#42 体育祭の実行委員
熾烈な(?)玉子焼きバトルを終えた午後。
激しい戦いに疲労した俺は、眠くて仕方がなかった。……まぁ『激しい戦いに疲労した』ってのは嘘で、『いっぱい食べた』のが睡魔の理由なんだが。
ふーちゃんは玉子焼きの他にも、色んなおかずを分けてくれた。『既にお弁当を作ってもらっているようなものでは?』とも思ったが、ふーちゃんの中では違うらしい。
曰く、
『私のお弁当だけでお腹いっぱいになってほしいのっ! ……って、勝手かな?』
とのこと。
ふーちゃんって、意外と独占欲が強いのかもしれない。いや、独占欲は違うか?
「くあぁぁ……」
とにかく眠い。それが問題だ。
おまけに五限は一番退屈な、歴史総合の授業だった。社会科の尾木先生の声には催眠効果があるんじゃないかとさえ思う。
右から左に、授業の内容が流れていく。
……まぁ、教科書を暗記するのは得意だし、問題ないか。尾木先生は授業態度に厳しい人でもない。周りの迷惑にさえならなきゃ、多少の居眠りくらいは許されるだろう。
うと、うと、と船を漕ぐ。
午睡に誘おうとする睡魔は甘く、だんだんと俺は落ちていって――。
「――というわけで、立候補する人は手を挙げてください」
「はっ!?」
ぱっ、と目が覚める。同時に俺は席を立っていた。がたんと椅子が大きな音を立て、教室中の視線が俺に集まる。
寝起きにしては思考はクリアだった。もうちょっと寝ぼけていた方が羞恥心を感じなくて済んだのに、と思うほどに。
「……おはようございます、吾妻くん」
「は、はい。お、おはようございます……すみません」
教壇に立つ女性――このクラスの担任、夏目先生が俺に冷ややかな目を向けていた。その笑顔の圧に耐えかねた俺は、おずおずと席に座る。
視界の隅で、稲荷が大爆笑し、ふーちゃんが呆れたように笑っていた。くっそぅ。五限が終わったなら、起こしてくれよ……!
ちなみにどうでもいい情報を付け加えておくと、夏目先生は雪森先生の大学時代の後輩らしい。生徒の間では夏冬コンビとして親しまれている。
最悪な形ではあったが、ばっちり目は覚めた。
ほっと胸を撫で下ろしていると、
「いいえ、いいんですよ吾妻くん。きっと立候補してくれたんですよね?」
「は?」
夏目先生が冷たく笑って言った。
思考が停止する。立候補って、なんだ?
周りを見渡し、状況を整理する。
今はLHRの時間だろう。黒板には何も書かれていない。クラスの奴らもみんな座っており、ヒントと呼べるようなヒントはどこにもなかった。
糸口は『立候補』という単語。そして、夏目先生が俺に何かを任せようとしている、という事実だ。
「えっと……体育祭の実行委員の話、ですか?」
「そうですよ。ちょうどいま、立候補者を募集していたところです。だから吾妻くんは立ってくれたんですよね?」
「あー」俺は苦笑した。「そ、そうっすね」
違うとは言えない雰囲気だった。
というのも、体育祭実行委員はあまり人気のない仕事なのだ。去年も俺のクラスでは立候補者がおらず、最終的に俺が引き受けることになった。
「まぁ、他にも立候補する奴がいるかもしれないですし?」
俺としても進んでやりたいとまでは思わない仕事だ。
いったん回答を濁しつつ、教室を見渡す。ほら、自分を変えるチャンスだぞ! こういうときに手を挙げられる奴がこれからの日本を引っ張るんだ――。
……などと言ったところで、手が挙がるはずはなかった。男子たちからは『どんまい』『ラッキー』といった感じの視線が飛んでくる。俺は手頃な生け贄と相成ってしまったようだ。
「分かりました。じゃあ、男子の代表は俺にやらせてください」
「吾妻くんが実行委員になることに反対の人はいますか? ……いないようなので、吾妻くんにお任せします」
「どうも」
ここからは俺が進行することになったので、夏目先生に代わって教壇に立つ。
いつまでも居眠りしたことを後悔し続けてもしょうがない。小さく咳払いをして気分を変え、全体に呼びかける。
