第16話「臆病者でも卑怯者でも」
せっかくプールに来たはいいものの、泳げない高良を放置して自分だけ泳ぎに行くのは気が引けたから、水の中を少し歩いた後で浮き輪を買った。
その浮き輪を使ってもらって、脱力した怠惰な態度の高良を連れて、プール内をひたすらにあちこち歩き回る。
「はぁ〜……楽ちん楽ちん。プールきもちいい」
「これ、私だけが疲れるやつだ…」
「交代しよっか?」
「……いいよ。さっき普通に歩いてるだけでこけて溺れかかってたんだから、おとなしく引っ張られてて」
「まじ優しい〜…お言葉に甘えて、ドナドナされてるね」
「いつから高良は牛になったの?」
「牛になっても、きっとわたしはかわいいよ。だから愛して」
「どこに売り払おうかな」
わざとらしく周りをキョロキョロ見回したら、腹を立てたらしい高良に水をかけられた。
「こんなかわいいのに売るなんて信じらんない。伏見が飼い殺してくれなきゃ許さないんだから」
「ごめんって。めっちゃ鼻に入った、痛い…」
「え。大丈夫?ごめん、やりすぎちゃった」
鼻の根本を押さえて痛みに耐える私を心配して、頬に手が伸びてくる。
ずっと水に浸かってたせいか、触れた体温は冷たくて……そういえば休憩を挟んでないことに、そこでやっと気が付いた。
こんなに冷えるまで……もしかして、無理させてたかな。
「一回、休もっか。高良」
「ん…そうだね。伏見疲れちゃったよね」
「私は別に……体、冷えちゃってるから。ラーメンでも食べてあったまろ」
「伏見が温めてくれてもいいよ?」
そう言って浮き輪に胸を乗せた行動を視界に捉えてすぐ、反射的に視線が落ちた。
横乳を腕で支えて寄せるという隙の無さで、控えめな大きさの膨らみで作られた谷間をまんまとガン見してしまう。…あざとさランキングがあったら堂々の一位かもしれない。
うわ、悔しい。狙ってるのが分かってるのに本能に抗えないの悔しい。人間の
「こ、ここ……人前なんで、あんまりそういうことはしない方がいいかと…」
「そんなに他の人に見られたくないの?しょうがないなぁ、もう…家で帰ってからね」
「あー…っと、今、けっこう……その冗談も通じないかも…」
いつもなら脳死で返せるノリも、今は違う意味で脳の思考回路が死んでてうまく言葉が出てこなかった。
年頃に欲求がある自分の理性じゃ耐えられない気がしたから、あんまり見ないように自分の目元を手のひらで覆い隠す。刺激が強すぎて心臓が痛い。
好きだと自覚してから、どんどん冷静さを失っていく。
これまでの冗談めかしただけの関係性が変わってしまうことに、僅かばかりの不安と恐怖も、この時の私は抱いていた。
恋仲になるって、恐ろしい。
こんなにも簡単にタガが外れそうになるなんて、高良から猛アプローチを受ける前の私は知らなかった。
「…照れてるのかわいい。伏見、こっち向いて?」
暗闇の中、両頬を包まれた感触に、心臓は激しく跳ね上がった。
「今むり……おっぱい見ちゃうから…」
「見てもいいんだよ?そのために見せてるんだから」
「人がいるから、だめだよ…」
それに、付き合ってもないのに。
すでに今の時点で両想いは確定してて、本人もそれでいいって言ってくれてるんだけど……生真面目な性格が災いして、ちゃんと付き合えるまでは高良の体に触れたくなかった。
やっぱり今日、告白しよう。
改めて決心して、とりあえず今このヤバい状況を打破しようと、高良の方は見ないようにしてプールの端まで浮き輪を引きながら移動した。
目を合わせないままプールサイドに上がって、自分達のブルーシートが敷いてある場所まで足早へ向かう。
「ご、ご飯買ってくる。何が食べたい?」
「…チュロス」
「それだけでいいの?」
「うん、後は伏見のやつちょっと貰う」
「わかった。すぐ戻るから待ってて」
高良には休んでてもらって、スマホとお金だけ持って逃げるようにその場を後にした。
「はぁ…やば。めっちゃえろかった」
がっつり見てしまった胸元の光景を思い返して、しばらく離れたところで顔を覆ってしゃがみ込んだ状態で沸騰した頭を冷やそうと試みた。
だけど夏だから肌に触れる温度は高くて、熱くなった自分の体温も相まって、熱が冷めることはなかった。
今からこんなんで、本番に進めそうもなくて自信を失くす。絶対その時がきたら恥ずかしくなってちょける。その自信だけはあった。
…てか、同年代でドナドナ知ってる人初めて会った。親の世代が同じだから、その影響かな。
チョベリグといい、高良とは笑いのツボと知識がよく合う。そう考えると、けっこう相性いいのかもしれない。
「……ラーメン買って戻ろ…」
あんまり高良をひとりで待たせるのは良くないと、気持ちを切り替えて立ち上がる。
お昼時だったこともあって、かなり混雑してた列のひとつに並んで、後はスマホでも触って時間を潰す。
けっこう待ってから無事にチュロスとラーメンをゲットして、高良の元へと戻ったら……ブルーシートに座る彼女に、何やら話しかけてる人物がいた。
「げ……クラスのやつじゃん…」
少し離れたところから目を凝らして見てみれば、見覚えのある男子の姿がそこにはあって、つい嫌な声が出る。
こういうことが無いように、市外にまで来たのに……まさかばったり出くわすなんて。
「うわぁ、どうしよう……行ったほうが良いのかな、これ…」
会話の内容はまったく聞こえないけど、高良の無感情で光のない目をしてる横顔から察するに、ナンパでもされてる?
