#02 『ちょうどいい同盟』
ねっとりと前戯に時間をかけたからか、時計の針はもう夜と呼んで差し支えない時刻を指している。俺はバスルームから漏れ聞こえるシャワーの音に耳を澄ませながら、なんとも言えない気分で稲荷が出てくるのを待っていた。
男女の友情は成立しないってしたり顔で言う奴がいるけど、そんなことはない、と思う。
別に一線を越えたからって友達でいられなくなるわけじゃないはずだ。
――そうは思っていても、やっぱり不安は感じてしまう。
まるっきり今まで通りではいられないかもしれない。だが、これまでの心地いい二人の時間がなくなるのは嫌だった。
「ふぅ~。染みるのかなって思ってたけど、意外となんともなかった! もしかしてあたしって処女じゃなかったのかな?」
「……いや、ばりばり処女だったからな。シーツに血、ついてたから」
「ばりばり処女!」
ぷっ、と稲荷が失笑する。笑いのツボが変になったみたいな笑いっぷりだった。初めてを経て、だいぶハイになっているのかもしれない。
俺がついていけずにいると、稲荷は不満そうな声で言った。
「めっちゃ塩対応じゃん! ……もしかして噂の賢者タイムってやつ? エッチをしたら冷たくなるってほんとだったんだ……!」
「違うからな? むしろ稲荷がハイテンションすぎるんだからな?」
「え~、そう?」
「絶対にそうだ。うちに初めて来たときと同じくらいハイテンションだぞ」
「そんなに!?」
「ああ」と俺は深く頷いた。
実際、稲荷のハイテンションっぷりはヤバい。何がヤバいって、テンションが高くて笑顔がふわふわしてる稲荷はめちゃくちゃ可愛いので、色々と堪えなきゃいけなくなりそうでヤバい。……流石に処女だった相手と二回戦をするつもりはないし。
「なんでだろ。めっちゃ幸せだったからかな……」
首を捻って考え始めた稲荷は、不意にほろりと呟いた。
口から転び出た答えは納得がいくものだったらしく、「そっか!」とすっきりした顔で稲荷は頷いた。
「吾妻とのエッチが幸せだったんだよ! 二人でゲームしてるのと同じくらい!」
「お、おう……」
「吾妻もそう思わない!?」
「それは、まぁ……思わなくはないけど」
本音を言うと、めっちゃ気持ちよかった。幸せだったと思う。そのことを正直に言うのが照れ臭かった……のもあるけど、俺が言葉を詰まらせてしまったのはそれだけが理由じゃない。
――二人でゲームしてるのと同じくらい幸せだった、と言ってくれた。
俺はそのことが嬉しかった。
「吾妻が嫌じゃなかったら、なんだけど……また一緒にエッチしない?」
「えっ」と声を漏らす俺。
稲荷が俺とヤる理由は『経験しておきたいから』。経験したうえで『あたしは簡単にヤらせる女じゃない!』と言えたほうがスッキリするからだと語っていた。
俺の視線に気付くと、稲荷はばつが悪そうにぼしょぼしょと小声で呟く。
「別に吾妻があたしともうシたくないって言うなら別にいいもん。他の男子とヤるのはなんか違う気がするし、今日のことを思い出して一人エッチするから」
「…………」
「ていうか、まるであたしがビッチみたいになってるじゃん。別にそーゆうのじゃないもん。あたしがこんなこと言うの、吾妻だけだし」
「分かったから、もうやめとけ。多分、色々と墓穴を掘りまくってる」
『吾妻だけ』なんて嬉しいことを言ってくれるから、くすぐったくてしょうがない。
でも、同時にチクリと胸が痛んだ。
理由は考えなくても分かる。
「……さっきも言ったけど、俺は稲荷以外とシたことあるんだぞ? これからもあっちがやめようって言い出すまでは今の関係を続けると思う」
稲荷は俺の友達ではあるけど、特別なただ一人じゃない。
一線を越えておいてこんなことを言うのは酷いかもしれないけど、エッチをした程度で恋に落ちるほど安い友達関係だったつもりもない。
そして、それはもう一人の友達に対しても言えることだった。
「別にいいんだよ、そ~ゆうのは」
あっけらかんと稲荷が言う。
「いいって……流石に自分を大事にしなさすぎだろ。『自分はB級美少女だからしょうがない』とか思ってるのか?」
「ぷっ」稲荷が噴き出した。
「は?」俺は割とキレ気味の声を返す。
このタイミングで噴き出されるのは意味不明すぎる。お腹を抱えてひとしきり笑った後で、稲荷は「いいんだよ」と焼き直すように言った。
「特別とか一番とか、そ~ゆうのを目指すのって疲れるじゃん」
「それは……」それはどうだろう。俺が答えに窮する。
「疲れるんだよ。あたしは疲れた! 吾妻とは楽な関係でいたいの。疲れることは断固拒否! ゆる~くいられる時間が欲しいの」
「……そうだな」
間を作ってしまったけど、今度はちゃんと答えられた。
俺たちはまだガキだ。高校生のくせに『毎日に疲れた』なんて言うのは生意気かもしれないけど、子供にだって屈託はある。
人間関係とか、将来の夢とか、もしくは社会情勢とか。リアルには嫌な引力があって、俺たちの心を冷たい現実主義へと引っ張ってくる。
稲荷といるのが楽なのも、そういう引力を忘れられるからだ。
もしも稲荷じゃなくて伏見と一緒だったなら、俺は現実を考えずにはいられなかったと思う。高嶺の花に手を伸ばすには、自分がどれだけ低い場所にいるのかを知らないわけにはいかないから。
稲荷はちょうどいい。
美少女だけど可愛すぎない。人気者だけど雲の上の存在でもない。触れればドキドキするしエッチをすれば興奮するけど、ちょっと経てばちゃんとゲームに戻れる。
「ほんとそれだわ。確かに、ゆるくてぬるいほうがいい」
「でしょ~!? シリアスに振ったり振られたりするのとかだるいよね?」
「それはそう」
「じゃあ、ぬるっとだるっと続けようよ。ゲームをしたりエッチをしたりする関係。ちゃんとしないまま、さ」
とても不真面目で怠惰な関係だ。
いつかツケを払うときが来るのかもしれない。
けど、今が楽しくて幸せならそれでいい。これも一種の若気の至りってやつだろう。
「どっちかに恋人ができたら解消ってところか」
「お~、セフレっぽい」
「……それ、やめないか? セフレって言い方は生々しくてどぎつい」
「ちょっと分かるかも。じゃあ、なんて呼ぶ?」
「んー」
少し考えてみる。いい感じの答えが出てこない。
やがて稲荷がぽつりと零す。
「同盟とか?」
「同盟て。なんのだよ」
「うーん、『ちょうどいい同盟』?」
「『ちょうどいい同盟』」
稲荷がおずおずと口にした名称を俺が反芻する。
「変かな」
「まぁ、変だな」
でも悪くない気がしてきた。
「『ちょうどいい同盟』か」と口ずさむ。意外と口馴染みがいい。なにより、俺たちは同盟って言葉を使ってみたいお年頃だった。
「じゃあ、俺たちは今日から『ちょうどいい同盟』だな」
「らじゃらじゃっ! 同盟締結記念に……もう一回エッチしちゃう?」
「……………………今日はやめとく」
「あっ、今めっちゃ迷った! 吾妻ってば可愛い~!」
「可愛いって言うな! ……シャワー浴びてくるから、先にゲーム始めててくれ」
「はーい!」
――『ちょうどいい同盟』。
これは、背伸びをした子供みたいな俺たちのちょうどいい幸せの物語だ。
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