第17話「友達としての最後の夜」
























 高良を怒らせてしまったプールデートの翌日。


 その日のうちに「ごめん」って送ったメッセージは既読無視されてて、朝から鬱すぎて重くなった体をベッドの上に沈めていた。

 ……嫌われた?

 帰った後、冷静になってから「やっぱ好きじゃないかも」とか思われてたらどうしよう。

 高良のこと信じたいけど、自信の無さが邪魔をする。

 “まだ好きでいてくれてる”と“もう嫌われちゃったかも”の押し問答を、かれこれ数時間は繰り広げて、時刻は昼過ぎを回った頃。


「…お姉ちゃん、彼女来たよ」


 妹の静歌が、部屋の扉を開けた。


「彼女…?」

「見れば分かる」


 思い当たる人物はひとりしかいない。


「あ、はは……おはよう〜…」


 静歌の後ろからひょっこり顔を出して、気まずそうに笑って手を降ってきた相手の姿に、勢いよく飛び起きる。

 私の機敏な反応を見て、自慢の妹は何かを察して音も気配も残さず自分の部屋へと戻っていった。…忍者か、お前は。いやだけど今は心底、察しのいい妹で良かったと感謝した。


「お、起きるの遅いね。もう昼だよ?も、もしかしてわたしの事で頭いっぱいにしてた?なんて…」

「してた」

「なによ、ちょっとは考えてくれたって……へ?」

「めちゃくちゃ考えてた」

「あ、う……そ、そっか…ごめんなさい…」


 昨日の今日で気まずいのはお互い同じみたいで、歯切れの悪い高良を愛おしく感じて、ただただじっと見下ろす。

 高良は無言の視線と空気感に押しつぶされそうなのか、忙しなく頭の後ろをかいて「ははは…」と乾いた笑みを浮かべていた。


「…何しに来たの、今日」

「あ……あ〜、えっと、チュロスのお金を忘れてたから、渡しに…」

「わざわざ、それだけのために?」

「う、うん。…だから、これ」


 鞄の中から手のひらサイズの小さな封筒を差し出して、手首を持たれる。…律儀だ。

 そのまま手の中に当てた状態で指を閉じるようにして持たされた後すぐ、高良はさっさと踵を返した。


「じゃ、そういうことだから!ごちそうさまでした美味しかったです!」

「待って」


 部屋から出ていってしまわないように、扉を閉めて高良の腕を引いて抱き止める。


「まだ帰らないで」


 私の腕の中で、彼女は身を縮こませて何度も落ち着きなく瞬きを繰り返した。

 触れた服越しの体温を意識しすぎて頭が白くなるから、一旦体を離して渡された封筒を握りしめて、その拳を扉に当てる。もう片方の手は、しっかりと逃さないよう肩を掴んだ。


「本当に、チュロスのお金…渡しに来ただけ?」


 赤く染まった頬を見下ろしながら確認すれば、悲しいことに首を縦に振られた。

 てっきり高良のことだから、離れようと思ってたけど一日離れただけで辛すぎてやっぱり無理だったから、チュロス代を口実に会いに来たってパターンかと思ったのに。


「……他に、話したいことない?」


 念押しで聞いても、同じ反応が返ってくる。

 …やっぱり、嫌われたかな。

 気分を落とすものの、ここで帰すのはどうしても嫌で、顔色を窺いながら熱を持った頬に指先を当てた。


「昨日は、ごめん」


 何よりもまず謝りたくて、許されなくてもいいからとにかく一度その言葉を口にした。高良は何も言わないでずっと俯いてる。


「高良……こっち見てよ」

「や、やだ」

「なんで」

「恥ずかしい通り越して人生初の脳イキしちゃいそうだから」

「おい変態この野郎……こんな時までふざける?普通」

「けっこうまじ。ほんとに。今、伏見の顔見たらイッちゃう自信ある」

「はぁ……もうイッていいから顔上げて。…いや待って。なんか変なプレイみたいでやだな。やっぱ上げないで」

「焦らしプレイもそれはそれで好きです…」

「なんの話だよ、聞いてないよ……はぁ、もう。こういう時くらいさ、真面目に話そう?高良」


 どうせいつもの冗談……って、たかを括って顔を覗き込んだら、本気で欲情してそうなとろけた瞳と視線が混じり合って面食らった。

 え、な……なんで?

