#31 こたくんとふーちゃんの話
SIDE:虎太郎
「…………話を聞くだけなら」
稲荷はそう言って、俺を家に入れてくれた。てっきりリビングに案内されるかと思っていたが、俺が通されたのは稲荷の部屋だった。
普通の女の子って感じの部屋だ。小学生の頃、ふーちゃんの部屋で遊んだことがあったっけ、と場違いに思い出す。あの頃、世界はまだ単純だった。ちゃちな世界しか見えてなかっただけかもしれないけれど。
稲荷は転がっていたクッションを抱き締めながら体育座りをする。
それから「話して」と弱々しい声で言ってきた。
そうは言っても、何を話すか決めてきたわけじゃない。さっきも口を衝く言葉に任せて電話していた。
――やりたいようにやるしかないよな。
稲荷に伝えたいことを伝えよう。
うんと頷き、話し始める。
「俺とふーちゃんが幼馴染だってことは知ってるんだよな?」
「……うん」稲荷が声だけで答える。「文ちゃん」
「ああ、呼び方か。昔は『ふーちゃん』って呼んでたんだよ」
「そうなんだ。……すっごく仲良しじゃん」
「そうかもな」
否定はしない。少なくとも昔は『すっごく仲良し』だったから。
今は……分からない。疎遠ではなくなったけど、昔と同じようにはいかないだろう。
「ふーちゃんと仲良くなったきっかけは幼稚園の遠足だ。年少のときに少し離れた公園までみんなで行ったんだ。で、ふーちゃんが迷子になった」
「…………」
「別に俺が見つけたわけじゃない。そんなに広い公園ってわけでもなかったしな。すぐに先生が見つけた。でも見つけたことで安心しちゃったんだろうな。先生は、ふーちゃんが転んで怪我してることに気付かなかった」
「…………」
「心配させちゃいけないって思ったんだろうな。ふーちゃんは我慢してた。それに気づいたのが俺だったんだ。――って言っても、俺が特別注意深かったわけじゃない。母さんに絆創膏を何枚か持たされてたから、誰かに貼りたくてしょうがなかったんだ」
もしもあの日、母さんが俺に絆創膏を持たせていなかったら、ふーちゃんと仲良くなってはいなかったかもしれない。
……そんな仮定に意味はないけど。
「こっそり絆創膏を貼ってあげたのが俺とふーちゃんの出会いだ。その後はよく二人で遊ぶようになった。いつの間にか親同士も仲良くなってて、家族ぐるみで海水浴に行ったりもしたっけ。……小学校に上がる頃には、隣にいるのが当たり前になってた」
思い出話をしていたら、自然と頬が緩む。
稲荷がクッションに顔を埋めながらこちらを見つめてくる。その目は、話の続きを期待しているようにも、恐れているようにも見えた。
「……色んなものが変わったのは、小学五年生の夏だった。ふーちゃんがアイドルにスカウトされたんだよ」
「スカウト、だったんだ……」
「まぁ、当時のふーちゃんはアイドル志望ってわけじゃなかったからな。本気で『将来の夢はお嫁さん』って言っちゃうような女の子だったから」
「……」稲荷が僅かに俯いた。「そっか」
「とはいえアイドルに興味がないわけでもなかったみたいでな。スカウトされてからしばらくはふーちゃんも悩んでたよ」
――脳裏に過るのはふーちゃんと公園で漕いだブランコの音。
『どうすればいいと思う?』っておどけて笑うふーちゃんの横顔は、誰かが背中を押してくれることを望んでいるように見えた。
「俺が背中を押したんだ。それで、ふーちゃんはアイドルになった」
「…………そう、なんだ」
「ああ」言ってから肩を竦める。「まぁ、俺じゃなくても、誰かがアイドルになることを勧めてたとは思うけどな。当時からずば抜けて華があったから」
「それは違うと思うけど……今はいいや」
「……?」
何か言いたそうな顔をする稲荷。俺が尋ねようとするが、稲荷はかぶりを振った。話すつもりはないらしい。
まぁ、今は俺が話す時間か。気を取り直して、続きを話し始める。
「流石に最初は上手くいかなかった。歌やダンスを習ってたわけじゃないから、グループの中でも落ちこぼれだったらしい。そのことを聞いて――俺は少しだけ安心した。上手くいってほしくなかったのかもしれないな」
「…………」
「でも、中学校に上がる頃、ふーちゃんはちゃんと評価された。最初はSNSでバズって、だんだんテレビにも出るようになっていった」
一度深く息を吸った。覚悟するように稲荷も縮こまる。
