第33話「別れ話」
高良には悪いけど、私の事は諦めてもらう。
そのために私がしたことは、
「消しゴム?」
「…うん。それで仲良くなったんだよね」
「まさかぁ……それだけで?」
「…高良は意外と、優しさに弱いタイプみたい」
彼女が実はちょろい女であることを広めて、彼女狙いの男達に口説きに行ってもらうことだった。
私と高良が裏で仲良くしてることは、夏休み終わりの噂を否定したとはいえみんななんとなく勘付いてたから……仲良くなったきっかけを話せば後は早かった。
当日の放課後には高良の元へ男子生徒達が押し寄せて、単純な彼らは全力で優しさを見せて些細なところからお近づきになろうと積極的に話しかけていた。
そのおかげで高良は常に男子達に囲まれるようになって、必然的に私と関わる機会も減った。……まぁ元々、学校での関わりは言うほどなかったけど。
「なぁ高良、俺カバン持つよ」
「は?いいから触んないで」
「持つって」
「っ…人が嫌がってんの、分かんないの?そんなん優しさでもなんでもないから。うざい、きしょい、失せて」
中には強引に優しさを押し付けようとする男子も居て、高良はうんざりした様子で放課後は早々に教室から出ていくようになった。
『そろそろ会いたい』
そして毎日のように、出てすぐにメッセージが届く。
『ごめん。バイト忙しくて』
私はそれを、毎回心を痛めながら何かと言い訳をつけてあしらった。
『会ってくれないと、しんじゃうかも』
可愛い事を言われても、スマホの画面をそっと閉じて無視した。
次第にメッセージが送られてくることも減って、学校でも目に見えて高良の元気は無くなっていった。
私達の関係は、表向きは“喧嘩しちゃって仲悪くなった”って事にしていて……だから、向こうから関わるに関われない環境だったのも相まって、もうほとんど付き合ってるとは言えない状態が出来上がっていた。
後は、私以上に優しくて、魅力的で、高良が好きって思える相手が見つかるまで待つだけ。
正直……私なんかより良い人は大勢いると思ってたから、時間が解決してくれると思ってた。
「…ちゃんと、話したい」
彼女が、連絡もなく家に来るまでは。
「ごめん。これからバイトが…」
「今日はお休みって、静歌ちゃんが教えてくれた」
静かで掠れた声で呟いた高良は、部屋に入れることも許さなかった非情な私の前で、廊下だからか泣かないように唇を噛み締めて耐えていた。
小さな拳が制服のスカートを握って震えてるのを見て、心臓が潰されるみたいに痛くなる。
それでも、ここは帰ってもらおう……と思ったところで、彼女の唇が薄く開いた。
「どうして、避けるの」
「…別に、避けてるわけじゃないよ」
「わたしのこと、きらいになった…?」
抑えきれずボロボロと溢れた涙を見て、ギョッとしてひとまず部屋に引き入れる。
「ご、ごめん。高良…」
「……男子に言い寄られるようになったから、それが嫌で距離置いてるの…?」
抱き止めながら謝ろうとしたら、震えた涙声に遮られた。
高良の手が胸元の服を掴んで、頬を濡らした可愛い顔が持ち上がる。
「安心してよ、わたしは伏見のものだから」
言われ慣れた言葉も、今は罪悪感をくすぐるだけで、私には荷が重すぎた。
「他の男なんて、興味もないよ。わたしが好きなのは伏見だけ。だから心配しないで…?」
少し前なら、素直に喜んでた。安心もできた。
でも今は、苦しさが増すだけだった。
望んでるのは、そうじゃなくて…理想は高良自身が「伏見じゃなくても平気」って言ってくれることなんだけど、それはそれで実際に言われたら辛い。
臆病者な私は、自分から“別れよう”だなんて言えなくて、言ったところで納得させられるだけの理由もなくて、押し黙る。
「…わがままも、もう言わないから」
避けられてる理由が他にあると思ったのか、不安げに揺らした瞳で私を見上げて、高良はさらに目に涙を溜めた。
「仲直り、しよう?」
「……喧嘩してないよ」
「じゃあなんで、一緒に居てくれないの?」
本当の事を、言える勇気なんて私にはなくて。
「…ごめん。別れたい」
結局、遠回しな作戦は失敗に終わってしまった。
「パパに……なんか言われた…?」
こういう時ばかり察しのいい彼女が、ぽつりと呟いて聞いてきた。
私は何も言えずに、首を縦にも横にも動かすこともできず、ただただその場に立ち尽くして時が過ぎるのを待った。
「…わかった」
長い沈黙が続いて、高良の涙も乾ききった頃、彼女は怖いくらい静かに声を出した。
