#08 心地いい帰り道

 外に出ると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。時計の針は九時を指しており、そりゃこんだけ暗くなるよな、と思う。

 流石に、いつもこんなに遅くなることはない。学校終わりから七時ぐらいまで一緒にボクモンをしたら、その後は送って帰るのがお決まりのパターンだった。


「親御さん、心配してたか?」


 と俺は横を歩く稲荷に尋ねた。

 ちょうど親との電話が終わった稲荷は、けろりとした顔で答える。


「心配はしてなかったよ~。もともと友達の家に遊びに行くとは言ってたしねぇ」

「ほーん」と言ってから、そこそこ長電話だったことを思い出す。「その割には色々と話してなかったか?」


 長電話と言っても、話していたのは十分ちょっとだろう。だけど、帰りの連絡を入れたにしては長いやり取りだった気がする。

 親とのやり取りを聞かれるのが嫌だろうと思ったので、電話が終わるまで俺はイヤフォンをつけていた。ただ視界に入る稲荷の表情はころころと変わっていた覚えがある。


「色々は……話してなくもなかったかも」

「どっちだよ」

「だから、話してなくもなかったんだってば!」

「あー」俺は苦笑する。「言いたくないってことか?」


 別に無理矢理聞き出したいわけではない。そもそもやり取りを聞かないようにイヤフォンをつけていたのだ。終わった後で質問攻めにするのは違うだろう。

 でも、稲荷は答えたくないわけでもないみたいだった。

 ……さっきから『ない』がゲシュタルト崩壊しそうだな。


「そーゆうことじゃないんだけどね~。うっかり友達が男の子だって口を滑らせちゃったら、色々と詮索されちゃって……みたいな?」

「えっ」ぎょっとする。「詮索て」

「あっ、ちゃんと説明したよ? 恋人だって勘違いされたら、吾妻を面倒なことに巻き込んじゃいそうだしね……」

「いや、俺が面倒な分にはいいんだけどさ」


 と口にしてから、自分の言葉が薄っぺらいことに気付く。

 稲荷はまじまじとこちらを見つめていた。俺は苦笑交じりに口を開く。


「あー、違う。今のはかっこつけた。普通に面倒なのも嫌だわ」

「えぇー。吾妻ひど~い」

「そこはしょうがないな。でも、一番嫌なのは別のことだから」


 俺は弁明するように言う。

「別のことって?」と稲荷が首を傾げた。


「……稲荷と距離を置かなきゃいけなくなることだな。『こんな夜遅くまで連れ回す男とは関わるな』とか言われたら困る」


 めちゃくちゃ恥ずかしいことを言っている気がする。だけど、思っていることを隠したり駆け引きをしたりするのも、それはそれで疲れるだろう。それは『ちょうどいい同盟』らしくない。


「ぷっ」稲荷が噴き出す。「なるほどねぇ~」

「なんだよ、そのニヤニヤ」

「べっつにぃ? 吾妻はあたしのことが好きで好きでしょうがないんだなぁ~って思っただけだよ?」

「そんなことは言ってないだろ!?」

「あたしのこと、嫌いなの……?」悲しそうに上目遣いで見てくる稲荷。

「そんなことも言ってないだろ……」

「はい、いただきました! 吾妻はツンデレだなぁ~」

「ぐっ……」


 今のは卑怯だった。

 一番卑怯なのは、稲荷のことが好きって事実は勘違いじゃないことなんだよなぁ……。どちらかと言えば、ヒューマンとしての『好き』だけど。


「まぁ、そんなツンデレで頼りになる吾妻が送ってくれるから大丈夫って言ったら、お父さんもお母さんも安心してくれたよ。『朝帰りでもいいわよ』って言われちゃったくらい」

「ちゃんと説明できてないじゃねぇか!?」

「……うちのお母さん、グイグイ押していくタイプだから」


 そういう問題なのか? まぁ、人の家のことをあれこれ言うのはやめておこう。これ以上突っついても藪蛇だろうしな。

 微苦笑を浮かべた稲荷は、こちらを一瞥してから言ってくる。


「いつもありがとうね。わざわざ家の近くまで送ってくれて……」

「これくらいはな」俺はポケットに入れた財布を取り出して言う。「定期圏内だし」

「なにそれ。うちが定期圏内になかったら送ってくれなかった?」

「もちろん」

「即答だぁ!?」


 そりゃそうだ。電車賃は地味に痛い。稲荷家の最寄り駅は、うちのマンションから学校までの間にあるので、抵抗なく家の近くまで送ることができる。


「定期圏内じゃなかったら、歩いて送ってた。三十分くらいだろ?」

「えー」稲荷は可笑しそうに笑う。「歩くのはめんどくさ~い」

「運動不足はデブの母だぞ」

「失敗は成功の母みたいに言わないで!? デブじゃないし! ……デブじゃないよね?」

「…………」

「黙らないでよっ!?」


 わざとらしく無言を返すと、稲荷が今にも泣きだしそうな声でツッコんできた。堪えきれずに噴き出すと、「もぉー!」と肩を小突かれる。なんだこれめちゃくちゃ可愛い。


「ねぇ吾妻、答えて! その答えを聞くまで帰れないの!」

「そんなに気にすることか……?」

「当たり前じゃん!」


 稲荷は恥ずかしそうに目を逸らす。


「……吾妻に『抱き心地のいい豚を抱いてやってるぜ』とか思われたくないし」

「抱き心地のいい豚」卑屈なくせに抱き心地の良さには自信を持ってるらしかった。

「やっぱり豚だと思ってる!?」

「思ってないって。抱き心地のいい美少女だよ」

「……B級だけどね」

「それがいいまである」

「ふぅ~ん?」

「てか、さっきから俺に恥ずかしいこと言わせようとすんのやめてくんない?」

「あっ、バレた?」


 てへぺろっと舌を出す稲荷。くっそ、可愛いな……。

 だけど、何度も恥を掻かされるのは不服だ。いつまでもからかわれっぱなしの俺ではない。


「さては電話で詮索されて恥ずかしかったから、俺にも痛みを分けようとしてるんだろ?」

「ソ、ソンナコトナイヨ」

「おいこら目を見て話せ」

「……そんなことなくもなくもなくもないかなぁ~」

「はいはい」

「流された!?」


 その流れはさっきやったばっかりだからな。

 ともあれ、稲荷が八つ当たりで俺をからかってきてることは分かった。


「…………まぁ、普通に心配になったから聞いたら吾妻が想像の斜め上のことを言ってくるだけって部分も半分くらいはあるんだけどね」


 …………。

 稲荷のぼそぼそした呟きは、聞こえなかったことにしよう。俺はただ事実を述べただけで、お世辞を口にしているわけでもないんだし。

 そんなことを考えていると、間もなく稲荷の家に到着した。

 家の前で俺たちは立ち止まる。


「せっかくだし、お父さんとお母さんにも会ってく?」

「会わん。ここで会ったら、今度はうちの親と話をさせろって要求してくるだろ」

「別にそーゆうつもりはないんだけどなぁ。そんなに親御さんと挨拶させたいの? あっ、実はもうあたしのことを友達としては見れなくなってるとか……?」

「余裕で友達だわ」

「ちょっとは悩んでよ!」勢いよく稲荷がツッコむ。「いや、悩まれても困るけど!」


 だろうな。むしろ俺が稲荷を友達として見れなくなったら、『ちょうどいい同盟』は成り立たなくなる気がする。

 恋だの愛だのは重くて、俺たちにはちょうどよくないだろうから。


「じゃあ、また! 吾妻も気を付けて帰ってね」

「おう。……おやすみ」

「うん、おやすみ」

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