第32話「父の思い」


























 全員が沈黙する気まずく重い雰囲気の中、四人でテーブルを囲む。

 さすがの高良もこの時ばかりはおとなしく、そしてしおらしく、ビクビクしながら自分の父親の顔色を窺っていた。

 高良の父親は、しばらく何も言わず厳しい顔でテーブルに肘をついて顔の前で手を組んでいた。

 私と高良ママはお互いに目が合って、なんとも言えない愛想笑いを浮かべる。


「まず、どういうことなのか……説明してくれないか」


 数分続いていた沈黙を破ったのは、高良パパのどこか緊張した声色だった。

 そこからまたみんな押し黙って、いつもなら率先して何か言いそうな高良が一番、言葉を失くして今にも泣きそうな顔を浮かべていた。

 だから……ここは自分が言うしかない、と覚悟を決めて口を開く。


「少し前から、お付き合いをしています」


 真っ直ぐに伝えた私の言葉に驚いたのは高良パパだけじゃなくて、隣の椅子に座る高良も驚いて顔を上げた。


「…伏見」

「先にお伝えしておきます、これは気の迷いとかじゃないです」


 今の私にできる精一杯の誠意で、高良の手を握りながら伝えれば、高良パパの眉間のシワは深まる。高良ママは困った顔で微笑んだ。

 この時の、高良パパの口を開くまでの時間は、今思い返しても人生で最高にドキドキして気が重たくなる時間だった。


「……ママは、どう思う」


 彼はまず先に自分の隣にいる高良ママへ意見を仰いで、


「うぅん……そうねぇ。ママはふたりが幸せなら、それでいいと思うな」


 頬に手を当てて悩ましい声を出しながらも、最終的には受け入れてくれた高良ママを複雑な表情で眺めた高良パパは、また顔の向きを前に戻して手を組んだ。


「……わかった」


 ため息混じりに声を出して、テーブルの上に手を置いた高良パパを、未だ緊張感を持って眺める。

 握り合った手は汗ばんで、次に続く言葉をソワソワしながら待つ。


「僕も、海姫まりんが幸せなら…それでいいよ」


 その言葉を聞いて高良はホッとしてたけど、私はどうしてか手放しには喜べなかった。

 多分、諦めの混じった言い方と……高良ママのように“ふたりが”と言わなかった、その些細な言葉の違いから、無意識のうちに敵意のようなものを汲み取ってたんだと…今なら思う。

