第35話 眠れる美術家

 放課後、俺は保坂さんに言われた通りホームルームが終わった後、空き教室へ向かった。


「あれ、河岡くんどこ行くの? 美術室そっちじゃないよ?」


 渡り廊下を歩いていたら、後ろから徳永さんに呼び止められた。

 空き教室があるのは、渡り廊下の先にある校舎の二階で、美術室とは反対方向にある。

 

「保坂さんに呼ばれてて。今日は部活休むよ」

「あ、そうなんだ……せっかく練習に付き合おうと思ってたんだけどな」


 徳永さんは不満そうに頬を膨らませた。

 これが俗に言うあざと可愛いというやつだ。


「また今度お願い。時間があればでいいからさ」

「それじゃあ明日にする。明日は私が予約したからね、どこにも行かないでよ」

「どこにも行かないよ。というか徳永さんは良いの?」


 徳永さんの時間を俺に使ってくれるのは嬉しいけど、身を削ってまではしてほしくない。


「前にも言ったけど、コンクール用の絵はもう先生に提出したから、しばらくはやることないんだよ。暇してるから河岡くんのお手伝いさせて」

「そっか、それならお言葉に甘えよっかな」


 ほんと徳永さんは優しいな。

 暇してる、とか、お手伝いさせて、とか、俺が気を遣わないように気を遣ってくれてるんだな。


 ここまで言われて断るのは相手に失礼だ。それに、絵の上手い人に教わる機会を無下にはしたくない。


「甘えていいんだよ」


 ニッコリ微笑む徳永さん。

 ついつい甘えたくなるような、同級生とは思えないほどの母性を感じた。


「また明日ね!」

「また明日」


 徳永さんはそう言って笑顔で手を振りながら美術室へと向かった。


「さてと、もう保坂さんは待ってるだろうな」

 

 今日も教室に居なかったし、ホームルームとか関係ない人だからな。

 なんならチャイムが鳴っても鳴らなくても自由に行動できる。

 チャイムが鳴るまで教室から出られない俺たちとは住む世界が違う。世界的な芸術家って……ちょっと調べてみたら本当だった。

 知らない外国人と一緒に写真を撮ってる保坂さんがいっぱい出てきた。


「ほんと、住む世界が違いすぎるな……」


 改めて実感した。

 というか、何でこの学校に通ってるのか不思議なくらいだ。

 そんな人と昔会ってるんだよね……どこで会ったのか全く思い出せないけど。

 保坂さんは覚えててくれてるのに、俺が忘れてるなんてダメだろ。でも思い出せないんだよな。


 小学四年生の時に会ってるみたいなんだけど、あの頃は色々あったからな。

 親の都合で引っ越して、新しい学校に慣れるか不安だった。なんかヤバい奴がいるって噂があったから。そう言えば、そんな人居なかったな。


「……うーん」


 強いて言うなら、佐田くんがけっこうヤンチャしてたくらい。でも、ヤバい奴って感じはしなかったな。俺の見てないところでヤバかったら知らないけど。


「もしかして……」


 ヤバい奴って保坂さんのことだったのかな。いや、それはないか。同じ学校だったら関わることも多いだろうし、忘れることなんてない。

 それに保坂さんみたいな個性的な人、絶対覚えてる。


「これ、思い出せるのかな……?」


 思い出そうとすればするほど、遠のいて行く感じがしてる。

 もし仮に保坂さんから出会った経緯を説明されても、正直ピンと来ない可能性の方が高い。


 とりあえず、空き教室に着いたことだし、一旦保留ということで。


 教室のドアには内からカーテンがかかっていて、中の様子は伺えない。

 でも、不思議と中から人の気配を感じた。


「今日は一体何をさせられるのかな……」


 そう小さく呟いて、教室のドアをそっと開けた。カーテンを少し避けて中を見ると、机に突っ伏して寝ている保坂さんが目に入った。


「待たせちゃったかな」


 足音も気にせず近づいても、彼女は全く起きる気配がない。どうしよう、起こすべきか、それともそっとしておくべきか……。


 気持ちよさそうに寝ているからな……それにしても、なんて綺麗な寝顔なんだろう。もし俺に絵の才能があったなら、この寝顔をデッサンしたかったんだけど、残念ながら絵はド下手だしな。


