#26 軋む
その日の放課後、稲荷はうちに遊びに来た。
小町と鈴木もいないので、今日は稲荷と二人きりだ。
「なんか二人で遊ぶのは久々かも?」
「まぁ、一週間ぶりではあるな」
「嬉しい?」
「嬉しいって」俺は失笑する。「二人きりになるのが嬉しいとか、怖いだろ」
「それはそう!」
と他愛のない会話を交わし、俺たちはいつもの位置で『ボクモン』を始める。
しかし、俺はいつも通りではいられなかった。昼間の一件がどうしても気になってしまっているからだ。
「……稲荷ってさ」おずおずと俺は口を開く。
「ん~?」ゲームに集中しているのか、稲荷の相槌はテキトーだ。
「伏見のこと、どう思ってるんだ?」えいや、と尋ねてみることにした俺。
「……」返ってきたのは沈黙。
まずったか? 俺は少し不安になり、こっそり稲荷の様子を窺う。
相変わらずソファーに寝そべりながらゲームをしてる稲荷。表情を確認しようとしたら、稲荷と目が合ってしまった。
「なにその顔」稲荷が苦笑する。「あと、その質問も~!」
「それはそう」俺は同意した。
「急にど~したの? 全然話が見えないんだけど~」
「いや、えっと……」慌てて誤魔化す方法を探す。「B級美少女とばっかり仲良くなってるからな。生態を理解しておこうと思って」
「あたしたちは取扱注意の動物とかじゃないからねっ!?」
ぷっ、と二人で噴き出す。
……誤魔化せたのか、それとも誤魔化させてくれたのかは分からない。俺はなるべく冗談めかしたトーンで訊く。
「で、どうなんだ? やっぱりS級美少女は敵なのか?」
「あたしたちを何だと思ってるのっ? そんなわけないじゃん! 文ちゃんのことは大好きだし、尊敬してるよ。だって凄いじゃん。あたしたちと同い年なのに、キラキラしたステージであたしが想像もできないくらいたくさんの人を魅了してるんだから」
「まぁ、そうだな」
本心から頷く。ふーちゃんは凄いのだ。俺たちとは全く別の世界で
「まぁ、あたしを文ちゃんの代わりにしようとしてる男子にはムカつくけどっ! それはそれ、これはこれだから。文ちゃんは何にも悪くないもん」
「それはそう」
「だから好きだよ。……大好きなんだよ」
その声は、稲荷が自分に言い聞かせているみたいだった。
俺は訊きたくなってしまう。何があったのか、と。
稲荷は俺の大事な同盟仲間だ。ふーちゃんは俺の大切な幼馴染だ。その二人の間で何かがあったのなら、俺はそれを知りたいし、やれることをやりたいと思う。
「なぁ稲荷」
「なに?」
短いやり取りだった。当たり前だ。今のは切っ先でしかなくて、本題はこれから話そうとしているのだから。
でも――今のやり取りがどうしようもなく重たいものに感じられた。
それもまた、当たり前だった。何せ俺は今から稲荷に踏み込もうとしているのだ。何があったのかと詰問して、可能なら問題の解決にも手を貸そうとしている。
『吾妻とは楽な関係でいたいの。疲れることは断固拒否! ゆる~くいられる時間が欲しいの』
稲荷の言葉がフラッシュバックした。
俺たちは、楽でちょうどいい関係を求めていたはずだ。でも、ここで踏み込んだらそのままの関係ではいられないんじゃないか? エッチ程度では揺らがずに済んでいた友情も、きっと今度こそ揺らいでしまう。
そんな重い関係を――稲荷は望んでいるのだろうか?
「ゴールデンウィークって、うちに来るか?」
日和ったわけじゃない。
ギリギリで気付けただけ。稲荷が俺にそういう重い関係を求めていないんだ、と。勘違いして自分の気持ちを押し付けるよりもずっとマシな選択だと思う。
――だったらどうして稲荷の顔を見ようとしないんだ?