言葉を選ぼうとしたけど、そんな抵抗は無駄だと悟った。どうせここから先は懺悔にしかならない。見栄を張ったところでしょうがないだろう。
「俺はふーちゃんが眩しくてしょうがなかった」
「……うん」
「隣にいたはずのふーちゃんが、テレビの向こうでまるで主人公みたいに輝いてる。それに比べて俺は、何も成し遂げていないただの男子中学生だ。『俺は何をやってるんだ?』って何度も思った」
「…………うん」
それは今もまだ振り払えないコンプレックスだ。
ふーちゃんが特別で普通な女の子だと誰よりも分かっていなきゃいけないのは俺なのに、どうしても眩しさから目を背けてしまう。
「だから俺は、ふーちゃんを突き放した」
「……っ」
「遊びに誘われても断ったし、学校で声を掛けられても冷たい態度を取った。しかも、そうやって避けてる理由を全部ふーちゃんに押し付けた。『アイドル活動の邪魔をしたくないから』って言って」
俺は何もかもふーちゃんのせいにした。それこそが俺の一番の罪なのだと思う。
今でも思うのだ。ふーちゃんがアイドル活動と高校生活を両立させようとしているのは、俺のせいなんじゃないか――と。
そして、その考えはおそらく間違ってない。
「最近だよ」俺が言う。「ふーちゃんとたまたま帰り道に会って、少し話せた。それまでの数年間、俺はほとんどふーちゃんと関わらなかった」
「……うん」
「ふーちゃんと俺は誰がどう見ても釣り合ってない。だから、いとも容易く疎遠になれる」
ちょうどよくない関係を維持するためには、努力が要る。それを怠った瞬間に崩れていってしまうのだと思う。
「――稲荷とふーちゃんもそうだろ?」
稲荷の目を見て、言う。
「稲荷は自分の弱さをふーちゃんに押し付けた。で、二人の関係は終わろうとしてる」
「それっ、は……」稲荷が唇を噛む。
「分かってるだろうけど、教えてやるよ。ふーちゃんは自分を責めてた。自分のせいで傷つけた分、できることをしたい――ってな」
稲荷の顔が歪む。止めてと懇願するように見つめてくるけど、俺はお構いなしに続ける。
「『お別れは……その後がいい』って、寂しそうに言ってた」
「っ、やめ――」
「言わせたのは他の誰でもない、稲荷だ」
罪から目を逸らしてはいけない。それが太陽から目を逸らしたものに与えられる罰なのだから。
でも、と俺は強く区切って言う。
「まだ稲荷はやり直せるはずだ」息を吸う。「稲荷とふーちゃんは疎遠になったわけじゃない。今なら後になって笑い合えるような――ただの喧嘩で終わらせられる」
稲荷にかつての自分が薄く重なった。
ふーちゃんから近づき直してくれた今でも、消えてはくれない後悔。
毎日続いてたRINEを途切れさせた瞬間があった。
『おはよう』に『おはよう』と返さない朝があった。
『ふーちゃん』ではなく『伏見』と呼ぶ日があった。
そんなかつての自分に言葉を投げかけようとして――ギリギリで霧散する。
そこにいるのはかつての自分じゃなくて、稲荷だった。
そして、だからこそ俺は何かをしたいと思ったのだ。
「教えてくれ、稲荷。これからふーちゃんとどういう関係でいたい?」
「……え?」ぱちりと瞬く稲荷。「仲直りしろ、って言いにきたんじゃないの? 自分みたいになるな、って」
「それじゃあ、これから稲荷は無理してふーちゃんと関わっていくことになるだろ? 俺はふーちゃんと稲荷に――二人に笑ってほしいんだ。ふーちゃんを贔屓したりしない」
稲荷は呆気に取られているのか、何も言おうとしない。だから続けて俺が言う。
「さっきは稲荷のことを責めたけど、ふーちゃんにも悪いところがなかったわけじゃない。稲荷が抱えてる気持ちに気付けなかったこととかな」
「ちがっ、それはあたしが隠してたから――」
「隠してる気持ちにも気付いてやれるのが本当の友達だと思わないか?」
「それは……」稲荷が口ごもる。「理想論じゃん」
「そうだな。でも、自分より優れた相手に嫉妬せず仲良くするっていうのも理想論だ。誰でも嫉妬はするし、気持ちを抑えられなくて相手を傷つけることもある」
青春は勧善懲悪の分かりやすい物語じゃない。
「だから――ここからは俺じゃなくて、稲荷の話を聞かせてほしい。俺の話はどこまでいっても、俺の話でしかないから」
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