#30 君を見/観ていた

 SIDE:祈里


 テレビを見てた。画面の向こうでは、一人のアイドルが太陽みたいに輝いている。

 いつもならパソコンの小さな画面を使うしかないんだけど、今日は違う。ママとパパが旅行に行ったので、リビングのテレビを占領できる。だからリモコン片手に、何度も何度も同じ楽曲をリピートしていた。


 曲名は『ひまわりは憧れてる』。

 あたしの推しのアイドル――初のセンター曲。そして、あたしを自分と同い年のアイドルに出逢わせた曲だ。


「……眩しいなぁ」


 自然と零れた言葉は、まるで涙みたいだった。

 じんと滲んで心に溶けていく。心の隅から隅まで余すことなく思う。眩しいなぁ、って。


 昔は、あたしもこうなりたいと思っていた。

 だけど実際に仲良くなって、文ちゃんが特別だけど普通の女の子なんだって知った。文ちゃんを偶像アイドルではなく友達だと思えた日から、あたしは自分の幼稚な憧れにさよならできたはずだった。


『祈里ちゃん……それって、昨日私がヘンなこと言っちゃったから、かな? もしそうだったら――』

『あはは、違うよ~。昨日のことはお互い忘れようって話したじゃん。今日は前から別のクラスの友達と約束してただけ。……それだけだよ』


 そのはずなのに、あたしは文ちゃんを傷つけた。

 諦めずに伸ばしてくれた手すら振り払って、拒絶してしまった。


 その理由は……何となく分かってる。

 結局のところ、あたしは特別になりたかったんだ。幼稚な憧れは、姿を変えただけであたしの中に居座ったままだった。


 ――ぶるるっ、ぶるるっ、と何度もスマホが震える。

 吾妻からのRINEだった。


【コタロー:今から遊ぼうぜ】

【コタロー:稲荷の家に迎えに行くから】


「えっ」って声が出た。

 どうして吾妻が……? 吾妻はちゃんとあたしの気持ちを察して、しばらく放っておいてくれると思ってた。


『吾妻が誰とどんな関係でもあたしには関係ないもん。むしろ根掘り葉掘り質問するほうがじゃん?』

『…………そうだな』


 吾妻はきっと、あたしと文ちゃんがギクシャクしていることには気付いている。だからこそ、お互いに踏み込むのはやめよう、って一線を引いたつもりだった。


【いのり:無理だって】

【いのり:急に来られても親いるし】


 親はいないし、何ならゴールデンウィークの最終日まで帰ってこない予定なのに、当たり前みたいに嘘を吐く。


【コタロー:普通に挨拶すればいいだろ】

【コタロー:前に会うかって訊いてきたのはそっちじゃん】


 卑怯だった。冗談で言った話をわざわざ持ってきて、あたしの逃げ場を奪おうとしてる。

 ……吾妻らしくない。いつもの吾妻なら、こんな強引な方法で近づいてこようとはしない。ちょうどいい距離を丁寧に推し測ってくれるはずだ。

 なのにこんなの――ちょうどよくない。


【いのり:あんなの冗談じゃん】

【いのり:来ても家に入れないからね】


 帰ってよ。そうじゃないと、零れちゃう。

 お願い、もうやめて。この気持ちは誰にも気付かれたくないんだから。


 ――ピンポン、と夜を気遣うようなチャイムが鳴った。


 あたしは、咄嗟にRINEの通話ボタンを押す。

 吾妻の顔を見たら絆される自信がある。でも、何も言わないままじゃ吾妻は帰ってくれないだろう。あたしが拒絶してると分かったうえで、家まで来てるんだから。


『もしも――』

「今日は帰って。吾妻と会う気分じゃないの」

『開口一番にそれかよ』と電話の向こうで吾妻が苦笑する。『鳴らしたのが俺じゃなかったらどうしてたんだ?』

「……そう言う時点で、玄関そこにいるのは吾妻で確定じゃん」


 それに何となく分かった。吾妻はそこにいるんだろうな、って。

 玄関のほうに目を向けると、電話の向こうで吾妻が笑った。


『確かにな。そういうわけだから、中に入れてくれよ』

「入れないって言ってるじゃん。というか、ゴールデンウィークは会いたくないって言ったよね?」

『会いたくないとは言われてないと思うけどな。俺の家に来られないかもしれないって言われただけだ』

「それは、そうだけど……っ」あたしは唇を噛む。「……分かるでしょ?」


 口を衝くのは、ほとんど祈りに近い声だった。


『ああ、分かるよ』吾妻は言う。

「だったら帰っ――」

『世界で一番、俺が今の稲荷の気持ちを分かってる。だから帰ってやらない』

「――なにっ、それ……?」


 自然とあたしはこれを荒げていた。


「分かってるなら帰ってよっ! あたしは吾妻に帰ってほしいの! 他には何にも望んでないから!」

『嫌だって言ってるだろ』

「あたしも嫌だって言ってる!」

『平行線だな』吾妻は余裕ぶって言う。『ところで稲荷。さっきから大声を出してるけど、大丈夫なのか?』

「大丈夫に決まってるじゃん! ママもパパも家にいないんだから!」


 余裕そうな吾妻にムカついて、あたしは乱暴に答えた。

 で、気付く。……ママとパパがいないって言っちゃってるじゃん。


『やっぱり嘘だったんだな、家族がいるって』

「っ、気付いてたの?」

『いつも泊まってる車がないしな』

「あっ」完全に忘れてた。「……」

『稲荷が嘘を吐いてまで俺を帰らせたがってるのは分かった。それでも俺は、稲荷と話したいんだよ』

「……っ」


 言葉が上手く出てこなくなる。

 ぱっと顔を上げると、テレビの向こうの文ちゃんと目が合った。途端に言葉にしたくない気持ちがせり上がってくる。やめて、やめてよ。あたしは慌ててテレビを消した。


 はぁっ、はぁっ、と息をしながら自分を落ち着ける。

 この気持ちは、吾妻にだけは絶対に気付かれたくない。吾妻が何を分かっているつもりなのかは知らないけど、ほんとの気持ちは絶対に隠し通さなきゃダメなんだ。

 そうじゃなきゃ――あたしは吾妻のちょうどいい相手でいられないから。


「どうしてそんなにしつこいの?」深く息を吸って続ける。「あたしの気持ちを分かってたとしても、そんなの吾妻には関係ないじゃん!」

『それは……』吾妻が躊躇う。でもそれは一瞬だった。『稲荷じゃなくて、俺のためなんだ』

「へっ?」


 予想外の答えにヘンな声が出た。

 誤魔化すように「どういう意味?」って訊く。吾妻は少し苦しそうに言う。


『今の稲荷は昔の俺だから。俺は……稲荷を利用しようとしてるのかもしれない。昔の俺を助けるために』

「昔の吾妻……?」

『ああ』吾妻は罪を告白するみたいに呟く。『俺も稲荷と似たようなことをした。自分の弱さを全部ふーちゃんに押し付けて、突き放したんだ』


 だから、と吾妻は続けた。


『話したくないなら、俺の話を聞くだけでいい。ちっぽけで惨めな話だけどな』

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