#38 疲れるけども

「あぁぁぁ~! 疲れたぁ……」

「あはは、おつかれさま~」


 その日の放課後、俺は稲荷と二人で家に帰ってきた。口を衝いた声が想像以上に疲れ切っていたので、自分でも驚く。稲荷の声にもどこか同情が混じっているように聞こえた。


「ふーちゃんと一緒に過ごすのって、こんな感じなんだな……」

「あはは」と稲荷が苦笑する。「吾妻は久々だもんねぇ~。文ちゃんはいつもあんな感じだよ」


 色んな出来事を思い出し、「マジか」という言葉が口を衝く。

 今日は、ふーちゃんや稲荷と過ごす時間が多かった。朝は三人で登校し、休み時間も二人が俺の机のところまでやってきて……。竜二が意味ありげな視線を向けてきたほどだ。


 二人と時間を過ごせたのは、本当に楽しかった。

 だけど、それはそれとして――


「一日中、目立ちっぱなしだったんだよなぁ」

「それ! 文ちゃんの半径2mは常にスポットライトが当たってるんだよ! 全世界が文ちゃんに注目するっていうか。まぁ、銀河一キラキラしてる文ちゃんに注目しない人なんていないに決まってるんだけど!」

「ちょ、待て待て」めちゃくちゃ早口な稲荷を制止する。「強火オタクすぎるだろ……」

「強火オタク言うな!」


 恥ずかしそうな顔で言い返してくる稲荷。そう言われても……と俺は苦笑した。

 とはいえ、稲荷の言いたいことは理解できる。俺もふーちゃんの強火幼馴染だからな。


「でも、朝のあれはあたしでもびっくりしたよ」

「朝の……ああ、応援か」

「そうそう~。陸上部の子たち、幸せ者すぎるでしょ!」

「それはそう」と言ってから、はたと気付く。「いや、稲荷は体育の時間とかに応援してもらってるだろ」

「あっ、バレた?」てへっと舌を出して笑う稲荷。


 朝の件は、しばらく話題になっていた。陸上部を羨む声は多く、中には『依頼すれば応援にきてくれるのでは』と画策している部活もあるらしい。

 ふーちゃんの場合、頼まれたら本当に行きそうだ。部活に入れない分、少しでも青春らしいことをしたいと思うだろうから。


「その後も俺は大変だったんだぞ。稲荷はふーちゃんといたから今まで通りだったかもしれないけど」

「あ~、めっちゃ質問されまくってたね。人気者になれてよかったじゃん!」

「嬉しくないっつーの。……気が休まる暇がなかったんだからな?」


 覚悟していたことではあるが、今日は丸一日、ずっとふーちゃんや稲荷との関係を訊かれ続けた。最初は竜二もフォローに入ってくれたが、他のクラスや学年からもやってきているのを見ると、無情にも見捨てて行きやがったのである。


 おかげで今日はもう、ヘトヘトだった。

 ブレザーをハンガーにかけた俺は、ぐぁーってソファーに倒れ込む。


「S級美少女ってすごいわ」

「ちょっと~? B級美少女もいるんですけど?」と稲荷がつま先で俺をつついてくる。「あたしとのことも、ちょっとくらいは質問されたでしょ~?」

「んー」俺は言われて考える。「……まぁ一割くらいは?」

「少なくない!? もうちょっとあったでしょ!」

「ふーちゃんとセットで訊かれたのを含めれば、三割はいたかもな」

「加算されたのにあんまり多くない! 知ってたけどさ!」


 がっくし、と稲荷が肩を落とす。

「ちょっと~。あたしの定位置!」とソファーを占領する俺を咎めてくる。しょうがないので半分空けてやると、背もたれにぐでーって寄りかかり始めた。俺も気が抜けっぱなしなので、同じような姿勢になる。


