが感じられる。
そして、その隣には……。
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