#36 アイドル系S級幼馴染と二人きり

 俺の学校には、S級美少女と呼ばれる有名な生徒たちがいる。ある者は成績トップの優等生お嬢様。ある者はスポーツ万能のアスリート女子。そして、またある者は大人気の現役アイドルだったりもする。彼女たちS級美少女は特別で、俺みたいな普通の生徒とは無関係――と少し前までは思っていた。


「こたくん、おはよーっ!」


 ゴールデンウィークが明けた日の朝。ここ数日の間にやらかした自分の言動に若干の恥ずかしさを覚えながら駅まで歩いていると、近くの交差点にとんでもない美少女が待ち構えていた。

 ――昨日はステージでキラキラ輝いていたのにな。

 と、『フラワーベッド』のライブを思い出して、不思議な気持ちになる。今の彼女は、特別である以上に普通だったから。


「……おはよう、ふーちゃん」

「むぅ。朝からテンション低くないかなっー?」

「朝だからテンションが低いんだよ」くあっ、と欠伸をする俺。「眠い」

「ふふっ、ほんとに眠そうっ!」


 くすくすと楽しそうに笑う彼女は――今を瞬く現役女子高生アイドル、伏見文だ。もっとも、幼馴染である俺にとっては『ふーちゃん』なわけだけど。


「でも時間通りに来てくれた! 嬉しいなーっ!」

「それは……まぁな」本当に嬉しそうだから照れてしまう。「昨日あんだけライブで頑張ってたふーちゃんよりも遅いって言うのは流石にあれだし」


 昨日のライブが終わった後、ふーちゃんからRINEが届いた。


【Fumi:今日はライブに来てくれてありがとーっ!】

【Fumi:すっっっっっごく嬉しかった!】

【Fumi:それで……こたくんがよかったら、なんだけど】

【Fumi:明日一緒に学校に行きませんか?】


 こういうお願いのときだけ敬語を使ってくるのは、破壊力が半端ないので自重してほしいなと思ったりもするのだが……それはいいとして。

 ふーちゃんとの間にあった蟠りが解けても、俺がふーちゃんに弱いのは変わらない。『いきなり距離を縮めすぎでは?』とも思ったが、断れなかった。……まぁ、断らなきゃいけない理由もないしな。


「こたくんはやっぱり優しいね」

「普通だって」俺は苦笑する。「というか、結局ふーちゃんを待たせちゃってるし」


 腕時計を見ながら、言う。時刻は七時三十五分。待ち合わせの時間より五分ほど早いけれど、ふーちゃんは今来たって感じじゃない。

「そっ、それは……」ってふーちゃんが恥ずかしそうに呟く。


「……こたくんと学校に行けるのが嬉しかったからっ!」

「そ、そっか」ストレートな言葉に照れる俺。「ちなみに、どれくらい待ったんだ?」

「…………」


 俺が訊くけれど、ふーちゃんはふいっと視線を逸らしてしまう。散った桜の残党みたいに、ふーちゃんの頬が薄桃色に染まっている。「ふーちゃん?」と名前を呼ぶと、ようやく口を開いてくれた。


「……ぅ五分前」

「五分前?」

「じゅ、十五分前……です」

「マジか」思わず零れる。

「う、うぅぅぅ~。『重い女だな』って思っちゃうよね? こんなの、全然ちょうどよくないもん……」


 しゅん、とうなだれるふーちゃん。

 あながち否定はできない。昼間や夕方ならともかく、朝の十五分は結構でかい。ふーちゃんにそれだけの時間を待たせてしまうのは気が引けるし、そう思っている時点で俺にとってちょうどよくはないのだろう。


 もっと気楽に――遅刻しても軽く流せるくらいがちょうどいいのかもしれない。


 だけど、これはこれでちょうどよく思えている自分がいた。

 ……まぁ、幼馴染だしな。


「そんなことない。は二十分前に来ようって思っただけだよ」

「……! 次も――」と言いかけて、ふーちゃんは言葉を止める。そして、言う。「じゃあ、私は三十分前にしようかなーっ!」

「それだと俺は四十分前に来ることになるんだけど?」半笑いで返す。

「うーん……」って、ふーちゃんが唇に指をあてる。「それもあり……かも?」

「ありなのか」

「……こたくんは嫌かな?」


 と訊かれ、想像してみる。

 早朝に待ち合わせて、二人で学校へ向かう。登校時刻にはまだ早いから、多少なら寄り道できるかもしれない。場合によっては朝ご飯を二人で食べることもあるだろうか?


