#40 これからも
外に出ると、もうそれなりに暗くなっていた。鈴木とのラノベ談義が思っていたより盛り上がり、なかなかお開きにするタイミングが見つからなかったせいだろう。傍で黙々と漫画を読み進めていた小町は、短めのシリーズを読破したようだった。
「遅くなって悪い。家の人とか心配してないか?」
「うちは大丈夫だと思うよ。お母さんには遅くなるかもしれないって話してあるから」
「同じく。……ま、どうせ舞は遅くまで練習してるしね」
「ならよかった」
とは言うものの、玄関でバイバイってわけにもいかない。普段から稲荷や小町にはしているように、今日も二人を送っていくことにした。
「もうすぐ体育祭かぁ」と不意に鈴木が呟く。「狛井さんの話をしたからかなぁ。近づいてるんだな、って感じがしてきたよ」
「今月末だしね」と小町が同意する。
「そうなんだよねぇ……」
鈴木がうへぇって顔をするのは、おそらく生徒会絡みで色々とあるからなのだろう。
うちの学校の体育祭は五月末。ちょうど中間テストが終わった直後に控えていることもあり、毎年五月の間はかなり忙しくなる。もちろん、生徒会に限った話ではない。
「……めんどくさい」小町は鬱陶しそうに呟いた。「運動したい人だけが勝手に運動してればいいだけなのに」
「あはは。それ、運動できない人が言いそうな台詞だよ」
「ま、ね」と肩を竦め、視線をこちらに寄越してくる。「でも吾妻もそう思うでしょ?」
「それは――」
微妙なところだった。
確かに、運動嫌いな奴をわざわざ体育祭に巻き込む必要があるのか、とは思う。だけど、体育祭みたいな行事で一つにまとまるのもそれはそれで悪くない。
きっとふーちゃんは、そういう青春を楽しみたいと思っているだろうから。
「――俺は意外と好きかもな。部活と違って、ガチでやる空気でもないし」
「ふぅん。……それはそうかも」小町は僅かに頷く。
そんなやり取りを聞いていた鈴木が「私も嫌いではないけどね」と言い添えた。
「ただ準備は面倒だから。……またしばらくは吾妻くんの家にも行けないかもなぁ」
「やっぱりそうなっちゃうか」
「試験勉強もしないといけないしね」
「それはそう」
そんなことを話している間に駅に着いた。
「ここまででいいよ」と鈴木が言うので、改札で見送る。二人きりなら家まで送り届けてもいいが、今は小町も一緒だからな。
鈴木がホームに向かったのを確認して、俺たちは踵を返した。
小町の家までは距離があるから、俺たちはとぼとぼと歩いていく。
しばらくお互いに何も話さない時間が続いたあと、「ねぇ」と小町が言ってきた。
「これからも私と続けるの? 『ちょうどいい同盟』」
「えっ?」
突然放たれた質問の意味を上手く咀嚼しきれず、小町の方をまじまじと見つめる。小町の瞳は夜に似た色をしていて、吸い込まれてしまいそうだな、と場違いな感想を抱いた。
「どういう意味だ?」率直に訊いた。「やめたいのか?」
「別に。だったら今日、話が終わった時点で帰ってるし」
「それもそうか」
稲荷やふーちゃんとの話を聞いて距離を置こうと思ったなら、わざわざ部屋で漫画を読むことはしない。小町はまだこの関係をちょうどいいと感じてくれているはずだ。
「じゃあ、どうして?」
「だって……」小町が一瞬だけ言い淀む。「稲荷さんとか伏見さんが大事なら、私は邪魔じゃない?」
「そんなことねぇよ」
「……」小町が目を見開いた。「即レスするじゃん」
返答の速さを指摘された途端に恥ずかしさがこみ上げてきた。確かに、今のはもうちょっと迷ってもよかったかもしれない。あまりにもすぐ答えすぎていた。
でも、
「しょうがないだろ。迷うところがなかったんだから」
俺の答えは決まっている。
稲荷もふーちゃんも俺にとっては大切だ。だけど、それは小町が大切じゃないわけではない。鈴木もそうだ。俺は自分が大切だと思える相手としか、関わろうとしない。