……そうだよね、そりゃたまたま夏休みにクラスのマドンナに偶然出会っちゃったら、運命感じて話しかけちゃうよね。私にはその勇気がないから無理だけど、気持ちは分かる。
ただ、高良の気持ちを考えると……割って入って止めた方がいいかな。
でもなぁ…ふたりで一緒に居られるところ見られたら夏休み明けに噂が広まるのは確実で、そうなると色々厄介だ。高良にも迷惑かけるかも。
「うぅ〜ん……行く、行くか。いやでも…」
これきっかけで、レズだってことがバレたら……そう思うと、なかなか足を踏み出せなかった。
高良は前に「広まっても気にしない」って言ってたけど、私は気にする。だって絶対に、一部の人間には白い目で見られるのが分かってるから。
それに、なんであの高良がこんなやつと…って、そう思われるのが怖い。
あんなにも可愛い子の隣に、平気な顔で立てるほど……厚顔無恥でいられない。
「あぁ、むりだ…」
私なんかが恋人になってるところを想像したら、メンタル死んだ。
綺麗な体を、触ることさえおこがましい。
一度沈みだした心は、暗くなりたくない自分の意に反して、だんだん重く淀んで濁っていく。
結局、私は助けに行けなかった。
目の前で好きな人が他の男に取られそうになってて、困ってるのに……その場から動くことすらできなかった。
「…あっ、いたいた」
ようやく体を動かせたのは、戻ってこない私を心配して高良が迎えに来て、そばに駆け寄ってくれてからだった。
「連絡も返ってこないから心配しちゃった。…遅かったけど、何かあった?」
「あ……ごめん、混んでて」
「そっかそっか。早く戻って食べよ?お腹すいた」
「…ごめんね。待たせて」
「さびしかったんだからね?責任取って付き合って」
聞き慣れた冗談さえも、胸をきつく締め上げてくる。
「……ごめん。付き合えない」
高良が傷付いた表情に変わったのを、見てられなくて俯く。
意気地のない私は、今ある幸せや現実からも逃げようとしてしまった。
「もしかして……さっきの、見てた?」
それを掬い上げたのは、察しのいい高良だった。
「伏見が思ってるようなこと、何もないよ。…誘いも全部断った。伏見以外に興味ないって、何回も伝えてるでしょ?だから安心し…」
「ちがう」
私を安心させようと並べられる言葉達を否定して、悔しくなって下唇を噛み締める。
「っ……私、高良と仲良くしてるのがバレて、レズだって噂が広まったらどうしようって…自分の保身ばっかりで、高良が困ってるのに見てみぬふりしちゃったの」
自分で言ってて、情けない。
滲んだ視界の先で涙が落ちて、地面を小さく濡らした。
「だから、こんなやつが……大切な時に大切な人を守れないような人間が、誰かと付き合う資格なんてない。高良には、もっと良い人が…」
「ふざけないでよ」
涙で湿った頬を掴んで、無理やりに顔を上げさせられた。
視界に飛び込んできた高良の顔は怒りを露わにしていて、瞳は今にも泣きそうなくらい潤んでいた。
「わたしのこと、あんまりナメないで」
眉間に濃く寄せられたシワがさらに深まって、大きくて可愛い目元は今はきつくつり上がって私を睨んだ。
「伏見に守られなくても平気、自分でなんとかできる。だからバカみたいな責任感でわたしの前から逃げようとしないで」
「逃げようとしてる時点で卑怯者だってことに気付いてよ、高良…」
「っ…どんな伏見でもいいって、何回も言ってるでしょ!」
裏返るくらいの怒声に、びっくりして口を閉じる。
「卑怯でも、臆病でも、わたしが好きなのはあんたなの。分かる?この紛れもない超絶美少女に好かれてるのは、世界中どこ探したって伏見しかいないの!わたしにこんだけ言わせておいて、まだ自信持てないって言うの?伏見がそこまでバカだと思わなかった!」
失望と好意が入り混じった彼女の想いに、脳が追いつかなくて混乱した。
そんなこと言われたって……急に自信をつけられるなら、もうやってる。できないから悩んでるのに。
高良がそれだけ私のことを好きなのは充分に伝わったけど、最後の一言で「もしかして呆れられた…?」っていう不安が残って、言葉が何も出てこない。
「…今日は帰る。プールにでも沈んで頭冷やして」
「死ねって…こと?」
「んなわけないでしょ!離れてる間に自分がどんだけ好かれてて、どんだけわたしの恋人として相応しいか気付いて、そんでさっさと付き合う覚悟決めなさいってこと!バカ伏見!」
自信に満ち溢れてて勝ち気なことを言い残して、さり気なくちゃっかりおぼんに乗ってたチュロスだけは奪い取って、高良は去っていった。
「覚悟決めろって、言われても……」
ひとり残されてから、伸びきったラーメンを捨てるわけにも行かず啜りながら、深々とため息をついた。
こんな時だっていうのに高良を追いかけないで呑気に食えちゃう時点で、実は私のメンタルってそこまで弱くないのかも。
そう思えば、ワンチャン……イケる?いや、そこまで図太くはいられないな…
高良のことは大好きだけど、自分に自信がつくまでは、まだもう少しだけかかりそうだ。
それでも、ほんの僅かな自尊心だけはかろうじて保って、高良の言葉を真摯に受け止める努力はしようと胸に誓った。
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