#29 充電

 小町に家まで送ってもらった俺は、部屋のベッドに仰向けになっていた。

 天井と睨めっこしながら、状況を整理する。


 ゴールデンウィークの最終日、ふーちゃんはライブをする。そして、そこに俺と稲荷を誘ってくれた。だが、稲荷は断った。

 ふーちゃんの誘いを断った稲荷。その気持ちを一番理解できるのは俺だ。

 だって俺もふーちゃんを遠ざけたことがある。伸ばしてくれた手を避けて、触れさせまいとして――しばらくの間、疎遠になっていた。


「俺だからこそできることが……あるといいんだけどな」


 と呟いて、馬鹿か、と思い直す。

 俺にしかできないことだろうと、誰でもできることだろうとも、稲荷と文ちゃんの助けになるなら何だっていい。


 ――本当にそれが望まれていることなのか?


 ふとそんな声が頭の奥で響いた。

 それは冷たくて、妙なリアリティを孕んでいる。


 何とかする、ってふーちゃんと約束した。逃げない、って小町にも誓った。

 だけど稲荷は、俺が何かすることを望んでいるんだろうか?

 俺はふーちゃんのためにどうにかしたいと思う。でも同じくらい稲荷のことも大切なんだ。だから、稲荷の気持ちを蔑ろにはしたくない。


『吾妻とは楽な関係でいたいの。疲れることは断固拒否! ゆる~くいられる時間が欲しいの』


 俺たちの『ちょうどいい同盟』は緩くて、軽くて、疲れない関係であるべきだ。しかし、俺が今踏み込もうとしている一歩は重たい。

 きっと疲れるし、疲れさせてしまう。それはちょうどいい関係とは言えないはずで――。


 そのとき、ぶるるっと枕元でスマホが震える。届いていたのはRINEの通知。メッセージの送り主は鈴木だった。


【スズ:もう4巻読んだ?】

【スズ:あ、ごめんなさい。これじゃあ意味分からないよね】

【スズ:友ラブの新刊のことです。昨日発売の】


 『友ラブ』とは、『友達とラブコメの練習をしてみる』という青春ラブコメの略称だ。どうやら鈴木の今の最推し作品らしい。かくいう俺も一巻からのファンなので、ちょっと前にRINEで熱く語っていた。


「あー、新刊出たんだっけ……」


 苦笑しながらカレンダーに目を遣る。ちょうど昨日が『友ラブ』の最新刊が発売する日だった。


【コタロー:完全に忘れてた】

【スズ:そっか……吾妻くんも忙しいもんね】


 文章から残念がっている様子が伝わってきた。

 鈴木のことだ。発売当日だと俺が読み終わっていないかもしれないと考えて、一日待って連絡をしてきたのだろう。まだ小町ほど気軽に声を掛けてくれるわけじゃないからこそ、どれだけ鈴木が話したいと思っていたのかが分かる。


【スズ:あ、気にしないでね】

【スズ:義務感で読ませちゃうのは違うと思うから】

【スズ:でも早く読んでくれたら、友ラブ談義ができて嬉しいかな……と思ったりもします】

【スズ:ごめん、面倒臭いテンションになっちゃってるかな?】


 らしくないな、とまだ付き合いが浅いながらに思う。ここまで前のめりな鈴木も珍しい。それでも一歩身を引いて、ちょうどいい関係を保とうとしてくれているわけだが……。


「鈴木なら分かるか?」と呟く。こうやって軽い関係を維持しようとする鈴木なら、俺にヒントをくれるかもしれない。


【コタロー:ちょっと電話とかできたりするか?】

【スズ:できるけど……どうかしたの?】

【コタロー:鈴木に相談したいことがあって】

【スズ:? よく分からないけど、かけていいよ】


 よく分からないのに受け入れてくれる辺り、軽いんだよなぁ……。

 バッテリー残量が少ないことに気が付いた俺は、スマホを充電コードに繋いでから電話をかける。少し発信音が続いた後、鈴木が出た。


『ええっと、もしもし。吾妻くんで合ってる?』

「合ってる」俺は苦笑する。「RINEなんだから間違えようがないだろ」

『そうなんだけどね。吾妻くんに相談されるとは思ってもなかったから、別人なのかなって疑いそうになるんだよ』

「俺をなんだと思ってるんだ」小さく笑う俺。


 電話の向こうから『確かに』と可笑しそうな声が聞こえた。


『それで、相談って何かな? ……もしかして祈里ちゃんと関係がある?』

「っ、どうしてそう思うんだ?」

『特に根拠はないよ。ただの勘だけど……吾妻くんの反応を聞く限り、間違ってなかったみたいだね』

「……そうだな」大人しく認める。「えっと、どこから話すべきか……」


 いきなり『稲荷に踏み込んでいいと思うか?』なんて聞いたところで、意味が分からないだろう。かといって、正しく伝えるためにはふーちゃんと俺の関係や、稲荷とふーちゃんの間に起こった出来事まで話す必要が出てくる。

 俺が迷っていると、鈴木は微笑交じりに言った。


『吾妻くんが私に話しておきたいことだけでいいんじゃないかな。全部を知りたいとも何一つ知りたくないとも言わないから』

「…………」

『私たちって、お互いのことをまだ何も知らないでしょ? だから何を隠しても、フェアでいられると思うな』

「……鈴木って理解のある彼氏って感じがするよな」

『そこは彼女でいいんじゃないかなぁ……』呆れて笑う鈴木。『あっ、別に吾妻くんの彼女になりたいって意味じゃないよ?』

「分かってるって。そんな勘違いはしない」


 鈴木も勘違いしないでいてくれるのだろう。俺がどこまで話しても、そのことに意図と違う意味を勝手に見い出したりしない。


「じゃあ聞いてくれ」


 と言って、俺は話し始める。

 ふーちゃんが俺の幼馴染だということや、ふーちゃんと稲荷がギクシャクしてしまっていること。そして、俺が二人のために何かをしたいと思っていること。鈴木にはほとんど全てを伝えた。もちろん一部ディティールは省いているし、伝え忘れていることもあるだろう。だがそれでも、何を隠してもいいと言ってくれた鈴木になら何でも話すことができた。


