第4話「消しゴム効果」


























 季節も初夏に変わり、じわじわと湿気や暑さを連れて夏が近づくにつれ期末テストも近づいてきた、ある日の放課後。


「勉強教えて」

「嫌です」


 高良からのお願いを即断って、鞄を持った。


「おねがい!まじでやばいの、テストで赤点だったらお小遣い減らすってママが……だからおねがい!伏見どうせガリ勉でしょ?教えなさいよ」

「それが人に物を頼む態度とは思えないんですけど」

「教えてくれたら付き合ってあげるから…!」

「得してるの高良だけじゃん。シバくよ?」

「シバかれてもいいからお願い。なんならシバいてくれるの?ありがと」

「……帰るか」

「ごめんなさい!冗談だから置いてかないでぇ…」


 その場に崩れ落ちて、私の腰にしがみついてきた高良を冷たい目で見下ろす。彼女はそれも構わず懇願を続けた。


「勉強教えてくれたら、なんでもする!」

「……なんでも?」

「縁切るのと、しつこく付きまとわないのと、口説くのやめること以外ならなんでも」

「私の要望のほとんどが潰されちゃった…」

「ひどい、冗談のつもりだったのに本気で頼もうとしてたの?」

「冗談だよ。どのみち教えられないから」

「なんで?」

「私もやばいから」


 言ってることの意味が理解できないのか、小首を傾げた高良をとりあえず引き剥がす。


「こう見えてもバカなんです」

「見た目そんな真面目そうなのに?」

「うん。いうて順位は真ん中くらいだけど」

「それバカって言わない」

「人に教えられるほどは良くないってこと。…ちなみに高良はどのくらい?」

「後ろから数えた方が余裕で早いくらい。ワースト10入りもありえる」

「……一緒に勉強しよっか」

「んんん、すき」

「はいはい。行こ」


 想像以上にバカだった高良を連れて、さっそく勉強会をしようと学校近くのファーストフード店へと向かった。

 近いから別に家でも良かったんだけど……何をされるか分からないから、念のため警戒は怠らない。変な期待を持たせるのも避けたかった。

 軽食がてらポテトとドリンクを頼んで、空いた席につく。高良はドリンクだけを注文していた。


「苦手な教科なに?」

「国数社理英」

「全部じゃねえか、おい」

「だってわたしバカだもん、仕方ないじゃない」

「開き直らないでもらっていいっすか」

「えへ」


 呆れる私に、頭の後ろをかいて肩を竦ませたひょうきんな高良を軽く睨む。本当に勉強する気があるのかも怪しくなってきた。


「そんななのに……よく試験受かったね」

「んー…ふふ。聞きたい?ねぇ、聞きたい?」

「聞きたくない」

「実はねー、伏見のおかげなの」


 この人、たまに耳聞こえなくなるのなんなんだろ。

 強引に話を始めた高良を軽く睨みつつも、内心では気になってたから耳を傾けてしまう。彼女はニンマリ笑顔で過去を思い馳せながら天井を仰いだ。


「試験が始まる直前にね、色々パニクって……心細くて不安になってた時に、伏見だけが気付いてくれて、消しゴム貸してくれたの」

「それは聞いた。そこで惚れたんでしょ?」

「うん。正確には、その後なんだけど……あ。現物あるんだ〜」


 思い出したように鞄の中を漁って高良が取り出したのは消しゴムで、おそらく私が貸したものなんだろう。自分でも覚えてないそれを、わざわざ大切に保管していたらしい。


「ほら、見て?」


 消しゴムのカバーを丁寧に外して見せてくれたのは……“絶対受かる!”とボールペンか何かで掘られた文字だった。


「こんなん書いてたっけ…」

「きっと、合格祈願みたいな感じで書いたんじゃない?」

「あー…そうだったかも」

「……わたしに向けた言葉じゃないって分かってるんだけど、なんか勇気貰えてさ」


 愛おしい手つきで文字をなぞって、彼女は穏やかに微笑んだ。


「わたし、バカだから自信なかったんだけど……これのおかげで、受かりそうって思えたの。そしたら本当に合格できて、もう奇跡かもって…浮かれちゃった!」


 そう言って私に向けられた笑顔が、あまりにも可愛くて……照れすぎたのか落ち着かなくなった心臓に戸惑った。

 思わずにやけそうになった口元をさり気なく隠して「そうなんだ」と平静を装って相槌を打つ。

 ……やばいぞ、普通にめっちゃかわいい。

 たかだか消しゴムに書かれた言葉に元気づけられちゃう素直なピュアさも可愛いし、自分の過去の行いが結果的に誰かの自信に繋がったんだって思うと、不覚にも嬉しくなってしまう単純な自分がいる。


「本当は試験の後、すぐ返そうと思ってたんだけど……気付いたらもう帰っちゃってて、タイミング無くしちゃってさ」


 これで落ちてたらもう出会えないかも、なんて落ち込んでたこともこの時に教えてくれた。


「だから入学式のあの日……伏見と同じクラスって分かって嬉しかった。消しゴムも返したかったし、お礼も…好きっていうこの気持ちも全部、伝えたくて」


 消しゴムのカバーを丁寧に戻して差し出してきた高良を、ただただじっと見つめる。


「今さらだけど……ありがとう、伏見」


 私の手を取って、手の中に消しゴムを包ませた挙動をいちいち目で追ってしまう。なんか、感慨深いような気分になって胸が苦しい。

 顔のいい女が王道に可憐な表情をすると、破壊級に可愛いことを思い知らされた。おかげで心臓バクバクである。


「……やっぱり返すのもったいない気がしてきた。ごめん、返してもらっていい?それわたしのだから」

「いや私のです」

「わたしの伏見の消しゴムだから。略したらわたしの」

「略すな。私、高良のものじゃないし」

「え〜……わたしは伏見のものだよ?ここまで言えちゃうくらい好きなんだから付き合いなさいよ」

「ちょっとでも可愛いって思った私の純情を返せ」

「かわいいって思ってくれたの?うれしい」


 両頬を手で包んであざとく笑った彼女が憎らしくなって、目を細める。さっきまでの可愛さどこ行った。いや顔は変わらず可愛いんだけど……それがまたうぜえ。

 全てを無に返した高良の態度になんとなく腹が立って、消しゴムは雑にポケットに押し込んだ。「丁重に扱って」とか怒られたけど、もちろんガン無視した。

 気を取り直してノートを広げてペンを持って、ひとり勉強を始める。高良は人のポテトを勝手にひとつつまんで食べていた。


「ほら、勉強しなよ。あと人の食うな」

「今思ったんだけど、わたしってかわいいじゃない?なんかこの顔面さえあれば生きていける気がしてきた」

「うわぁ、ぶん殴りてえ」

「顔はやめてね?」

「いや顔以外でもだめだよ。…はぁ、お小遣い減らされるんでしょ?勉強しなくて困っても知らないからね、私は」


 もう放置だ、放置。なんて思っていたら、さすがの高良もやばいと悟ったのかノートを開いた。


「…ねえね」


 そして何かを書いた後で、私の袖をつまむ。


「ん、なに…」


 視線をノートへ向けてみれば、「好き」と意外にも綺麗な字で一言だけ書かれていた。…いや勉強しろ。

 呆れ果てて、無視しようと思ったけど、


「すき、伏見」


 不意に、文字だけじゃなくて声でも伝えられて、軽率に照れた。

 く、くそ……悔しい。ちょっとキュンとしてしまった。これじゃ、高良の思うツボだ。

 

「私は好きじゃない」


 今一度、自分に言い聞かせるためにもはっきり言い切ったら、相手の表情が拗ねたものに変わる。


「別にいいよ、そう言ってられるのも今のうちだけなんだからね。すぐ惚れさせちゃうんだから」


 フンと顔を逸らして、今度こそ本当に勉強を始めた高良を、ぼんやり眺めた。

 ……なんでそんなにも、自信満々でいられるんだろう。怖くないのかな、本当に嫌われたらどうしよう…とか。

 “怖気づく”という言葉が高良の辞書には無さそうで、不思議に思う。


「…次は、家で勉強しよ?伏見の家行きたい。いやもう泊まらせて?」

「嫌です」


 “押してだめなら引いてみろ”だけは、加えておいた方がいいよって……心の中でアドバイスしておいた。






















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