穢れて汚くてどうしようもない

壊れて汚れた私は、もっと壊れて汚れなきゃダメなんだ

 呼吸がしづらくて苦しい。動悸が早くなって、呼吸が浅い。

 体調が悪い。いつも体がだるくて力が入らない。


 貧血なのか何なのかわからない。でも頻繁に立ち眩みやめまいがする。

 学校に足を運んでもずーっとぼぅっとしていて、何も頭に入らない。


 日常生活が満足に送れていない。送っているように見えて、何も私の中に残っていない。

 それでいて、夜は恐怖に震えている。


 夜一人になると、睡眠薬に手が伸びる。何個も何個も取り出して、机の上に並べて、いくつ取り出したか数えるなんて意味のない行動をして。

 違う。ダメだ。飲んだらダメ。オーバードーズなんてダメに決まってる。


 でも飲まなきゃ眠れない。飲みたい。飲みたくない。飲んじゃダメだ。でも――


 ……一個だけ。一個だけ飲んで、ベッドに入ろう。無理やり寝よう。

 そうして一個だけ睡眠薬を飲んで、無理やりベッドにもぐりこんで目を閉じる。


 真っ暗闇の瞼の裏。私は懸命にイツキの顔を思い浮かべる。イツキのことだけを考える。

 小学生の頃私に話しかけてくれたイツキ。私が悲しんでる時に慰めてくれたイツキ。


 中学の頃どんどん男らしくなっていくイツキ。引っ越しを告げた時に抱きしめて慰めてくれたイツキ。

 成長して、男らしくなったごつごつとした体だった。私よりも大きな手だった。


 大きな手で……男らしくて……私を押さえつけて……無理やり服を脱がされて……腕も足も抑えられて動けなくて……!

 下卑た笑みで! 私をオモチャみたいに弄んで! 泣き叫ぶしかなくって! そんな私を見て手を叩いて笑って!


「いやあぁぁぁ――――!!」


 違う! イツキじゃない! イツキはそんなことしない!

 やだ! やだぁ! やめてよ! 私の思い出まで穢さないでっ! 私の心に入ってこないでよぉ……! 私の中のイツキまで踏みにじらないでよぉ……!


「やだぁ……なんで私なの……? 私はただ、イツキと一緒にいられればそれだけでよかったのにぃ……」


 汚れちゃった……汚れちゃったよイツキぃ……。

 こんな……私、汚れて……壊れちゃって……イツキのことまで汚しちゃって……。


 あはは……私、ダメだよね? 私に価値なんてないのに、そんな私がイツキのことまで穢しちゃって……ホントダメだよね?

 ダメな人間は……罰を受けなきゃね。


 罰を受けなきゃまっとうな人間に戻れないんだから。

 罰を……罰を受けなきゃ。


 他人に犯され、穢され、壊れた私にお似合いの罰は――やっぱり、他人に犯されて、穢されること……だよね?

 そうだよね……イツキ……?











 朦朧とした意識で、大して知りもしない男に抱かれる。


「あぁ……! いい……! いいよ、結衣ちゃん!」


 男の汚い手が私に触れる。汚い体がのしかかる。

 私に洗っても落ちない穢れを染み込ませてくる。


 元々汚れていた私の体が、さらに汚れていく。取り返しがつかなくなるほど汚れていく。

 ……取返し? そんなものがつくなんて、まだ思ってるの?


 つくわけないじゃない、そんなもの。あの日、あいつらに初めてを奪われたときから。

 私はとっくに取り返しのつかないところまで転がり落ちて、地獄の底をただ見つめているだけなのに。


「出すよ、結衣ちゃん!」


 生ぬるい体液が私に降りかかる。

 そしてまた、私の体に消えない汚れが一つ、染み込んでいった。











 私はまた部屋で一人、うずくまって泣いていた。

 スマホに映したイツキの写真に頭を下げて、ひたすらに謝罪を繰り返した。


「ごめん……ごめんねイツキ……! こんなに汚れてて、ごめんねぇ……!」


 男に抱かれると、一時的に正気に戻る。

 私は何をしてるんだろうって、なんでこんなことをしてるんだろうって、激しい後悔が押し寄せる。


 そしてもうとっくに私の傍からいなくなったイツキに向かって、ひたすらに謝り続けるのだ。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 こんな汚い女でごめんなさい。弱い女でごめんなさい。


 あなたの傍にいたかった。あなたの隣に立ちたかった。

 あなたからの愛の言葉が欲しかった。私からの愛の言葉を伝えたかった。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――


 そうやって謝って、また睡眠薬に手を出して、正気を失って、男に抱かれて、正気に戻る。

 その繰り返しだ。どうにもならない。逃げられない。だって私は壊れてるから。


 家族の前や学校にいる間は、正気のふりをした。上手くできてたかどうかはわからない。何も言われなかったから上手くできてたのかもしれない。どうでもいいや。

 別に周りに心配をかけないためにそうしてたわけじゃない。何言ってるのかわかんないだろうけど、正気のふりをしている間は正気でいられる気がしてただけだ。だからそうしてた。それだけ。


 でも、心の底ではこんなんじゃダメだって気持ちもあるんだ。たとえもうイツキに会えないのだとしても、このままじゃダメだって。

 薬に頼って、男に抱かれて、正気を保って……こんなのダメに決まってる。


 だから私は男に抱かれた後の、正気を保ってる時間に警察から案内されたカウンセリングにちょっとずつ足を運びながら、必死に勉強をした。

 カウンセリングは正直私のためになっていたのかはわからない。でもカウンセリングに足を運んでいたという事実が、私がまっとうに生きるために努力している証に感じられて、それだけで足を運ぶ価値を感じられた。


 性被害のカウンセリングっていうのはどこまでも被害者に寄り添ってくれて、私が両親にカウンセリングに来ていることを伝えないで欲しいって言ったらその通りにしてくれた。

 薬と、セックスと、勉強と、カウンセリングと……最初は薬とセックスの比重があまりにも大きかったその行為も、大学受験をする頃には半々ぐらいにまで何とか立て直して。


 大学は県外の大学を受験した。自分の家にも、この街にも住んでいたくなかった。

 この街を歩いているだけで、連れ込まれた路地が視界の端に映るだけで、私の心はかき乱される。粉々に砕け散った心を必死に繋ぎ合わせて取り繕った偽物の心が、また壊れてしまう。


 進学先は両親に黙って決めた。どうせ私に興味ないのだから、私がどこを受験したって気にするのはお金のことだけだ。だから私は奨学金を借りて、親からお金を出してもらわないようにした。

 私が進学先を伝えた時には、案の定何も言ってこなかった。いや、何かいろいろ言ってた気もするけど、それは進路の話とは関係なかったから記憶に残ってないだけだ。


 進学先の大学は、中学の頃イツキがちらっと会話の中で出していた大学だった。

 こんなになっても、私はいまだにイツキのことが忘れられない。


 もちろん大学にイツキがいるなんて思ってない。でも、思い出の中のイツキと少しでも繋がりが欲しかった。


 イツキに連絡をしなくなった日以降、私は一度もイツキに連絡をすることができなかった。汚れた私が今更イツキになんて言って連絡をすればいいのかわからなかった。


 ――そして私は、悪夢から逃げるように地元を離れたのだ。

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