 疑問に思ってる間に、高良の顔はさらに下を向いてしまう。


「あ……ま、まじのやつ?」


 戸惑った私の質問に、コクリと小さく頷かれた。


「なんで、興奮してんの…?」

「や、なんか……このまま告白されて、流れでキスしたり……さ、最後までしちゃうのかな〜…?って思ったら、体が、準備を…」

「すみません、全然そんなこと考えてませんでした…」

「っ……と、とにかく、ふざけないと心臓持たないの。許して。真面目にふざけてるから」

「後ろ向きに前向き、みたいな表現やめて。ややこしいな」

「き、気にしないで伏見はそのまま真剣な感じで口説いてきていいから。はい、どうぞ」

「そう言われると、私まで恥ずかしくなってくるんですけど…」


 そんなにも変に意識されると、調子狂う。

 でも、思ってたより怒ってるとかじゃなさそうで安心した。むしろまだちゃんと私のこと好きでいてくれてそう。

 もしそうなら、告白して晴れて両思いになりたい気持ちはあるんだけど……この状況だと、言いづらい。高良がちょけてるのに私だけ真剣なのも恥ずかしい。

 いやでも、ここは勇気を出さなきゃ。


「あの、高良さん。交際の、件なんですけど…」

「は、はい」

「……せ、せーので言いません?」

「は?」


 無理だった。

 ひとりで言うには度胸が足りなくて、巻き添え食らわそうと提案したら、さすがの高良も驚いて顔を上げてくれた。


「や、その…一緒に言わない?お互いの気持ちを」

「ど…どうすんの、それで違う言葉だったら」

「相思相愛ならきっと通じ合えるはず」

「そう信じたいけど……」

「イケるイケる。よし。じゃあ、いくよ」

「ま、待って」


 ここは運に身を任せようと、覚悟を固めて「せーの」とふたりの息を合わせるように呟こうとしたら、言い出す前に止められてしまった。


「…こ、これもう付き合ってるってことにしてもいいんじゃない?そんな事しなくても」


 その気持ちは、とてもよく分かる。…んだけど。


「えー……そこはやっぱ、告白っていう出来事を経てから進みたいというか、乙女心というか…そういうお年頃というか…」

「……伏見って意外と、形から入るタイプだよね」

「だって…大事にしたいじゃんか。私が高良に告白できるのは、人生で一度しかないんだよ?貴重な初体験なんだから、そりゃあ…ね。大切にしたいですよ」

「なるほど、確かに。でもそうなると…そこまで大事な一大イベント、この流れで終わらせていいの?わたしは気にしないけど…」

「そう、言われると…」


 もったいない気もする。

 しばらく、うーん…と唸り悩んだ。今すぐ付き合いたいのは山々だけど、色気が足りない。


「……じゃあ、一旦…付き合うのはナシで」

「ちょっと、話が違うんだけど」


 焦った様子で私の服を引っ張った高良に、予想通りの行動すぎてニンマリした笑顔を返した。


「高良……明後日、なんの日か知ってる?」

「え、いきなりなに……わかんない。…土曜日、だよね。なにかあったっけ」

「夏祭りの開催日だよ」

「は…?地元のお祭りはまだ少し先だけど…」

「都内の」

「ふっ……ま、待って。そんなん分かるわけないって、隣の県のお祭りまで把握してないよ」

「……高良と行きたくて、調べてた」


 それだけは真剣に告げて、服を握る手の甲を緊張して汗ばんだ手で包み込んだら、呆気にとられた高良の笑顔が消えた。

 何かを期待した瞳が揺れる。

 今にもキスを落としてしまいそうになった気持ちは喉の奥に緊張ごと押し込めて、代わりに誘いたくて仕方なかった思いを吐き出した。


「今度は、誰にも邪魔させないから。一緒に、都内までお祭り行こう?」


 バレてもいい、とまではまだ言えない臆病者の誘いでも、彼女は快く受け入れて頷いてくれた。


「告白も……その時にするから。待ってて」

「え…あ、そういう感じね…うん。……楽しみに、してる」

「だから友達は、今日と明日で終わりにしよう?…その間に、心の準備して気持ち切り替えるから、高良もそのつもりでいて」

「そんなこと言われたら濡れちゃう…」

「さっきも思ったけど、感度良すぎない?それもう才能だと思う」

「伏見のために自己開発してきたから……健気でしょ?喜んで」

「反応に困ります…」