「ラブコメなら主人公がヒロインを救ってハッピーエンドだよな。でも、俺たちの関係はそうじゃない。物語にならないような軽くて緩い――だからこそちょうどいい関係のはずだ」

『うん、そうだね』

「……だったら俺は稲荷に何もしないべきなのか? 踏み込んだら、重くて面倒な関係になると思うか?」

『…………』

「そんなの」と言う声が掠れてしまう。「――稲荷は望んでないと思うか?」


 電話の向こうの鈴木は、しばらく何も言わなかった。けど無音ではなく、微かな吐息や物音が聞こえる。

 きちんと考えてくれてるのだと分かったから、答えを急かす言葉は出てこない。

 やがて鈴木は、『ねぇ吾妻くん』と言った。


『ビデオ通話ってできる?』

「えっ」いきなりだった。「……まぁ、できるけど」

『じゃあ、顔を見ながら話そう。そのほうが私の言いたいことが正しく伝わると思うから』

「お、おう」


 言われるがままにカメラをオンにする。ほぼ同時に鈴木の顔も映った。部屋の中だからなのだろう、いつもより気の抜けた恰好をしている。


『酷い顔だね』開口一番、鈴木はそう言った。

「いきなりそれかよ」

『吾妻くんの顔、見たかったから』


 鈴木は嬉しそうにはにかむ。やっぱり人の顔を見るのは好きらしい。今の俺の顔でも見たがるなんて、だいぶ変わり者だと思うけど。


「酷い顔なのに、見てて楽しいか?」

『楽しくはないけど、嬉しくはあるかなぁ』鈴木は優しく言う。『不安になるのは、大切に思っていることの裏返しだろうから』

「――っ」


 鈴木は画面越しにこちらを見つめていた。

 その目を見ていたら、陳腐な言葉は引っ込んでしまう。


『だけど、今の吾妻くんと祈里ちゃんはどうせだんだん疎遠になっていくと思う』

「そう……思うか?」

『思うよ。だって今みたいに延々と続けるのは苦しいでしょ? きっと祈里ちゃんも吾妻くんと同じように悩んでる。今のままでいたら、二人とも全然ちょうどよくないよ。だから、いつか必ず疎遠になる』

「そんなことは――」


 否定しようとする。でも、ありえそうだと思ってしまった。ゴールデンウィーク中に稲荷がうちへ来ないことが決定しているのだ。これがもっと伸びれば、容易く疎遠になる。

 今は逃げまいと思っている俺も、いずれ『お互いのためだから』と嘯き、疎遠になっていくことを肯定してしまうだろう。


『結局、『どういう関係だ』って雁字搦めになっている時点でちょうどよくないんじゃないかなぁ』

「じゃあ、もう諦めるしかないのか?」

『違う、違うよ』


 そう口にする声は、叱ったり教えたりするのではなく、むしろ鈴木自身が何かを確かめているように聞こえた。


『本当にちょうどいいなら、少しくらいちょうどよくない距離感も『たまにはいいか』って思えるんだよ』

「――っ」

『だから、吾妻くんはやりたいようにやればいいよ。祈里ちゃんがそれを嫌だと思うなら、薄っすら疎遠になっていくのが二人にとってちょうどいい答えなんじゃないかな』


 諦観じみた考え方だと思う人がいるかもしれない。だけど、俺は鈴木の言葉に心から納得できた。

 少なくとも俺は、ちょうどいい距離感を保つために誰かに我慢を強いたくはない。……たとえ我慢をすることが人と関わるために必要なことだったとしても。


「……鈴木の言う通りだな。このままだったらどうせ疎遠になるんだ。望まれてるかどうかなんて気にしてもしょうがない」

『うん。……まぁ、祈里ちゃんが吾妻くんを嫌がるとも思わないけどね』

「そうか?」

『どうだろう』鈴木が苦笑する。『今のは勘だから、参考にしちゃダメだよ』

「勘かよ」


 俺はくすっと笑った。鈴木もつられて、くつくつと笑う。


「俺のやりたいようにやってみることにするよ。この件を解決しないと、『友ラブ』も読めなさそうだしな」

『早く解決してくれると嬉しいな』

「圧が強い」ぷはっ、と噴き出す俺。「ま、解決できなかったら『友ラブ』を読んで可愛いヒロインに傷を埋めてもらうから安心してくれ」

『それは普通に最低だけどね……?』

「それはそう」


 それから俺は、鈴木としばらく雑談を交わした。重い話だけをして終わるのはもったいない気がしたのだ。

 一時間ほど経って鈴木が『友ラブ』のネタバレをしそうになってきたので、電話を切り上げることになった。電話を前に俺は言う。


「今日は重くなっちゃってごめんな」

『確かにだいぶ面倒ではあったけど……』ふっと微笑を浮かべる鈴木。『でも、たまにはこういうのもいいかなって思えたから』

「ちょいちょい『友ラブ』を読めって圧をかけてくる鈴木もたまにはいいなって思ったぞ」

『それはちょっと違うんじゃないかなぁ……?』

「かもな」肩を竦めてから、続けて言う。「じゃあ、また今度」

『うん、また』


 通話が終了し、俺はバッテリーが100%になったスマホを充電コードから外す。

 握ったスマホは、少しだけ熱を帯びていた。

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