俺は結衣が一番好きなんだ
結衣が全く起きる気配が無いから、俺もとりあえず着替えて結衣の傍に寄り添う。
結衣の左手を両手で握りしめたまま座っていると、いつの間にか俺も寝てしまっていた。
翌朝起きると、結衣はまだ眠っていた。
人をダメにするクッションを使っているとはいえ、体の半分以上は固い床の上なのにこんなに眠ったままなのは、やっぱり結衣の言ってたことが本当でほとんどまともに眠れてなかったからだろうな。
眠る前は座っていた態勢だった俺も、目を覚ました時は結衣の隣に寝転ぶような態勢になっていた。おかげで体中バキバキで全身が痛い。
時刻はまだ早朝で、部屋の窓からは朝陽が差し込んできている。
俺は結衣が眠っていることを確認すると、握っていた手を離してごみを捨てに外に出た。
初夏の空気は若干の湿度と気温の高さが絶妙に気持ち悪さを感じさせる。
手に持ったごみをごみステーションに放り込む。本当はダメなんだろうけど、掛け布団も薄いタイプのやつだったから丸めて小さくしてごみ袋の中に入れて捨てておいた。
とにかく、アレはすぐにでも処分した方がいいと思ったからだ。俺と結衣の精神衛生的に。
部屋に戻ると、まだ結衣は眠っていた。
結衣の寝顔を少しの間見つめてから、俺は昨日風呂に入ってなかったことを思い出してシャワーを浴びるために風呂場に向かった。
着ていた服を脱いで洗濯機に入れていく。ベッドのシーツと枕カバーも入れて、シャワーを浴びる前に洗濯機を回しておいた。
それからシャワーを浴びて汗を流していく。
結衣……俺、これから結衣とどうやって向き合っていけばいいかっていうのが、まだよくわかってないんだ。
結衣のことが一番大事なんだ。一番好きなんだ。それは変わってないんだ。たぶん、これからも変わらないんだ。
でも、今の結衣にどうやって向き合えばいいのかっていうのはよくわからなくて……。
結衣の過去と、結衣の未来と……ちゃんと考えなきゃいけないっていうのはわかるんだ。
結衣の過去に、どうやって触れたらいいんだろう。結衣の未来に、どうやって一緒に向かえばいいんだろう。
俺は結衣に幸せになってほしいのに……。
「いやあぁぁぁ――!」
俺がシャワーを浴びながらそんなことを考えていると、突然悲鳴が聞こえてきた。
一瞬ビクッとして、この部屋には俺の他に結衣しかいないことを即座に思い出して、この悲鳴が結衣のものだと察して。
「結衣!?」
浴びていたシャワーを止め、タオルだけ持って部屋に飛び出る。下着を履く時間すら惜しい。
「イツキぃ……! イツキどこ!? どこなのぉ!? いや! 見捨てないで! 私のこと見捨てないでぇ……!」
俺の目に飛び込んできたのは、座り込んだまま錯乱したように俺の名前を呼びながら首を振る結衣の姿で。
俺は自分が裸なのも気にする余裕もなく、慌てて結衣に駆け寄って抱きしめた。
「結衣。大丈夫。大丈夫だから。俺はここにいるから。結衣のこと見捨てたりしないから……」
「イツキ! イツキぃ……! イツキがどこにもいないの……! イツキがどこにもいないのに、あいつらだけは私を笑ってくるの! イツキ……怖いよぉ……独りにしないでよぉ……! どこにいるのイツキぃ……」
ぽろぽろと涙をこぼしながら俺に縋りついてくる結衣。俺に縋りついているのに、俺がそこにいることに気付いていないみたいで。
俺に縋りつきながら、俺の名前を呼びながら、俺を探す。
そんな結衣を抱きしめながら俺はいつも結衣が泣いている時にするように、背中を撫でながら耳元で「大丈夫。大丈夫」と言い続けた。
その状態がどれくらい続いただろうか。いい加減俺の体が湯冷めして少し寒く感じ始めた頃、ようやく結衣の様子が落ち着いた。
「イツキ……ごめんね……。シャワーの途中だったんだよね……? ごめんね……もう大丈夫だから……湯冷めしちゃったよね? もう一度浴びてきて……? 風邪ひいちゃうよ……」
「結衣……本当に大丈夫か?」
「うん……目が覚めたらイツキが傍にいなくて、ちょっと混乱しちゃっただけだから……イツキがいるってわかってれば大丈夫だから……」
「何かあったらすぐ俺のところに来るんだぞ」
「うん……ありがとイツキ……」
結衣にそう言い残して、俺は冷めた体をもう一度温めるためにシャワーを浴びに戻った。とはいえ、あんな状態の結衣を独りにしておけるわけもなく、俺は手早くシャワーを済ませるとすぐに結衣のところに戻った。
結衣は膝を抱え込んだ姿勢で座っていて、焦点の定まらない瞳でぼぅっと空中を眺めていた。
そんな結衣を見ると心が締め付けられる。結衣は今まで俺の前でそんな姿を見せたことはなかった。俺に向けてくれるのはいつも可愛らしく優しい笑顔で……。
その裏で、こんなになるまで苦しんでたなんて思ってもなくて……。
「結衣……」
俺が結衣の名前を呼ぶと、結衣は肩をビクッと振るわせてから俺の方を向いた。