心の中で、そんな問いが反響する。うるせぇ。ゲームに集中してるだけだろうが。冷ややかな自問をはっ倒すように胸のうちで思う。
稲荷は微かに笑うと、ゲームをしながら答えた。
「ん~、わかんない。色々誘われてるし、来られないかも」
「流石は『学園のバラドル』」
「そ~そ~。あたしも人気者だからねっ!」
「じゃあ、人気者らしくゴールデンウィークはエンジョイするんだな。その間に俺はボクモンマスターになっておくから」
「そんなこと言って、他の子と遊ぶので忙しいくせに~」
「人を何股もしてる浮気男みたいに言うな!」
小町や鈴木と予定があるわけじゃないし、『ボクモン』をやる時間くらいあるに決まってる。
「だいたい、小町や鈴木は稲荷の同盟仲間でもあるんだからな?」
「そ~だけど」と言って、稲荷はかぶりを振る。「あたしが言ってるのはそっちじゃなくて」
「……?」
「……文ちゃんと仲良いんでしょ?」
「えっ」
いきなりふーちゃんの名前を出されて戸惑う俺。だが、考えてみれば不思議ではない。今朝から俺とふーちゃんのことは噂になっているのだ。そのタイミングでふーちゃんを話題に出せば、稲荷も気になるだろう。
「その噂はガセだからな」俺はきっぱり言う。「俺と伏見が付き合ってるわけないだろ?」
「でも、仲はいいんだよね? 幼馴染なんだから」
「――え?」
今度は、戸惑うどころでは済まなかった。一瞬思考が止まる。再び動き始めたときには『どうして?』という言葉が頭の中を埋め尽くしていた。
「どうして……知ってるんだ?」
と訊き返す。稲荷はゲーム画面に視線を向けたまま答えた。
「文ちゃんから聞いたの。ゴールデンウィーク最後の日のライブにも行くんでしょ?」
「あー」そういうことか。「なるほど」
「まさか吾妻と文ちゃんが幼馴染だとは思わなかったなぁ~。どっかのタイミングで言ってくれてもよかったと思うけどねっ」
「それは、あれだ。ついこの前まで疎遠だったから」
「ふぅ~ん?」
何故か言い訳っぽくなってしまう。本当のことを話しているはずなのに。
稲荷はやっぱりこっちを向かず、ゲーム画面を見つめたままだった。
「さては信じてないな?」
「べっつにぃ? 吾妻が誰とどんな関係でもあたしには関係ないもん。むしろ根掘り葉掘り質問するほうが
「…………そうだな」
それは釘を刺されているようでもあった。
これ以上詮索しないから、そっちも踏み込んでくるな――と。俺たちにはきっと、その程度の距離感がちょうどいいのだろう。
「あれ、何の話だっけ?」稲荷が重い空気をチャラにするように言う。
「俺がゴールデンウィーク中にボクモンマスターになれるかどうか、って話だろ」
「そうだった!」稲荷は顔を上げた。「っていうか、チャンピオンになった程度でボクモンマスターになれるって認識が甘いよね~」
「それはそう」
お互いに踏み込まない関係は、子供のちゃんばらごっこに似ている。かんかん、って玩具同士が軽い音を立ててぶつかるみたいに、俺たちの会話も軽く流れていく。
その後、一時間ほど『ボクモン』をやってから稲荷は帰りの支度をした。
「文ちゃんにも悪いしね」
という呟きは、たぶんエッチをしない理由だったのだろう。視線は俺の部屋のほうを向いていたから。
別にわざわざ言わなくたって、そういう空気にならなきゃするつもりはない。それなのに納得させるみたいに言い残していくから、余計耳の奥にこびりついてしまう。
「今日はここでいいや。まだ明るいし、寄りたいとこあるから」
教室でふーちゃんに見せたのと同じ顔だった。
「……そうか」それでも送る、とは言い出せない。「じゃあ、また」
「うん……バイバイ」
帰っていく稲荷を、俺はどうしてか引き留めたくなった。伸ばしそうになった手を必死に引っ込めて、玄関から見送る。
ブランケットを失くした子供みたいな気持ちで一人になった俺は、ふらふらとリビングに戻った。さっきまで稲荷が寝転んでいたソファーに腰を下ろす。温もりなんて残ってはいない。
「寂しいな」
素直にそう呟いた、そのとき。
ぶるるっ、とテーブルに置きっぱなしだったスマホが震えた。
【Fumi:とつぜんごめんね】
【Fumi:今から電話できないかな?】
【Fumi:こたくんの声がききたいです】
逆さまだな、と少し前のことを思い出す。あのときはふーちゃんと別れてすぐに稲荷からRINEが届いた。
【コタロー:いいよ】
短く返して、ふーちゃんに電話をかけた。
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