「ってことで、女子の実行委員を決めようと思います」
同級生に敬語を使うのも気持ち悪いな、と場違いに思う。去年はまだ入学したばかりだったから敬語も普通だったけど、今は違和感が凄まじい。
「あー」少し迷い、敬語はやめてしまうことにする。「やってくれる人、いるか?」
と尋ねてみる。男子より女子の方が行事好きなイメージがあるのでワンチャンあるかと思っていたが……そう上手くはいかないようだ。
しんと静まり返る教室。どうしたものかと考える――そんなときだった。
「も、もしやりたい人がいないなら……私がやってもいいかな?」
「「「えっ」」」
予想外の人物の立候補に驚いたのは、一人ではなかった。
それも当然だろう。
何故なら、名乗り出たのが――ふーちゃんだったから。
「文ちゃん、お仕事とか大丈夫……? あたしはやったことないけど、体育祭実行委員って結構大変らしいよ?」
誰もが思ったことを代表して稲荷が尋ねた。
体育祭実行委員は、他の行事の実行委委員に比べると仕事自体は少ない。しかし、テストが近いこともあり、かなり忙しいことでも知られている。
稲荷は、ふーちゃんの弱音を受け止めている。学校生活とアイドルの仕事、その二つの両立を大変だと思っていることも知っているはずだ。だからこそ心配しているのだろう。
「ふふっ。祈里ちゃん、心配してくれてありがとーっ!」とふーちゃんは笑う。「でも、今月は大丈夫! ライブがあったばっかりだから、しばらくはお仕事をセーブしてもらうんだーっ」
元々ふーちゃんは学業に集中するために、アイドルの仕事は少し抑えている。ライブの周辺はそうもいかないけど、それ他のときであればある程度は融通を利かせてもらえるのだろう。
――大切にされてるんだな。
事務所がふーちゃんのことをよく考えてくれていることを感じ、場違いにホッとする。
だが、クラスの面々はまだ納得していない様子だ。
ふーちゃんはこれまで実行委員のようなものに立候補してこなかった。だからこそ、スタンスの変化に戸惑っているのかもしれない。
「ごめん、みんなも心配になるよね。私が投げ出したら、大変なことになっちゃうもん」
でもね、とふーちゃんはクラスメイト一人ひとりの顔を見つめながら続ける。
「私は部活に参加したりできないし、放課後に遊んだりも……いつもは難しい。だからその分、みんなと青春できるチャンスを逃したくないなーって思うの」
その姿は、この前ライブで見たときにどこか似ていた。
「だから、任せてほしい……です。もちろん、こ――吾妻くんには迷惑をかけないように頑張るから安心してほしい! アイドルのバイタリティを信じてほしいなーっ!」
……誰も俺に迷惑が掛かることは心配してないだろうけど。何なら『お前が二人分仕事しろよ』って思われてるんじゃないだろうか。少なくとも、俺なら間違いなくそう思う。
ふーちゃんのキラキラな笑顔を見て、否やの声を上げられる奴はいなかった。そりゃそうだ。ふーちゃんのお願いを断れる奴なんていない。
「伏見が女子の実行委員になることに反対の奴はいるか? ……いないみたいだな。じゃあ、伏見と俺が実行委員ってことで」
「はーいっ! 私、頑張るねーっ!」
ぱちぱちぱち、と拍手が起こった。
ぺこりと深くお辞儀をしてから、ふーちゃんは俺の隣にやってくる。
「俺が立候補してればよかった……」
「ラッキーマンめぇ」
「てか、むしろ――」
「おいばか、その説は禁止カードだろ。考えるなって」
と口々に男子どもが呟いているが、スルーしておく。全ては実行委員に立候補しなかった奴らが悪いのだ。
「ふふっ、よろしくね。吾妻くん?」
「……おう。よろしくな、伏見」
あえてお互いの苗字で呼び合うのはどうにもくすぐったくて、緩んだ頬をクラスメイトに見られていないか心配になった。
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