第19話「どうしてもふざけちゃう」





























 晴れて恋人同士になった、その日の夜。


 なんとなくの流れで高良が泊まることになって、そうなるとあれやこれやを意識してしまう私達は、ベッド脇でふたり。


「……」

「……」


 どうしていいか分からなすぎて、耳が痛くなるほどの沈黙を続けた。

 …と、泊まるってことは、つまり、そういうことだよね。

 期待で胸は膨らむものの、はたして交際初日に手を出すのはいかがなものかと、生真面目な性格が邪魔をして思い悩む。

 せめて一ヶ月くらいは、待ってあげた方がいい?心の準備的にも……いやだけど、高良はド変態だから、逆に何もされないと不満になっちゃうかな。

 色んな意味で悶々として、自分ではどうにもうまく落ち着けられない心臓が、熱く滾った血液を巡らす。


 き、キスくらいなら、してもいいかな。


 結局、欲望には叶わなくて…邪な企みを持って、隣に座る高良を見た。彼女は俯いて膝に拳を乗せたままじっとしていた。


「と、時に高良さん」

「な…なにその声のかけ方。他にあったでしょ」

「……ごめん」


 緊張しすぎて、うまく話しかけることすらできない。


「あ、お…お風呂とか、どうしますか」

「い、今は……大丈夫…」

「う、うん。そっか」

「え、えっと…入ったほうが、いい…感じ?」

「お、お風呂は、別に後でも…」


 それでも頑張って話しかけては、お互い無言になるという時間を、無意味に過ごした。

 ……思ってた以上に恥ずかしいぞ。

 恋人になったら、高良の方から今まで以上に遠慮なくグイグイ来てくれるもんだと思ってたから、自分はそれに乗っちゃえばいいやなんて軽い気持ちでいたけど……全然来ない。

 付き合う前までの、あのしつこさはなんだったの?ってくらい何も仕掛けてこない。


「ゆ、浴衣……疲れない?着替えなくて、平気?」

「へ…へいき」

「私が脱がせようか?な、なんて…」

「あ、ぅ……は、恥ずかしいから、大丈夫です…」

「そ…そうだよね。ごめん」


 下心無しでふざけてみても、この通り。

 いつになく乙女な高良は心臓を刺激してくるから厄介で、この高ぶる感情をどこにぶつけたらいいか分からなくて戸惑った。

 いや……ここは正直に、素直に、お願いしてみよう。


「……キスさせて…くれませんか」

「むりです」

「おい。即答はさすがに泣くぞ、泣いちゃうぞ」

「だ、だって恥ずかしいんだもん!」

「え……し、したくない…とかでは、ないよね?」


 傷付いた心で念のため確認したら、高良は何度も忙しなく瞬きをして頷いた。


「し、したい…よ、そりゃ…」

「じゃあ、その、しません…?」

「う……うん。し、します、がんばります…」


 ようやく許可をもらえるとこまで行けて、胸を撫で下ろす余裕も暇もなく、さっそく高良の肩を抱いた。

 おそるおそる体ごとこっちを向かせて、未だ目線は伏せたままの相手と目を合わせたくて、ぎこちなく首を傾けた。

 長いまつげが持ち上がって、私を見る。

 視線が絡んだだけで、尋常じゃないほどの汗が吹き出した。


「……ほ、ほんとに、いい?」

「う、うん…」

「す…するよ。いいの?」

「っす、するなら早くして」

「は、はい!…い、いきます」


 目をギュッと閉じたのを確認して、顔を近付けてから私も瞼を下げる。

 肩に置いた手には力がこもって、耳の奥で心音が聞こえるほどに高鳴った心臓は、痛いくらいに収縮した。

 息を止めて、唇の先を前に突き出す。


 ふわり、と。


 一瞬だけ、驚くほど柔らかい感触が唇に触れた。


 いつだか手で触った時も思ったけど、高良のそこはふにふにしてて、リップでちょっと湿ってるのがこれまた欲望を煽る。

 顔を離せば、お互いほとんど同じタイミングで目を開けて、潤みきった瞳の中に相手の姿を映した。

 

「……もう一回、いい?」


 盛り上がった気持ちを抑えられなくて、聞くと同時にまた顔を寄せたら、手のひらを向けられて拒否される。


「ち、ちょっと待って…」

「ど…どうしたの」

「これからキスするたびに、一回ふたりとも深呼吸タイム挟むみたいなルール作らない…?」

「なにそのシュールなルール」

「そうでもしないと、心臓おかしくなりすぎて死んじゃう…」


 言葉通り、本当に辛そうな挙動で深く呼吸を繰り返した高良が落ち着くまで、いじらしくて仕方ない心でソワソワしながら待った。

 私は一回キスしたら、思ってたよりすんなり次に進めそうだと思ったんだけど……彼女は違ったらしい。

 胸の辺りを押さえて、大きく息を吸っては、震えた吐息を空気中に溶かす作業を、何度も続けていた。…普段の、下ネタ連発したりする下品な女の子はどこに行ったんだろう。


「もうずっと、軽くイキそう。なんなら脳イキしてるかも。ってことは、これ…実質セックスじゃん」

「普通に健在だったわ」

「なんの話?」

「ごめん、こっちの話。…それより汗やばいから、お風呂行っておいで」

「そういうお誘い?待って。まだ心の準備が……体の準備は万端なんだけど」

「なら問題ないですね。はい、いってらっしゃい。戻ってきたら冗談も言えないくらい抱き潰してやる、人が真面目に頑張ってんのにふざけやがってこのやろ」

「ご、ごめんなさい」


 ほぼ撫でるくらいの弱い力で額を叩いたら、彼女はその額を押さえて涙目になって謝った。

 捨てられた子犬みたいなうるうるの瞳と上目遣いに心やられて、つい了承も得ずに相手の頬を包み込んで唇を奪った。


「……やっぱり、お風呂なんて行かないでいいよ」


 このまま襲っちゃおうかな…そんな気持ちになってきて理性を手放した私を、高良の震えた手が止めた。


「せ、せめて、汗は流させて…」


 私の口元を覆った彼女が、眉を垂らしきった情けない顔で呟く。

 目の前にあった、じっとりと滲み出た汗で肌にひっついた横髪を、指の腹で拭うようにして耳にかけた。さっきよりも顔がよく見えると、私の視線から逃げるように顔を伏せられる。

