第21話「マドンナの母親」
私は、言いました。
バイト先には絶対に、どんだけ気になっても遊びに来るなと、散々言って聞かせました。
その結果が、
「すみません……伏見って商品、ありますか?」
「……うちでは取り扱いないですね」
普通に来た。
品出し中に後ろから声をかけられて、盛大にため息を吐き出す。
いやこうなる事は予想できてた。あの高良が、働いてる場所を知ってなお来ないなんてことはありえないって分かってた。
だけど、いくらなんでも早すぎる。昨日の今日だぞ。
「お持ち帰りとかできます?伏見を」
「テイクアウト対応してないんですよ」
「温めお願いします、ハグで」
「できません。お前を電子レンジにぶち込むぞ」
「どこかにぶち込まれるより、わたし自身にぶち込まれたいです…」
「うん、はい。もうお客様、迷惑なんで出禁にしときますね」
「じゃあせめて最後にスマイルひとつください」
「ご来店ありがとうございました〜」
「きゃ、かっこいい〜!…ごめんなさい、写真撮りたいからもう一回いいですか?チェキの列ここで合ってます?」
「チェキの列なんてねえよ、帰れバカ」
振り向きざまに愛想笑いを浮かべた私に興奮した様子の高良を軽く引っぱたいて、肩を掴んで回れ右させる。
「え、なに……バックハグしてくれるの?そういう特典付きなの?」
「帰らせようとしてるんだよ、お出口あちらです」
「わたしの入り口はこちらです」
「なに言っ……ま、待った!こんなとこでなにしてんの、アホか!」
「えへ」
きっと人が止めるところまで狙って、大胆にも履いていたミニスカの裾を持ち上げた高良の手首を、相手の思惑通り慌てて掴んだ。
冗談だと分かっていても、心臓に悪い。まじで焦りすぎて心臓止まるかと思った。
幸い、今の時間帯は品出し以外は暇で……来客がなかったから良かったものの、他に客がいたらパンツ見られちゃうところだった。
ちなみにもうひとりの店員はレジにいて、ここはちょうど死角になってから助かった。…声は聞こえてたかも。だとしたらヤバいな。
これ以上は聞かれないように、小声で耳打ちすることにした。
「まったく……仕事の邪魔しないでよ」
「わたしに内緒でバイト始めた伏見が悪い。こんなかわいい女の子にさびしい思いさせるなんて」
「気持ちは分かるけど……高良のためでもあるんだよ?バイト代入ったら、今度はサイズ合った指輪買うから。それで許してよ」
「……ゆるす」
「ちょろいな、こいつ」
指輪の約束で大満足したのか、彼女はお菓子とジュースをいくつか買って、さっさと帰っていった。
正直、もっと駄々こねるかと思ってたから拍子抜けではあったんだけど、ありがたいことに変わりはないからその後ろ姿を見送って、作業に戻った。
「……さっきの人、お友達ですか?」
品出しも終えてレジに戻ったら、聞かれるだろうな…とは薄々勘付いてた質問を受けて、苦笑する。
「友達です、高校の」
「へぇ〜……仲良しですね」
「まぁ、けっこう仲はいいです」
「なんか会話が夫婦漫才みたいでしたね。いつもあんな感じなんですか?」
「夫婦漫才って……いつもあんな感じです」
「伏見さんって目つきのわりにノリいいですよね」
「目つきとノリの関連性が分からない……あれ。これ今もしかして貶されてます?」
「褒めてます!見た目は黒髪ヤンキーみたいで怖そうなのに面白いなって」
「あはは。ありがとうございます…」
やっぱり聞かれてたらしいことにも、あんまり嬉しくない褒め言葉にも乾いた笑いを返した。…今度からは高良が来ても無視しよう。
あと、働きだして知ったけど、ここのコンビニはごくごく稀に学校の奴らも来るから……気を付けるに越したことはない。夏休み終わった後の、放課後の待ち合わせ場所も改めて決め直さないと。
……色々と寂しい思いさせちゃうから、会った時はたくさん甘やかそう。
お盆まではそう遠くない。あと数日もすれば、ふたりきりの時間が手に入る。そう思えば、バイトも頑張れた。
『今日、お仕事の邪魔してごめんなさい』
『次からは気を付ける』
『だいすき』
『さびしいから、バイト終わったら会いたい』
『がんばってね』
バイト終わり、コンビニを出てスマホを開いたら連投の通知が溜まっていた。
送られてきた言葉の数々に癒やされて、つい口元が綻ぶ。メッセージだと健気に見えて、この子のために今日のバイト頑張ってよかったって、素直に思えた。…いつもこうならいいのに。
『今、家?』
時刻はもう夜も近い夕方で、こんな時間から外出させるのは良くないかなって考えて、確認のためのメッセージを送った。
『家だよ!もしかして、来てくれるの?』
私の企みはまんまと読まれていて、先に言われたことに謎の悔しさを宿す。嬉しさもあった。
『行ってもいいなら』
『やった〜!来てきて!はやくはやく』
『すぐ行くから落ち着いて。今から向かうね』
『わかった、ママに言っておく!ちなみに今日はパパ出張で帰らない』
『イケメンパパに会えないのか…行くのやめようかな』