「ふぅん。ま、それもそっか。ちょうどいいセフレを逃がす理由はないしね」
「……セフレじゃなくて『ちょうどいい同盟』、だ。そういうことがシたくて小町と一緒にいるわけじゃない」
「ダウト」射貫くように小町が言った。「性欲も一部ではあるでしょ。私もそうだし」
そうじゃない、と否定することにどれだけの意味があるのか分からなかった。
小町の言う通りだと思う。エッチが目的ではないけど、そういうこと全てを含めて、俺は小町と一緒にいる時間が好きなのだ。
「小町はちょうどいいからな」
結局のところ、そこに行き着くのだろう。
一緒にめいっぱい運動できるし、その後でいっぱいエッチもできる。汚いところを躊躇なく見せられるのに、本当に情けないところだけは叱ってくれる。
「……そ」
と呟く小町の頬は、薄暗い街の中で仄かな朱色に染まっている――ような気がした。
だけど、『ちょうどいい』なんて言葉で小町が喜んだり照れたりするはずもないから、きっと気のせいだろう。
こっとん、こっとん。
俺と小町の靴音が鳴る。またしばらく沈黙が続いた。けど、これでいい。もともと俺と小町は、ひっきりなしに喋り続けるタイプではない。特に運動してるときは、お互いに無言になることが多い。……エッチのときもそうだ。
しばらくして、何かを思いついたのだろう。
「あっ、そうそう」と小町が何かを訊いてくる。
「……吾妻は伏見さんとヤったの?」
「ぶふぅっ!?」端的に、むせた。「こほっ……きゅ、急に何を言い出すんだ」
「そんな驚くこと? 稲荷さんと済ませてるんだったら、てっきり伏見さんともエッチしちゃってると思ってたんだけど」
「あのなぁ……」
昨日の稲荷との会話を思い出す。俺の周りの女子は、一線を越えるハードルを低く見積もりすぎじゃないだろうか。
ふーちゃんがアイドルだから――というのを理由にする気はない。同じく大切にしている稲荷や小町とも一線は越えているわけだし、『大切だから』も理由にはならないだろう。
それでも、今はまだ早すぎると思う。
俺たちはまだ、落とした時間を拾い集めている最中だから。
「シてない。そもそも、この前仲直りしたばっかりなんだぞ?」
「だからてっきり仲直りエッチでもしたのかと。もしくは、稲荷さんを交えた仲裁エッチとか」
「仲裁エッチ」思わず噴き出しそうになる。斬新な造語だった。「……変な造語はやめろ。どっちもシてないからな」
「ちぇっ、つまんないの」
小町がふざけた感じで舌打ちをした。
つまんないって言われてもな……。俺は苦笑交じりに言葉を返す。
「俺を何だと思ってるんだよ?」
「え、性欲モンスター」
「俺を何だと思ってるんだよ!」あえて繰り返した。「どっちかと言うと、性欲モンスターは小町のほうだからなっ!?」
「言えてる」
くすっ、と小町が笑みを零した。
実際、性欲だけで言えば小町の方が凄いと思う。特に限界まで運動した後は、めちゃくちゃ積極的に求めてくるのだ。……ほんと、『不健全アスリート』すぎる。
そんなことを話している間に、狛井家に到着した。
「じゃあ、また」
「おう。これからもよろしくな」
「……なにそれ。胡散臭っ」
「それな。自分で言ってて思ったわ」
何かが変わるわけじゃない。これまでも、これからも、俺たちは俺たちのままだ。
「ま、これからもよろしく」
「結局言うのかよ」
「うっさい」
くつくつと笑ってから、俺は狛井家を後にした。
少し歩いてから振り返ると、まだそこにいた小町と目が合う。小町は途端に顔を赤くし、家の中に引っ込んでいった。
「よろしく」
今一度口にしてから、俺は帰路に就いた。
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