「実はあたしも、今日はけっこ~疲れてるんだよね」

「そうなのか?」

「うん」と頷く稲荷。「だって、昨日の今日だよ!? しかも文ちゃんにあたしがファンだって隠すのもやめたし……なんかこう、毎秒ファンサすぎてやばい」

「やっぱり強火オタクじゃねぇか!」

「違うのっ! ファンと親友の狭間で情緒がぐわんぐわんになってるの! セツジツな問題なんだってば!」


 稲荷がぐっと身を乗り出してきた。やたらと真剣な顔なのがめちゃくちゃ笑える。

 が、稲荷にとってはあまり笑い事ではないみたいだった。

 ――気持ちは分からないでもない。

 稲荷ほど熱烈なファンではないから、俺はそこまで揺れずに済んでいる。だけど、昨日のライブで魅せられた分、変な気持ちにはさせられていた。


「お互いに大変だよな、ふーちゃんと一緒にいるのは」

「それはそうだよ。だって文ちゃんはな女の子なんだから」

「だな。……俺たちと違って」


 今日だけでも、何度思い知らされたことだろう。

 俺たちはふーちゃんと釣り合っていない。俺が彼氏だったとしても誰も信じないだろうし、稲荷はふーちゃんのおまけになってしまう。それでも一緒にいたいと祈るなら、背伸びをし続けなくちゃいけない。

 けれど、


「それでも好きなんだよな」「それでも好きなんだよね」


 俺たちの独り言は当たり前みたいにダブった。

 背伸びをせずにはいられないし、疲れたなって思うときもあるだろう。だけど、それは好きじゃなくなる理由にはならない。


「ぷっ」稲荷が噴き出す。「あたしたち、文ちゃん馬鹿だね」

「それな。こればっかりはしょうがない」

「うんうんっ。文ちゃんを好きにならないほうがおかしいし!」


 くつくつと俺たちは笑った。

 確かに疲れはした。でもこの疲れは、小さい頃に公園でめいっぱい遊んだ後に感じるような――楽しくて心地いいものだから。


 ひとしきり笑い止むと、稲荷はこてんと俺の肩に頭を預けてきた。

 髪が耳に当たり、くすぐったくて身を竦める。俺が稲荷の方を向くと、甘い瞳が見つめ返してきた。


「あたしは吾妻のことも好き……だけどね?」

「――っ」


 あざといほど甘ったるい声。

 そういうスイッチが入ったんだな、とすぐに分かった。いや、そういう気分になっていたのはもっと前からだろう。

 何せこうして稲荷と家に帰ってきたのは、


【いのり:今日の放課後、イチャイチャしよ?】

【いのり:三回目】

【いのり:ダメ?】


 という昼間に届いたメッセージがきっかけだったから。

 怠けた猫みたいなトーンで稲荷が言ってくる。


「今日はお互いに疲れてるし……あんまり疲れない姿勢でゆる~くシよ?」

「ジュースでも飲みながら、な」

「うん、お菓子でも食べながら」


 ちゅぷ、と稲荷に首元を舐められる。くすぐったさと気持ちよさが混ざったまま、モクモクとせり上がってきた。


 ゆる~くダラダラとエッチをするなら、わざわざベッドを使わなくてもいいだろう。

 脱いで、脱がされて、ソファーに座ったまま稲荷と繋がる。稲荷を後ろ向きに抱き絞めると、繋がってる場所もぎゅってキツくなった。


「んっ……これ、めちゃくちゃよくない? ジュース飲んだりお菓子食べたりできるし、無限にエッチできそ~」

「言ってることがやばすぎる」

「むぅ。吾妻にしか言わないもん――ひゃっ!? ……お、おっきくなった?」

「~~っ、そういうことを言うなっての」


 ぎゅうぎゅうと締め付けられるほどに、より存在を主張しようとしてしまう。隔たりがなくなったのかと錯覚するほどに熱くて暑かった。


「……全然ゆるくないっていうか、もう出そうなんだけど」

「えへへ。出していいよ? ……今日はいっぱいするつもりだし」

「っ、またそういうことを――ッ!」


 もう堪えきれなくなって、どくどく、って弾ける。稲荷は気持ちよさそうに目を細め、びくびくと肩を震わせた。

 そして、少しだけ大人びた微笑を浮かべて、言う。


「じゃあ、もう一回ね?」

「――ああ」



 ――結局その後、俺たちは夜になるまで繋がり続けた。

 コンドームとポッキーひと箱ずつ、ポテトチップス一袋、それからジュース一本が空になったのだった。

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