 ただ、これを言われた瞬間は違和感だけがこびりついて理由までは分からなくて、高良が安心したことが何より私の安心材料にもなって、考えることをやめてしまった。

 さすがにその日、そのまま泊まることなんてできなくて、夜も遅かったから高良パパの車で送ってもらうことになったんだけど。


「パパ、わたしも行きたい…」

「夜は危ないから。僕だけで行ってくるよ。海姫はママと家で過ごしててくれないか」

「でも」

「それに……伏見さんとふたりで話したいこともあるんだ」


 玄関先で、私に笑いかけた高良パパの目は笑ってなくて……車に乗る前からもう恐ろしい気配をひしひしと感じていた。

 高良も交際を許してもらえた手前、強気に出られなかったんだろう。不安げな気配を残しつつも、引きつった笑顔で見送ってくれた。


「さぁ、行こうか」

「……はい」


 こんな時でも紳士で、丁寧に助手席のドアを開けてくれた高良パパにお辞儀をして、車に乗り込む。

 家までは徒歩でも帰れる距離だから、車だと数分程度ですぐ着いて、運転している間ずっとお互い無言の時間を過ごした。

 ……どうしよう。めっちゃ気まずい。

 着いたはいいものの、相手から何も言われないから降りていいのかも分からず、ただただ俯いて膝の上で拳を作る。


「…海姫とは、いつから付き合ってるんだい?」


 先に口を開いてくれたのは高良パパで、彼は私が変に緊張してることを察してか努めて優しい声をかけてくれた。


「……夏休みの、途中からです」

「そうか。じゃあ……まだ付き合って一ヶ月とか、そのくらいかな?」

「はい…そのくらい、です」

「海姫はマイペースなところもあるから、大変な時もあるだろう?その辺りは、大丈夫かい?」

「…はい。そういうとこも含めて……その、好きです」

「そうか…」


 単に心配してるのか、探ってるだけか。

 どちらとも言えない微妙な質問が続いて、極度の緊張から喉が渇いて張り付くような感覚に陥る。

 変なことを言ったら、別れさせられるかもしれない。

 そう思うと、慎重に言葉を選びすぎて……何かひとつ発言するだけでも、怯えすくんだ。


「…父親の僕が言うのも、なんだけど」

「は、はい」

「海姫は、特別に可愛いだろう?顔も、性格も」


 あ。めっちゃ親バカなんだな…この人。とか呑気な感想を抱いて、勝手に和む。実際にそうだから、これに関しては何も言えなかった。


「だから将来、誰かと交際する事は覚悟してたんだ。…あんな可愛い子を、世の中の男が放っておくわけがないからね」

「は、はあ……そう、ですね…」

「まさか女性の君まで惚れるくらいだなんて、想像もしてなかったよ。はは」


 高良パパはそう言って力なく苦笑したけど、私は笑えなかった。

 無理した笑顔が痛々しすぎて、罪悪感で心を抉られる。


「……別れろと言うつもりはないんだ」


 ハンドルを握り締めて、深く目を閉じた後で彼は私の方を向いた。


「ただ、僕は将来…海姫の子供の顔が見たい。可愛い娘が産んだ孫に会ってみたい。……これは、父親としての正直な想いだよ」


 それは実質的に、「子供を儲けられない君との交際は認めたくない」と……そう言ってるようなものだった。

 悲しいことに、共感できるからこそ辛い。

 もし私が親でも、きっと同じことを思ってた。…高良ほどの可愛い女の子を子供に持ったら、そりゃ誰だって孫の顔も見たくなる。

 ……私が男なら、そんな葛藤もさせずに済んだのに。

 現実は、どう頑張っても女で……子供なんて作れない。結婚さえ、できない。


「別れろとは、言わない。…でも、もう一度よく考えてみてくれないかな」


 今度はよりはっきりとした意思を持って、真っ直ぐに伝えられる。


 言葉ひとつひとつ、全部。


 心に刺さって痛い。


 はい、とも…いいえ、とも言えなかった。


「…こんな事を言って、すまない」


 高良パパは、最後に辛い顔で謝って、わざわざ降りて助手席のドアを開けてくれた。

 私はもうかける言葉も見つからなくて……軽いお辞儀だけして、自分の家へと帰った。


「ただいま…」

「あら、おかえり。今日は泊まりじゃなかったの」

「……喧嘩?」

「あー…うん。ちょっとね」


 帰宅を伝えるためリビングに顔だけ出して、こんな時は察しのいい妹の存在が嫌になってしまいながら、誰とも同じ空間にいたくなくて部屋へと戻った。

 入ってすぐベッドの毛布に潜り込んで、唸る。

 涙こそ出なかったものの、心は泣きたいくらいに辛くて、ただただ枕に向かって唸った。


 私と居たら、高良は平凡な人生を歩めないんだ。


 男相手なら当たり前に出来た結婚や、きっとあの高良が産んだら男だって女だって可愛いであろう子供を作ることも、何もかも叶えてあげられない。

 口癖のように「結婚して」という彼女だから、結婚願望があるかどうかなんて……考えなくても分かる。

 同性同士の交際は、なんて生産性がないんだろう…そんなことも、過ぎってしまった。


 いやずっと、分かってたことだった。思ってたことだった。


 ただそれが現実となって、突きつけられただけ。

 …だから、高良パパは何も悪くない。

 私達がどれだけ体を重ねても、時を重ねても、その先には何も産まれない。それなら、一緒にいるのも無駄なだけなんじゃ…?なんて、暗いことばかり考える。


 高良のことは、大好きだ。


 だけど現実問題……それだけでやっていけるとは思わない。現に、今すでに大きな壁にぶち当たってしまった。

 クラスのマドンナという、誰もが切望する存在を、私ひとりの手によって閉じ込めてしまうのは、もったいない気もした。


「……別れ、か…」


 高良パパは高良のことを想って、高良のことを本当に愛してるからこそ、無理に別れさせることをしなかったんだろう。高良から、最愛の人と引き離すことまではできなかったんだろう。

 そんな娘想いの心優しい人を苦しませてまで、付き合い続けるのはどうなのかな。

 ……高良に相応しい相手は、もっと他にいるんじゃないかな。

 ずっと引っかかってた闇が、心をじわじわと蝕んでいく。

 たくさんの選択肢があれば、そのことに高良自身が嫌でも気付いてくれれば……私の存在も霞んでくれるかもしれない。

 それに、別れようって言って素直に応じてくれるとは思えないから。


 こうして、私の中でひとつ。


 嫌な発想が、浮かび上がってきた。























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