「たまにはありかもな」素直に頷く。「でも毎日は朝が辛い」

「それはそうーっ! ふふっ。じゃあ、たまに、ね?」

「だな」


 ふーちゃんの笑顔はとびきり可愛くて、『ね?』の一音にドキドキさせられた。

 ふありと頬に捺された柔らかな感触を思い出して、とくん、と心臓が鳴る。ふーちゃんを直視するのが恥ずかしくなってきた俺は、体の向きを変えるフリをして顔を逸らすのを誤魔化した。


「……行くか、学校」

「ふふっ、うん!」


 俺が歩き出すと、ふーちゃんが隣についてくる。こちらを見上げる視線が本当に嬉しそうで、とてもくすぐったい。

 交差点を渡って、二人で歩道を歩く。幅の広い道なのにふーちゃんとの距離が近くて、今にも肩が触れそうだ。


「……何も話さないのか?」


 暫く沈黙が続いていたので、俺が訊いた。ふーちゃんがずっとニコニコしてるので、流石に居た堪れなくなってきたのだ。まぁ、俺が話を振れよって話なんだけど。

「あっ」ってふーちゃんが我に返ったように声を漏らす。


「ごめん……! こたくんが隣にいるなー、嬉しいなーって思ってたら、つい黙っちゃってた! 一緒にいるだけで幸せだったから……ごめんね?」

「~~っ」

「どうして顔逸らすの? 私、変なこと言っちゃった、かな……?」

「…………どうだろうな」


 変ではないかもしれないけど、ズルすぎるとは思う。直に『嬉しい』とか『幸せ』とか連呼されたら、誰だって限界になるだろ……!

 ふーちゃんは昔からこうだった。プラスの感情を全然隠さないのだ。


「あっ、分かっちゃった!」ふーちゃんが悪戯っ子みたいな声で言う。「さてはこたくん、照れてますねーっ?」

「っ、照れては……ねぇし?」

「あははー、強がってる! こたくん可愛いー!」

「可愛いって言うな!」


 男子に『可愛い』って言うのは禁止カードだと思う。

 くつくつと微笑むふーちゃんに反抗の視線を向けていると、やがて最寄りの駅に着く。ちょうど電車が来ていたのを見て、俺たちは急いで乗り込んだ。


「……結構、混んでるね」ふーちゃんが囁く。

「だな」と頷いた。


 いつもは同じ時間帯の電車でも割と空いているのだけど、今日はそれなりに混んでいた。余っている吊り革が一つしかなかったから、ふーちゃんに譲る。俺は吊り革がぶら下がってる鉄のポールを掴んだ。


「祈里ちゃんと合流するのも大変かも」

「かもな」


 今日は稲荷とも途中で合流することになっていた。二駅ほど先で同じ電車に乗ってくる予定だったのだ。でも、流石に混雑した電車で合流するのは無理がある。


「駅降りてから待ちあわせにしよっか。祈里ちゃんに伝えておくね」

「おう」

「……それまでは二人きりの時間、延長だね」


 内緒話をする子供みたいに、或いは、周囲に関係を隠す恋人みたいに。

 ふーちゃんはひそひそと呟いた。


「人いっぱいだけどな」

「私にはこたくんしか見えてないもん」ふーちゃんが上目遣いで見てくる。「こたくんも私だけを見てくれたら……二人きりだよ?」

「……」ズルい一言に言葉が詰まる。「二人きりだな」


 この距離感は俺たちにとってちょうどよくない。……物理的にも、精神的にも。

 けれど、稲荷と合流するまでなら――背伸びをしてもいいと思えた。


 それから学校の最寄り駅に着くまでの間、俺とふーちゃんはくっついたまま電車に揺られ続けたのだった。

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