『やーだ、来て?こんな美少女に会えるんだから、じゅうぶんでしょ?待ってるね』
こうして高良の家に行くことが決まって、初印象は大事だよな……と、媚び売るためのスイーツをコンビニに戻っていくつか買った。
母親には『帰り遅くなるからご飯いらない』とだけ送って、高良が教えてくれた住所をナビで開く。
……家に行くの、初めてだ。
高良のお母さん…どんな人なんだろ。前に若い頃の写真は見たことあるから見た目は知ってるけど、怖い人じゃないといいな。
思考を巡らせてる間に、住宅街の中にある一軒家の前に辿り着いた。
『着いたよ』
『いまいく!』
メッセージを送って秒で返信が来て、数分も経たず玄関の扉が勢いよく開けられた。
「伏見…!」
姿が見えたと思ったら、もう私の腕の中へ飛び込んできていた可愛らしい存在を抱き止めて、お風呂上がりなのか僅かに湿った髪に鼻をうずめる。
「お仕事おつかれさま!」
「…ありがと」
「疲れたでしょ?おいでおいで、わたしが癒やしてあげる」
「もう癒やされたから大丈夫」
「え〜……ご褒美におっぱい触らせようと思ってたのに」
「よし、早く入ろうか。高良ちゃんのお部屋はどこかな〜?おじさん今から興奮しちゃうな〜」
「あ、ごめんなさい……わたしが触らせたいのはおじさんじゃなくて伏見なんで、お帰りください…」
人ん家の前でもいつも通りの会話を交わして、冗談も程々に、気を取り直して家の中へと招かれた。
玄関から廊下へ進んで、先に挨拶を済ませたくてまずはリビングに案内してもらう。高良の家は全体的に小綺麗で、どこもかしこも掃除が行き届いていた。
よっぽどしっかりな者なひとなんだろうな、と思うとどんな人なのかより興味が湧く。
「ママ、キツネ拾ってきた!かわいいでしょ?」
「あらあら。ずいぶん大きなキツネねぇ…」
おい失礼な、キツネじゃない…とツッコミを入れる前に、ちょうどテーブルに料理を運んでいたらしいふくよかで小柄な女性の姿を見て、言葉を詰まらせた。
恋人の母親に会うっていう緊張感もあるけど、思ってたよりぽっちゃりしてて丸いファルムだったことに驚いて何も言えなくなってしまった。
てっきり高良の母親だから、それはもうとんでもない色気美人が出てくると覚悟してたから、よくいる中年女性っぽい雰囲気に面食らう。…それでも顔は、きっとその年の人達に比べると可愛い系なんだと思う。
「キツネさんのお名前はなんて言うの?」
あとこの人、多分……いや絶対に天然だ。
「伏見だよ!さっき名付けた」
「すみません、名付けられた記憶がありません」
「人間の言葉も話せるのねぇ……最近のキツネはすごいわ」
こ、これは天然なのか、ボケなのか…どっちなんだ?両方合わせて天然ボケ?
あれ、想像してた感じと違うな。お小遣いとかも減らす人だから、もっとキツめの印象だと勝手に予想してたのに、なんかむしろ緩すぎて心配になるレベルだ。
「あ、これ……人語使えるキツネからの差し入れです。よかったら、どうぞ」
「わざわざありがとう、キツネさん」
「伏見です」
「伏見…キツネさん?」
「いやそれが下の名前じゃないです。下の名前は明楽っていいます。明るいに楽で、明楽です」
「素敵な名前ね」
「根暗で悲観的だから全然名前と合ってないんですけどね、はは」
頭の後ろをかきながら、私の自己紹介ではお決まりのフレーズを口にしたら、見事なまでにスベった。誰も笑ってくれない。心折れそう。
「すみませんでした、帰ります…」
「伏見でも面白くないことあるんだね」
「追い打ちかけないでよ…」
「まあまあ。ママのご飯でも食べて元気出して?伏見が来るからって、多めに作ってくれたの!」
肩を落として踵を返した私の背中を撫でて、高良は一回どん底まで落とした後で励ましてくれた。
せっかく用意してくれた食事を断る選択肢は無く、ありがたくいただく事にして……一旦、手洗いうがいだけしに洗面所へ連れて行ってもらった。
またリビングに戻ってからは、三人で食卓を囲んだ。
「いつも
「全然そんな……こと、ありません…よ?」
「あら、歯切れが悪いこと……遠慮なく、本当のこと言って?」
「大丈夫、ママ!迷惑しかかけてないから」
「だめじゃない。ママいつも、家族ならまだいいけどそれ以外の人にわがまま言って困らせるのは良くないって言ってるでしょ?」
「伏見は家族同然だもん。わがまま言っても許してくれるし…」
「こら!だめよ?親しき仲にも礼儀あり、ちゃんとしなさい」
「はーい…」
「ごめんねぇ、伏見さん。食事中に、目の前でこんな話して…」
「あ、いえいえ。私のことはお気になさらず」
怒られて不貞腐れた高良を横目に、普段あんまり家で出ないような凝った料理に手を付ける。
……こんなしっかりしたお母さんに育てられたのに、なんで高良はバカなんだろ。
子育てって何が起こるか分からなくて不思議だな…なんて、他の親子の日常を覗いた気分で、完全に他人事としてそんな感想を抱いた。
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