「うーん……」


 このまま待っててもいいけど、起きる気配がないからな。いつになることやら。


「……起こすべきか、そっとしておくべきか……」


 小声で呟きながら、俺は迷っていた。


 まぁでも、ずっと寝たままだと保坂さんも困るだろうし、早めに起こしたほうがいいよな。そう決意して、俺は彼女の肩にそっと手を伸ばした。


「保坂さん、そろそろ……」


 その瞬間だった。


「……んん……」


 俺の気配でも感じ取ったのか、保坂さんが目を薄く開けて、こちらをぼんやりと見つめてきた。まだ寝ぼけているようで、表情もほとんど動かない。だけど、その視線には少しだけ俺を見つめる意識が宿っている。


「あ、お、おはよう……」

「うぅ、ふわぁ……おはよう」


 保坂さんは小さく欠伸した後、少しだけ身体を起こして、正面にある黒板の上にかかった丸い時計を見つめた。

 机に突っ伏していたからか、髪が少し乱れている。けどそれが余計に、普段大人びた雰囲気を纏う彼女が一瞬だけ無防備な姿を見せたようでドキッとした。


「よく寝た」

「いつから寝てたんですか?」

「昼休憩が終わった後くらい」

「だいぶ寝てましたね……」


 昼休憩の後だと、だいたい二時間以上寝てたことになるのか。昼寝ってレベルじゃないな。もう完全に睡眠だ。


「寝起きのところ申し訳ないんですけど、今日は何をするんですか?」


 そう訊ねると、保坂さんはまだ眠たいのか軽く欠伸をした後、机の中から未開封の石粉粘土せきふんねんどを取り出した。


「これで翔のフィギュアを作る」

「それはまたどうしてなんですか?」

「紙だと限界がある。翔の体を完璧に再現するにはこっちの方がいいと思った」

「そういうこと、ですか」


 確かに、細かい部分を表現するには限界がある。その点、石粉粘土だと細部まで作り込むことができる。

 ただそうなると、等身大で作るのは相当な時間と労力がかかるわけで。


「まさか等身大じゃないですよね」

「作ろうと思えば作れる。でも、時間が足りない。だから、仕方がないから1/8で作ることにした」

「1/8ってことは、俺の身長が176だから……22㎝」


 当初の予定は等身大だったので、それに比べるとかなり縮小した。けどその分、細部まで俺の体を再現しようとしている。

 そうなると台車を使う出番はなくなったわけで。家に置いていても使うことはないだろう。

 あのまま美術部の備品として置いておこう。


 せっかく買った台車の使い道を早々に失いかけたが、備品として、美術部員がいつか役立ててくれるだろう。そう、かろうじて台車の今後を見出したところで、保坂さんが言う。


「そう言うわけだから、翔、今から裸になって」

「なんとなくそうなるだろうとは思ってました」


 石粉粘土で俺の体を完璧に再現するために、改めて体を観察する必要がでてくる。だから、そんな気はしていた。


 何度か保坂さんの前で裸になったことか。今さら抵抗はあまり感じない。


「わかりました。ちなみにパンツは脱ぎませんからね」

「それだと完璧に再現できない」

「そこは再現しないでください……」


 そして俺の股をジッと見つめるのは止めてもらえませんか?

 保坂さんの前でパンツ一丁になるは慣れたけど、さすがにアソコを見つめられると恥ずかしい。

 というか保坂さんは恥ずかしいとか思わないのかな。

 もし俺がここでパンツまで脱いだら、保坂さんは一体どんな顔を見せるんだろうか。

 

 恥ずかしくなって顔を背けるのか、興味津々に見つめてくるのか、はたまた触ってくるとか。

 どれもありそう。特に最後。


 まぁ、そもそも俺にそんな度胸はないので、大人しくパンイチ姿になるわけだが。

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