 内心「なにそれめっちゃえろいじゃん」って思ったのは、友達対応を貫くために言わないでおいた。

 高良も言い過ぎは良くないと判断したのか、それ以上の下ネタは封印していた。……多分、言ったら事が始まってしまうと空気感で察したんだろう。

 そのくらいには滾ってるお互いの想いは、今はそっと閉じ込めて、友達としての最後の時間を目一杯楽しむことにした私たちは、どちらからともなく泊まっていく選択をさせた。


「ねぇ伏見……付き合う前が一番楽しいって、よく言うじゃん?」


 ベッドに寝転んだ高良が、ベッドの下の布団で寝転ぶ私を覗きながら呟いた。


「うん。よく聞くよね」

「今、それじゃん」

「そうだね」

「……楽しい?」

「えぇ……うぅん、そうだなぁ…」


 思い返せば、入学して高良に口説かれるようになってからの4、5ヶ月……なんだかんだ充実してて、楽しかった記憶しかない。

 だけど正直、今この瞬間楽しいかって聞かれたら……


「もどかしい…かな」

「なんで?」

「触りたいって思うのに、触れないから。…あ、ハグとかそういう、軽いスキンシップの方ね」

「分かる。わたしも今めっちゃムラムラしてる」

「人の話聞いてた?えろい方の触れ合いじゃないです」

「……気持ち切り替えたら、えっちなことしたいって思ってくれるの?」


 自分の腕に顎を乗せて、私のことを見下ろしながら聞いてきた高良には、恥ずかしくて頬をかいて頷くだけで返した。


「…そっち行っていい?」

「だめだよ。おとなしくそこで寝て」

「せめて、ぎゅーしたい。……だめ?」

「……こっち来たら、生殺しの夜が待ってるよ」

「わたしだけ我慢するなんてずるい」

「貴様…いつから自分だけだと錯覚していた?」

「はっ……まさか、お前も…じゃないよ。乗らせるのやめて?恥ずかしい」

「はは、高良が勝手に乗ったんじゃん。ノリいいのほんと最高」


 あしらい続けることに不満を覚えた高良の唇が尖って、やけに冷たい視線が刺さった。


「友達の伏見は、随分と余裕なんですね〜。冗談ばっか言えちゃうくらいに」

「それを言ったら高良もでしょ。…ふざけてないと襲う一歩手前ですから。思春期の性欲ナメんな」

「舐めるのはおっぱいだけにしてよって?もう、仕方ないな……舐めていいよ」

「今それけっこうやばいです」

「ふん、伏見もムラムラして眠れなくなればいいのよ。ばーか」


 とか冷たく言い放って、背を向けて毛布を被った高良だったけど、


「……やっぱり、一緒に寝てもいい?」


 結局、欲に負けて私のところへと降りてきた。


「あー……この、“いつ襲われてもいいのに全然襲われない感じ”も今日と明日で終わっちゃうんだ。そう思うとさびしいかも…」

「あの〜…友達の距離感バグってませんか、高良さん。離れて」

「やーだ」

「くっ……こいつ、強いな…全然離れない」


 もはや開き直ってひっついてきた変態の頭をグイと押したら、高良はニコニコ笑顔が似合わない反発力で額を押し付けた。


「このもどかしさも、楽しまないと損じゃない」


 私の変なこだわりで待たせてごめんねって、実は罪悪感で押し潰されそうだったんだけど、本心から楽しそうな声を聞いて自然と気が緩んだ。

 お祭りの日が過ぎれば、おふざけなしの恋が始まる。

 きっともう照れ隠しでおじさん構文はもう使えないし、死語で気恥ずかしさをごまかすこともできなくなる。…完全に封印できるかは微妙だけど。

 ものすごく照れ屋で、お調子者な私達には、必要な時間だった……と信じたい。


「…寝よっか、高良」

「おやすみのちゅーしとく?」

「……あれ、これもしかして私だけ生殺しになってない?」

「今さら?わたしは今まで通り好き勝手グイグイいけるから、わりと発散できてるよ。さっきからずっと」

「ずるい女だ」

「小賢しいって言って?」

「言い方変えただけです、それ」

「ふふ。ずるい女も好きでしょ?」


 目を細くして微笑んだ小悪魔な表情に、何も言い返せなくて悔しい思いを抱えたまま。


 私達の、友達としての最後の夜が終わった。

 





















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