「あ……もっとあったまってきてもよかったんだよ……?」
「十分あったまったから大丈夫だよ」
そう言いながら結衣の隣に腰を下ろす。
俺も結衣も何も言わずに、無言の時間が訪れた。洗濯機の稼働してる音と、時計が針を刻む音だけが部屋に流れる。
肩が触れ合うくらいの距離で座ったから、結衣の体が震えているのが伝わってくる。伝わってしまう。
結衣は今、何を考えているのだろうか。何を思っているのだろうか。
やぱっぱり不安、なのだろうか。俺に捨てられるかもしれないと恐怖しているのだろうか。
さっきだって俺の姿が見えなかっただけで、俺の名前を呼びながら取り乱していた。少し耳をすませばシャワーの音が聞こえただろう。洗濯機の音が聞こえただろう。それだけで自分以外の人間がこの部屋にいることがわかったはずなのに。
それなのに……あんなに取り乱して、ぽろぽろと涙をこぼして……。
結衣の不安を取り除いてあげたい。結衣の心の支えになってやりたい。
どうやったらできるかわからない。でもどうしても俺がそうしたいんだ。
そのためには、まずは――俺の気持ちを結衣に伝えなきゃダメだよな。
結衣だって俺に全部伝えてくれたんだ。だったら俺だって俺が思ってることを結衣に伝えないとダメだろ。
「なぁ結衣。俺の話を聞いてくれるか……?」
隣に座る結衣に話しかける。俺が話しかけるたびにびくりと体を震わせる結衣に悲しみを覚えてしまう。
「な、なにイツキ……? あ、朝ごはん、まだだよね? ちょっとまってて、今すぐ作るから――」
「結衣。俺の話を聞いてくれ」
俺の話を聞くのが怖かったのか、話を誤魔化そうとした結衣を遮ってもう一度伝える。今度は疑問形ではなく命令形で。
「やだ! やだやだやだ! イツキに捨てられたくない! 話なんて聞きたくない! イツキの傍から離れたくない――!」
「結衣!」
また錯乱しかけた結衣を抱きしめる。少し大きな声で結衣の名前を呼んで結衣の言葉を止めさせる。
こんな不安定な状態の結衣に俺の話を聞かせて大丈夫だろうか。俺の気持ちを伝えて大丈夫だろうか。
そんな考えが頭を掠めたけど、それを無理やり追い払う。
違うんだ。ダメなんだ。たぶんここなんだ。ここが俺と結衣にとって大事なところなんだ。
いつものように結衣の言うことを聞いて、結衣のことを甘やかしたらダメなんだ。結衣の言うことを聞いたら一時的に結衣は落ち着くかもしれないけど、それじゃあ何も解決しないんだ。
俺は結衣と一緒に未来に行きたいんだ。
「結衣。大丈夫だから、俺の話を聞いてくれ」
「やだ……!」
「俺の話を聞いてくれないと、俺は結衣と一緒にいられない」
「やだッ!」
「じゃあ、聞いてくれるか?」
「……」
返事をくれない結衣に、俺はもう一度「結衣」と名前を呼んだ。結衣は俺の目を見た後、観念したかのように「……うん」と小さく返事をしてくれた。
結衣が俺の話を聞いてくれる。俺はゆっくりと息を吸うと、なるべく優しく聞こえるように気を付けながら俺の気持ちを伝えた。
「結衣の話を聞いても、やっぱり俺は結衣のことが好きだ。世界で一番好きなんだ。そりゃあ、あんなのを見て、結衣の話を聞いて、ショックじゃなかったと言えば噓になる。結衣の話を全部信じられたっていう自信もない。でも、間違いなく結衣は頑張ってて、努力してて……独りでだって立ち上がろうとしてて……凄いことだと思う。それなのに俺が無神経に傷つけて……」
「違うよ! イツキはなんにも悪くない!」
「結衣が一番辛かった時に寄り添えなかったのは俺だ。結衣のことをちゃんと知ろうとしなかったのは俺だ。結衣がこんなに傷ついてしまう前に、もっとどうにかできたはずなんだ」
「そんなことない……! イツキはいつだって私に優しかったよ……! 私に寄り添っててくれてたよ……!」
結衣を抱きしめながら、結衣の頭を撫でながら続きを話す。
「今まで何度だって伝えてきたし、これからだって何度だって言うよ。俺は結衣が一番好きだし、愛してるんだ。これからも結衣と一緒に生きていきたいんだ。結衣と一緒に未来に行きたいんだよ」
「私も……イツキと一緒に生きていきたい……!」
「だからさ、結衣」
そこで一旦言葉を切る。
別に特別なことを伝えるわけじゃない。でもこれから俺と結衣が一緒に生きていくためには必要なことだと思う。
怪我をしたら病院に行く。風邪を引いたら病院に行く。病気になったら病院に行く。至極当たり前だ。
だから、これも当然だ。心がどうにもならなくなったらどうするか。
「俺と一緒に病院に行こう。二人の未来のためにちゃんとお医者さんに診てもらって、結衣の心を治そう」
結衣を抱きしめながら、俺はそう伝えたのだ。
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