第三章 イツキと結衣
俺はお前のことが
今までごめんな
「ごめんなさい……ごめんなさい……! 何でもするから……! なんでも、するからぁ……! だから、捨てないでぇ……!」
俺と出会った時のことから、離れていた間のこと、それから俺と再会してから今日までのこと。
結衣は全てを語ってくれた。俺が結衣に言った「結衣の全部が知りたいんだ」という言葉通りに。
結衣の言っていることが全部本当かどうかは、正直なところ俺にはわからない。それを証明する手段が無いし、結衣も何か証拠を出してきたわけでもない。
あるのは血の付いた包帯と、大量の睡眠薬の空き箱。それからさっき俺が見た光景だけで。
それでも、俺は結衣が嘘を吐いてるなんて微塵も思わなかった。
泣きながら、怯えながら、時には戻してしまったりしながら、それでも話してくれた。あまりの様子に俺が途中で止めても「もうイツキに隠し事なんてしたくない」と言って譲らなかった。
そんな結衣が嘘を吐くはずがない。
今までだって結衣は別に、俺に嘘を言ってたわけじゃない。ただ、言わなかっただけで。
そのことは、俺が責められることじゃないんだ。俺だって結衣から昔の話を聞き出そうとしなかったんだ。「何か辛いことがあったんだろうな」って気付いてたのに、いつか結衣が話してくれるまで待とう、だなんて思って。
結衣がこんなにボロボロになるまで気付かなくて……。
俺ってバカだ。最低だ。
結衣はいつだって俺にサインをくれてたじゃないか。それを俺は結衣と付き合えたからって、諦めてた思いが叶ったからって浮かれて見逃して。後回しにして。
何が「結衣を手放さないように努力する」だ。逆に今までよく結衣に愛想を尽かされなかったな。
高校の時だってそうだ。
中学まであれだけ仲が良くて俺にべったりだった結衣が、彼氏ができたなんて理由で俺に何の連絡もしなくなるなんて、今から考えたらあり得ないだろ。
結衣の隣に歩いてたのは誰だ? 結衣を襲ってた最低の屑野郎か? 結衣が自分を傷つけるために体を明け渡してた野郎か? なんだっていいか。俺が気づかずに結衣から逃げ出したことに変わりはないんだから。
結衣から連絡が無かったって、送り続ければよかったのに。小学生の時の俺はそうだっただろ? 結衣から返事が無くたって、冷たくあしらわれたって結衣にずっと話かけてたじゃないか。どうして高校生になってちょっと離れたくらいでそれができなくなるんだ?
大学で結衣と再会してからだって、おかしなところはいくつもあったじゃないか。
彼氏に悪いって言った時に結衣の様子がおかしかったこと。初めて結ばれたときに結衣が泣き崩れたこと。結衣が俺から片時も離れたがらなかったこと。何度も何度も俺を求めてきたこと。
教育実習の時だって……俺が「電話するから安心して」なんて言っておきながら、結局自分が疲れてるだけで電話できなかったこと。その後も結衣の様子がおかしいなって思ってたのに流してしまったこと。
高校の時も、ついこの前も。
必死に戦って心を繋ぎとめようとしてた結衣に、俺がとどめを刺してたんだ。
最低だ。
なんだこのクソ野郎は。死んだ方がマシなんじゃないか?
……いや、ダメだ。
それは、ダメだ。
だってこんな最低な俺でも、結衣は愛してくれてるんだ。それが壊れた心だったとしても、結衣の愛は本物だったんだ。
最低な俺にだって、それくらいはわかる。だから、ダメなんだ。
「結衣……」
俺が結衣に声をかけると、結衣は肩をビクッと振るわせてまた「ごめんなさい……」と謝ってきた。
そんな結衣を俺はそっと胸の内に抱きしめる。
結衣が泣き崩れていたらいつもそうしていたように、背中を撫でながら「大丈夫。大丈夫」と声をかけ続ける。
結衣が壊れてしまった原因は、俺にだってある。人によってはそんなことないっていうかもしれないけど、そうじゃないんだ。
結衣を一番傍で支えてあげなきゃいけなかったはずの俺が、結衣のことを一番わかってあげられていなかったんだ。
「結衣……ごめんな……今まで気付いてあげられなくて、ごめんな……」
「違う……! イツキはなんにも悪くなくて……! 私がバカで弱かったのがいけなくって……!」
「それでも……それでも謝りたいんだ……。結衣は悪くない。気付いてあげられなかった俺がバカだったんだって……」
結衣を腕の中に抱きしめながら謝罪する。結衣を手放さないように。結衣を壊さないように。
「イツキぃ……私、汚いよぉ……やめてよぉ……」
「汚いなんてあるもんか。結衣は頑張ったんだよ。結衣は悪くないのに、それでも何とかしようとして頑張ったんだ。それが汚いなんてこと、あるはずないだろ」
男に組み敷かれていた結衣を見た時、汚いと思ってしまった。その時の自分を殴り飛ばしてやりたい。
「イツキぃ……ごめん……ごめんねぇ……! こんな弱い女でごめんねぇ……! こんな時なのに、私が裏切ってイツキの方が辛いはずなのに……! イツキに抱きしめられると、嬉しくなっちゃうの……! 離れたくないって思っちゃうの……! 最低な女でごめんねぇ……!」
「大丈夫だよ、結衣。大丈夫……大丈夫……」
背中を撫でて結衣を慰める。泣き崩れて嗚咽の止まらない結衣を落ち着かせる。
……確かに、起きた光景だけを見れば結衣は俺を裏切ったのかもしれない。でもそれは、結衣の意志じゃなくて……。
今までのことだってそうだ。結衣は好きで男に体を差し出してたわけじゃない。心が壊れて、そうしないといけないと思い込んでただけで……。
いじめられた人間が、性暴力を受けた人間が本当にそういった心情になるかなんて、俺にはわからない。俺にはそんな知識なんてないし、今まで周りにそんな人なんていなかったから。
でも……俺が結衣のことを信じてあげなくて、誰が結衣のことを信じてあげるんだ? 誰が結衣に寄り添って生きていくんだ?
こんなにボロボロになって、傷ついて、俺に縋りついてくる結衣を……捨てるなんてこと、できるわけないだろ……!
結衣の背中を撫でていると、だんだんと結衣の嗚咽が収まってくる。そのまま体の震えも徐々になくなってきて、気付けば寝息をたてながら俺の腕の中で眠っていた。
結衣の話が本当なら、ここ二週間ほどは満足に眠れなかったんだろう。睡眠薬で無理やり眠ったって、手首を切って気を失ったからってそんなのちゃんと眠れるはずがない。
俺の腕の中だけが、結衣の安心できる場所なんだろう。
俺はそのことが嬉しいと感じてしまう最低な人間だ。でもこんなのダメだ。
このままじゃダメなんだ。このままじゃ結衣は幸せになれない。
なんとかしないと。結衣の未来のために。
「結衣……俺、頑張るからな……。一緒に頑張ろうな……」
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