結衣と向き合わなきゃな
「悪い、陸。何日か大学休むわ」
『どしたん? なんかあったん?』
「んー……ちょっと彼女とのことでいろいろあって。詳しくは言えないんだけどさ。あ、別に別れたとかじゃないから」
『あんだけラブラブだったのに喧嘩でもしたん? ま、何にしろ大事にしてあげなよ』
「わかってるって。それじゃよろしくな」
『あいよー』
結衣が寝ている間に陸に電話をかける。陸も実習が終わってこっちに帰ってきてる頃合いだろうか。
実習は授業の単位の一環だから、終わったらレポートやら実習記録やらなんやら提出しなければならないが、別にすぐに出さなければいけないという訳でもない。実習の日付も人によって微妙に違うし、何日間か大学に行かなかったくらいでどうにかなるものでもないから大丈夫。
俺の腕の中で寝ている結衣を離して、クッションに頭を乗せる形で床に寝かせる。本当ならベッドに寝かせたいところだけど、このベッドに寝るのは結衣も嫌だろう。
とりあえずベッドのシーツや掛け布団や枕を全部取っ払う。シーツや枕カバーとかは洗濯機で洗えばいいけど、掛け布団はどうするか……。捨てていっそのこと新しいものでも買いに行くか。
ごみ箱も中身を取り出して、口をキュッと縛って中身が見えないようにする。結衣が見られたくないものみたいだし、そもそも血の付いた包帯なんて衛生的によろしくないだろう。
幸いにも明日が燃えるごみの回収日だから、今のうちに外のゴミステーションに持っていくか。
テーブルの上の睡眠薬は……これを捨てても大丈夫なのだろうか。
こんなもの残しておくのなんて、結衣によくないに決まってる。でも、結衣がこれに頼ってきたのも事実で、全部捨ててしまったとわかったときに結衣がどんな気持ちになるのか、俺にはわからない。
睡眠薬が無くて混乱するのだろうか。俺が傍にいれば大丈夫なのだろうか。
少し前までの結衣は俺が傍にいればよく眠れた。でも、今の結衣は?
今は泣き疲れて眠ってる。ここ二週間まともに寝れていないみたいだし、さもありなんといったところかもしれない。でも、じゃあ目が覚めた後は? 以前と同じように、俺がいれば眠れるのか?
……わからない。知らなかったのだとしても、俺がとった行動のせいで結衣が傷ついてしまったのは事実なわけで。
俺に嘘を吐くつもりが無かったのだとしても、俺は結衣に嘘を吐いてしまったのだ。電話をするって言いながら電話をしなかった。
一人で自分の心と戦ってた結衣に。俺との連絡が心の支えだった結衣に嘘を吐いて……。
そんな俺の傍で、果たして結衣はまた眠ってくれるのだろうか? 無防備に俺に全てを差し出すように眠ってくれるのだろうか?
睡眠薬は一応、残しておいた方がいいんじゃないか……。
――いや、違う。結衣の未来のために行動するんだろ、俺。
結衣の未来にこの睡眠薬は必要ない。なら取る選択肢は一つじゃないか。
俺はテーブルの上に置かれていた睡眠薬を手に取ると、捨てる予定のごみ袋の中に放り込んだ。
大丈夫。さっきだって俺の腕の中で眠ってくれたんだ。これからだってそうやって眠ってくれるに決まってる。大丈夫。大丈夫だ。
自分に言い聞かせるようにしながら、俺は捨てる予定のものを部屋の隅にまとめていった。
すぅすぅと寝息を立てる結衣の寝顔を見つめる。
結衣の瞼は腫れぼったくて、目の下に隈ができている。血色も全然よくなくて、俺が実習に行く前とは大違いだった。
左手首には包帯が巻かれている。もう血は滲んでいないみたいだけど……結衣の話が本当なら、二日くらい前に切ったばっかりだ。
どれくらい深く切ったのかはわからないけど、包帯が真っ赤になるくらいには切ってたのは間違いない。
結衣……。
ごめんな、俺全然気づかなくて……。
おかしいな、って思う瞬間は何度もあったんだ。でも俺は結衣と付き合えたことに浮かれて、結衣が俺を愛してくれてたことに夢中になって、結衣からのサインを見落として……。
口に出すのも憚られるような酷い目にあって、心を壊して……それでも俺のことを想って耐えててくれてて……。
気付けば俺は結衣を見つめながら涙を流していた。
大の男が肩を震わせながら、泣いてしまっていた。
俺のせいだよなぁ……結衣……。
一年もずっと一緒にいたのに、結衣がこんなになるまで気付かなかったバカな俺のせいだよなぁ……。
何泣いてんだよ俺……。泣きたいのは俺じゃなくて結衣の方だろ……。
そう思うのに、涙が止まらなくて。
はは……何年ぶりだよ、こんなに泣くのなんて……結衣に彼氏ができたって勘違いした時だって泣かなかったのに……。
結衣……ごめんな……。
これからどうしたらいいんだろうな……。
結衣は、これからどうしたいんだろうな……。
結衣は俺に「捨てないで」って言いながら縋りついてきた。結衣の話を聞く限り結衣の心の支えは俺で、たぶん俺が近くにいないとどうしようもないんだろう。
精神的に不安定になって、また今回みたいなことを繰り返してしまうんだろう。
じゃあずっと俺が近くにいればいいのか? 一日だって離れずにずっと? 一生?
気持ち的にはそうしてやりたいけど、現実的には無理に決まってる。
今回だって教育実習っていう、どうにもならない事情で一か月離れたんだ。これから先、そういったことが無いなんて誰が言えるんだ? その度に結衣は精神的に不安定になるのか? また心を壊すのか?
心を壊して、睡眠薬に手を出して、手首を切って……それで……他の男に抱かれて……!
結衣が他の男に抱かれていた光景が脳裏をよぎって胸が苦しくなる。この一回だけじゃなくて、俺が知らないところで何度も何度も……!
違う……! それは俺と付き合う前の話で……! 結衣の心も壊れてて……! 結衣だって自分で望んでやってたわけじゃなくて……!
でも、結衣が他の男に何度も抱かれたのは、結衣の話の通りなら事実で……俺の目の前でも抱かれてて……。
結衣が望んでそうなったわけじゃないのはわかってる。わかってるんだけど、それでも、やっぱり受けた衝撃はどうしようもなくて……。
俺は結衣を手放したいわけじゃないんだ。結衣のことを汚いなんて思ってるわけじゃないんだ。
結衣が他の男に抱かれてたって、やっぱり一番大事なのは結衣だってことに変わりはなくて。
俺は……やっぱり、結衣とちゃんと向き合わなきゃダメだよな。
これからも結衣と一緒にいるためには、そうしなきゃダメだよな。
結衣の寝顔を見ながら、俺は一人そう決意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます