第29話「愚か者たち」


























 毎日メッセージを送ったり、電話をしたくなる高良の気持ちが分かった気がする。


 ふたりきりで過ごしたあの3日間を経て、私の心には大きな変化が訪れた。

 離れてる時間がものすごく退屈に感じるし、体温がない夜は寂しさばかり押し寄せる。返信がないと、何度もスマホを確認してしまう。

 バイト中も落ち着かなくて、今なにしてるんだろう…とか考えては、早く帰って連絡したいと焦る気持ちを抱くようになった。

 会いたいけど連日バイトだったりで会えない日々が続いていて。

 そうした毎日を過ごすうちに…最初の頃、高良からの連絡を冷たくあしらっていたことを後悔した。

 好きな相手と繋がれない時間はこんなにも辛いんだと、身を持って痛感したからだ。…もっと早く気付きたかった。

 そしたら彼女に、こんな寂しい夜を過ごさせずに済んだのに。


「はぁ〜……メンタル死ぬ…」


 恋人として失格だ、と自分を責める気持ちで心が竦んで、ぐるぐると悩んでは自己嫌悪に陥った。


『伏見もう寝た?』

『起きて〜』

『電話したい』

『数秒以内に声聞かないと死んじゃうかも』


 だけど付き合っても変わらずグイグイ来てくれる高良のおかげで、悩む暇も奪われる。


「…もしもし」

『あっ、もしもし!伏見だ!』

「はは。私じゃなかったら怖いよ」


 ここ連日、毎日のように朝方までしている電話に今日も応じて、その日も太陽の日差しの中で眠るまで話し続けた。

 朝から昼過ぎ、酷い時は夕方まで寝て、母親に「夏休みだからって…」と小言を言われる日々が数日。


 その日は、刻一刻と近付いていた。


「う、うぅ〜ん……やばいな…」


 八月三十一日⸺そう、夏休みの最終日を目前に控えたある日のこと。


 私は、勉強机の上に広げた課題達を見下ろして腕を組んだ。


 バイトや高良との時間を優先しすぎたあまり、完全に忘れてた。自分の本業が学業だということを。

 この量……今からやって終わる気がしない。夏休みのはじめ、まだ課題のことが頭の片隅にあった時ちょっとは進めてるとはいえ、ほとんどやってないも同然だった。

 諦めて白紙で提出するか…?と血迷いかけて、成績も良くない自分がそんな事したらいよいよ終わると甘えた心に鞭打って、得意科目から手を付けるためペンを持った。


「……お姉ちゃん」


 だけどそれも、部屋に入ってきた静歌によって手を止める。


「どうしたの」

「彼女、来てる」

「え…?」


 予想外の言葉に、スマホを開く。高良からの連絡は無くて、連絡もなしに来るなんて珍しい…

 もしかして、何かあったかな?と心配になって静歌の後に続いて部屋を出ようとしたら、


「伏見…どうしよう、課題が全然終わらない!」


 私とまったく同じ悩みを持ってやってきた高良に泣きつかれた。

 縋るように抱きついてきたのを、妹の前で……と思う前に、毎度のことながら察してくれる静歌は音もなくスッとどこかへ消える。…いつもすまん、ありがとう。

 とりあえず部屋に招き入れて、ベッド脇に座らせた。

 まさか会えると思えてなくて、突然やってきた恋人との時間に胸は歓喜で震えるものの……今は呑気に浮かれてる場合じゃない。


「まじで課題どうしよう…」

「…大丈夫だよ。私もちょうどやろうと思ってたから、一緒に終わらせよう?」

「一枚もやってないの」

「それは激ヤバだけど、大丈夫。寝ずにやれば終わる」


 絶望で顔を覆い隠す高良の背中を撫でて、根拠のない自信で親指を立てた。


「でも、もはやどこから手つけたらいいかもわかんない…」

「そうだよね……気持ちは分かるよ。とにかく、やらないことには始まらないから。ほら高良、用意しよう?」

「うん…」


 軽口を言う余裕もないらしい高良を折りたたみテーブルの方へ移動させて、勉強机に広げていた課題の一部を持っていく。高良も学生鞄から泣く泣く課題を取り出していた。

 ふたりで横並びになって座って、さっそく「どこから始める?」と声をかけた。

 その時に、ふと近い距離で目が合ったせいで、お互い理性の糸がほつれかかって、癖のように唇を合わせてしまった。


「ご、ごめん…」

「……伏見」


 慌てて顔を後ろに引いて謝った私を追って、高良の方から唇を奪われる。


「課題なんていいから、えっちしよ」


 現実逃避なのか、はたまた最初からそれ目的で家に来たのか。

 やたら積極的にキスしてくる高良に戸惑いながらも、なんとか肩を掴んで相手の行動を止めた。


「いやいやいや、待って。なにしてんすか、高良さん」

「だってもうここまで来たら終わんないもん!やっても無駄なら諦めて伏見とイチャイチャしたい!」

「気持ちは分かるけども。だめだよ…バカなんだからせめてこういうのはちゃんとやっとかないと」

「あのね、伏見?バカはね……やったところでバカなんだよ…」

「開き直るな。いいからやるぞ、バカ」


 人差し指を立ててドヤ顔したかと思えば、急に自信のない顔に変わった高良の意識をテーブルの上の課題に集中させるためトントン指で叩く。

 そうして嫌々ながら勉強を始めたものの、やる気はないようで……数分と経たずテーブルに突っ伏していた。


「高良…」

「むり、やだ、できない」

「まだ何も言ってないよ。……ちゃんとやろうよ」

「むり、やだ、できない」

「ついに壊れた?電池変えるか…」

「伏見からのハグで充電させて」

「……ハグしたら、真面目にやる?」

「やるやる」


 それなら、と手を広げてみれば、彼女は待ってましたと言わんばかりに私の腕の中へと飛び込んだ。

 甘やかしすぎもよくない……そう分かっているのに、寂しかった自分の気持ちを埋めたい欲に突き動かされて、結果的に彼女も自分も甘やかす。

 ハグを許してしまったら、なし崩しにキスも許しちゃって、普段は恥じらって控えめな高良が私を求めて唇を動かす仕草が可愛くて、そのままの流れで■まで手を持ってかれた。


「っ……高良、これ以上は…」

「やだ。触って…?」


 私の手の甲を押さえていた手に力がこもる。

 間近に迫った表情がえろすぎて、抗いがたい欲から逃れるため目をギュッと強く閉じた。

 それをキス待ちかなんかと勘違いしたらしい高良によって唇に柔らかな感触が当たったと思ったら、■まで入れてきた。

 いよいよヤバい、と危機感を抱く思考回路すら熱い温度に溶かされて、愚かなことに……欲に負けて最後までやってしまった。


「は…ん、あきら……っ声出ちゃう、から、ちゅーして…ふさいで…?」

「うわぁ…かわいい。我慢できない?」

「うん、っ…できな……んん」


 家族がいるから必死で声を抑える高良も、それはそれでいやらしくて、我慢なんてできるはずもなかった。

 ヒソヒソと息を潜めて始まった行為は、夜も更けて空が白んだ頃にようやく終わる。その間の記憶は、無我夢中で覚えてない。


「あー……やっちゃった…」


 気分の盛り上がりも落ち着いてきた頃……冷静になった途端に、激しい後悔が襲い掛かってくる。


「ヤッちゃったねぇ…」

「自分がこんなにバカだと思ってなかった…」


 額に手を当てて、どうしようもない自分に心底呆れ果てた。そんな私の隣で、高良は満足げにニコニコしていた。

 もうこのまま、彼女と同じく開き直ってしまえば楽かもしれないという堕落した思いと、ちゃんとせねばと律する思いがせめぎ合う。


「…課題が終わるまで、えっち禁止にしない?」


 結果、ギリギリで踏みとどまった。


「このままだと卒業できなくなるかも……そうなったらまずいでしょ?」

「うーん…でも、えっちはしたい」

「そうだよねぇ…」


 高良がこんな提案を飲むわけもなくて、分かりきってたことだからおとなしく別の案を考えることにした。


「一枚やるたびキス」

「やだ。足りない」

「うぅん……じゃあ、全部終わったら一日デート」

「あと一押し、もうちょっと」

「夏休みの最後までに課題が終わってたら指輪買いに行く」

「婚約ってこと?」

「うん、まぁ…そういうことにしよう」

「やりましょう、今日中に終わらせてやりますよ」


 ようやくやる気になってくれた高良はムクリと体を起こして、服も着ないままテーブルのそばに座ってペンを手に持った。

 もちろん、この後すぐ服は着せて、さっそくふたりで夏休みの課題に立ち向かったんだけど……


「もうむりだよ、高良……諦めよう…」

「いや、やる。何がなんでもやる。これ終わらせて伏見と結婚する」

「はぁ〜、まじかぁ〜……やるかぁ…」


 私の方が先に折れかけつつ泊まり込みでやった結果、無事に九月一日の明け方、最後の一枚を終えることができた。


 ……そして、新学期初日から、寝坊した。




















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