「伏見が別れたいなら、別れる」
もっとしがみついてくると思ってた予想は打ち砕かれて、納得したのか諦めたのか……彼女は小さなため息をひとつ落として、顔を上げる。
泣いた後でも可愛らしく整った顔立ちは変わらない高良と目が合って、心臓は痛く締め付けられた。
……本当は、このまま抱き締めたい。
自分の腕に閉じ込めて、「別れたくない」って、そう言いたい。私もまだ好きだよ、大好きだよ…って、伝えたいのに。
「別れても好きだよ」
私が言えなかったことを簡単に口にして微笑んだ高良を、もう見ていられなくて顔を伏せた。
「……わたし、諦めないから」
ずるくて、卑怯で、臆病者な私の手を取って、真っ直ぐに見つめてくれた瞳から逃げるように、視線を外す。
傷付いた顔が視界の端に見えたけど、それもまた辛くて目を閉じる。
「伏見は優しいから……色々考えてフったの、ちゃんと分かってるから」
どんなに逃げても、言葉を続けてくれた高良の声は、可哀想なくらいに震えていた。
「だから、ちゃんと待ってる。…伏見が、わたしのこと堂々と愛せる日まで」
大丈夫、そう伝えるみたいに頬を撫でられた。
「仮にそんな日来なくても、また何回でも口説いちゃうんだから」
「っ……高良…」
「安心して、またわたしのこと好きになってね」
この日、私は痛感させられた。
彼女の愛の前では、逃げることすら無意味なんだと。
「今日は、とりあえず帰る」
最後に軽いキスを一度だけ残して、高良は余裕綽々な笑顔で帰っていった。
誰も居なくなった部屋で、引き止めることさえできなかった情けない自分を責めた。
高良から愛されれば愛されるほど、こんな私にそんな価値なんてない…と、どんどん惨めに拗らせていく。
まだまだ未熟で、たかだか十数年しか生きてない高校生の自分が背負うには、あまりに難解で重すぎる現実に耐えられなくて、逃げ出したい気持ちばかりが心を支配した。
だけど、向き合わなきゃいけない。
「もう……いやだ…」
高良となんて、出会わなきゃよかった。
なんで自分ばっかり……と、卑屈になって歪んでいく性格が、過去さえも否定し始める。
あの時、消しゴムを貸さなければ。
押しに負けて、仲良くしなければ。
彼女を、好きにならなければ。
今、私を苦しめるもの全て、存在してないのに。
そうやって、思う頭の片隅で、
『伏見…!』
出会ってから、これまで見てきた高良の笑顔が何度もチラついた。
彼女と出会わなければ、あの眩しいほどに輝いていた日々も、可愛くて仕方ない高良の姿も、何もかも存在してなかったんだ。
そう考えたら、どうしても過去を否定しきれなくて、それだけ大きな愛と思い出を与えてくれた高良には感謝しかなくて、じわじわ涙が浮かび上がってきた。
だめだ。
高良を諦めた方が良いと思う気持ちと、高良のことを愛してる感情を天秤にかけた時、どう頑張っても愛に傾く。
今の辛い感情よりも、高良がこれまで愛してくれた思い出の方が勝つ。
捨てたいのに捨てきれない感情と思い出が、涙となって零れ落ちた。
私は多分、この先もずっと高良が好きだ。
そう思うのに、私からは何も行動を起こせないまま。
「ねぇ、伏見さん」
翌日の放課後になって、高良は何食わぬ顔で声をかけてきた。
…呼び方が他人行儀なのは、私を気遣ってか……それとも。
「わ、私と……付き合ってよ」
約束通り口説いてきてくれた彼女に、私はなんて惨いことをしたんだろう…と。
「……ごめん。今はもう少し気持ちの整理させてほしい…かも」
無情にもそう言い放って、教室を出て行った。
その日から、さすがの高良も追うことができなくなったみたいで、声をかけるどころか…目を合わせることもなくなった。
そして最終的に、授業中どうしても関わらなきゃいけない時があって。
「高良さん、悪いんだけど…」
「っ……触らないで」
何気なく肩に手を置いたら思いきり振り払われて、私は面食らい、その場にいたクラスメイト達も騒然とする。
「…ごめん」
目に涙を浮かべた高良は教室から飛び出して、その日は保健室で休んだ後で帰宅してしまった。
心配しすぎて連絡しようと思ったけど、やめた。
むしろこれでいよいよ関係が終わったと思ったら、モヤモヤとスッキリした気持ちが同時に湧いてきて。
そうして、どこか気まずい思いを抱えた状態で、月日は無情にも流れた。
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