 さり気ない仕草ひとつひとつに、心臓が反応してしまう。


「すみません、高良さん……汗、舐めたいです」

「ち、ちょっと待った。初手からハードすぎない?わたし一応、これでも初めてなんです……お手柔らかにお願いします…」

「ごめん、興奮しすぎて……つい」

「いや、まぁ……いいけど…」

「いいのかよ。相変わらずちょろいな」

「え、だって好きな人に変態的なプレイ強要されるのって、普通にえろくない?」

「…確かに。めっちゃエロいかも」

「でしょ?だからわたしは別にちょろくない。先にえっちなこと言ってきた伏見が悪い。謝って」

「すみませんでした…」


 これはさすがに私が悪い、と認めてペコリと謝罪して、なんだかすっかりいつもの調子で……やらしい雰囲気でもなくなっちゃったから今日のところは諦めることにした。

 高良も高良で、心の準備ができてないのは本当だったらしくて、致さなくて済んだ空気感にホッとしていた。

 ……そういう反応、地味に傷付くんだけどな。

 恥ずかしいのは分かるけど、高良の体に触れられる未来が断たれた気がして内心落ち込んだ。


「私が先にシャワー浴びてきます…」

「あ、うん……いってらっしゃい」


 頭を冷やしに行くため、一度部屋を出た。


「……あ。パジャマ忘れてた」


 だけどすぐ、思い出して自室に続く扉を開けたら、


「はぁ〜……んん、やば。まじいい匂い…」

「おいちょっと待て」


 私の前ではとことんエロから逃げようとしていた高良が、この一瞬で人の枕に顔を埋めてモゾモゾしてるのを目の当たりにして、思わず低い声が出た。

 ズカズカと歩み寄って、うつ伏せから起き上がろうとした高良の上に覆い被さる形でベッドシーツに手をつける。


「お前…人が我慢してんのに、自分だけずるいぞ」

「っだ、だってムラムラしすぎてやばかったんだもん!軽く匂い嗅ぐくらい許してよ!」

「こっちだって色々やばいよ!もうこのまま抱かせろ、今すぐに!」

「やん…っ、は、初めてなんだから優しくして!」

「そんな余裕ありません!ごめんなさい!そこは許してください、次から優しくするから!」

「う、うぅーっ……そんな積極的に来られたら心臓止まっちゃうってば!わたしまだ死にたくない!」

「んな大袈裟な…ぅわっ」


 勢いだけで胸元に手を置いた私の体を思いきり後ろへと追いやって起き上がった高良は、そのままベッドを降りて部屋から飛び出した。

 そ、そんなに、逃げるほど…?って、心抉られたけど、無理やりすぎたかなって落ち込むよりも先に反省する気持ちが湧いた。

 ……もっと、余裕ある時に触ろ。

 高良の身も心も傷付けないように、焦らず行こうと密かに決意する。これからまだまだ、高良といられる時間はたくさんあるんだから。

 高良も今はあんなんだけど、そのうち慣れてくれるはず。


 その後、お風呂に入ってきたらしい高良と入れ違いで私も湯船に浸かって心を穏やかにさせて、


「…さっきはごめん、高良」

「……わたしもごめんなさい…」


 同じベッドの上、変にドギマギした気持ちがなくなってくれたおかげでふたりとも素直に謝ることができて、無事に仲直りをした。…喧嘩したわけではなかったけど。


「少しずつ、慣れていこう?…もう無理やりなことは、しないからさ」

「うん……テンパっちゃって、ごめんね」

「いいよ。…でも、キスの時くらいはふざけないでほしいな」

「…がんばる」


 私の腕の中で、拳を握ってやる気を見せた高良が可愛くて、そっと背中に腕を回す。


「今、キスしていい…?」

「だ…だめ」

「うん。するね」

「ちょっと!わたしの話聞いてた?だめって言っ」


 これ以上は埒が明かないから唇を塞いで言葉を遮れば、相手の体の怖張りが増して、強く服を引っ掴まれた。

 それも、数秒すれば力が抜けていく。

 顔を離したら、高良は眉を垂らして涙で潤んだ瞳で睨んできた。


「……だめ、って…言った」

「すみません、よく分かりません」

「へい、伏見。キスしないでって言ったのにされた時の反応」

「検索結果はこちらです……っておいふざけんな。私はAIじゃないです、そんな機能ないです」

「わたしへの“AI”はあるけどね」

「やかましい。…はぁ、もう寝よ」


 こいつだめだ、一生止まらん。

 そういうとこも全然……好きなんだけど、それがまた悔しいところ。

 そんなこんなで私達は、付き合っても関係性は大きく変わらないまま。その日は晴れて恋人同士になれたというのに、ムラムラもせず眠りについた。

 

 


 


















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