卒業式

 結衣が俺の実家に帰ってから、まるで矢のように時間がどんどんと過ぎていった。

 俺の部屋は結衣がいなくなって広くなって、俺はベッドで手足を伸ばしながら寝られるようになった。別に嬉しくないけど。


 去年は結衣と温泉旅行に行って過ごした秋も、二人でまったりと過ごしたクリスマスも、今年は一人で過ごした。年末年始は陸と橘さんに誘われたけど、二人の邪魔をしたくなくて断った。

 大学二年生からずっと結衣と一緒に過ごしていたから、結衣がいなくなった部屋で一人過ごすのはなかなか慣れなくて……ふとした瞬間に結衣の名前を呼びそうになってしまうことがよくあった。


 ……いや、これじゃよくないよな。結衣がいないと寂しくてダメだなんて……そんなの、俺から離れて頑張ってる結衣に失礼だろ。

 だから、気持ちを切り替えなきゃな。そうだろ? 俺。やればできるって。


 採用試験が終わった後は、もう卒論くらいしかやることが無い。卒論は確かに書き上げるのは大変だけど、だからといって卒論以外何もできなくなるほど大変なわけでもない。

 だから俺はその時間を利用して、今まで細々としかやっていなかったアルバイトの時間を増やした。


 お金が欲しい理由もあったし、仕事に集中している時間は寂しさも感じることが無かったから好都合だった。


「この間結衣と遊んできたんだけどね~」


 陸と橘さんと一緒にいると、時々橘さんから結衣の話を聞くことができた。

 俺と結衣は、結衣が俺の実家に行ってから一切連絡も取りあっていない。だから今結衣が何をして過ごしているだとか、どんな気持ちでいるだとかっていうのは俺は全く知らない。


 橘さんから聞く結衣の話と時々かかってくる両親からの電話だけが、俺がここ数か月の間聞ける結衣の話だった。

 その話を聞く限りでは……結衣はめちゃくちゃ頑張ってるみたいだった。


 そうやって日々を過ごしていって、年も明けて卒論の提出も終わって……後は残すところ卒業のみというところで。

 もうすぐ結衣に会えるってソワソワする俺がいた。


 約半年ぶりぐらいだろうか。結衣と会うのは。


 なんだかもうずいぶんと長い間会っていないような気がする。たった半年なのに……高校から大学一年の四年間離れていた時よりも、ずっとずっと久しぶりだ。

 なんでなんだろうな。やっぱり、恋人として過ごした時間の密度が濃かったからかな……?


 なんて思いながら迎えた卒業式当日。

 俺は久しぶりに結衣と顔を合わせたのだ。











 大学の校門には、桜が咲いていた。ひらひらと花びらが舞っていて、卒業式が開かれる大学の講堂までの道を彩ってくれている。

 天気はこれ以上ないくらいの快晴だった。春相応に暖かくて、柔らかい日差しが降り注いでいて……歩く人達の顔には笑顔が浮かんでいる。


 そんな中、俺は一人校門に立ってそわそわと落ち着きなく歩き回っていた。

 スーツを着た大の男が一人で同じ場所を行ったり来たり……不審者かな?


 なんて自分でも思ったけど、落ち着くことなんてできなくて。通り過ぎていく人が俺のことをじろじろ見てくるのもお構いなしに、俺はうろうろ歩き回っていた。

 陸からは「乙倉さん来るまで一緒にいてやろうか?」なんて言われてたけど、その申し出は断った。


 陸の心遣いはありがたかったけど……やっぱり結衣との再会は、俺一人でしたかった。

 これはただの俺のわがままだ。それでも、結衣と二人の時間を大事にしたくて。


「イツキ――!」


 そうやって落ち着きなく待っていると、この半年間一度も聞くことなく、それでも一度だって忘れたりしなかった人の声が聞こえてきて。

 思わず足を止めて声のした方を向く。


 柔らかな日差しの中に舞う桜の花びらの向こう。卒業式に向かって歩く人混みの向こう側に、一人の女性の姿が見えた。


 艶のある濡れ羽色の黒髪。半年前よりも長くなっていて、再開したばかりの頃は刺してあったピンクのインナーカラーは今はもうなくなっていた。

 大きな瞳の可愛らしい顔立ち。相変わらずスタイルのいい体をスーツに包んで、黒いストッキングに包まれた足をパタパタと動かして俺の方に駆け寄ってくる。


「結衣……」


 大学二年の頃に再会したときは、俺が結衣の方に駆け寄っていった。

 大学四年の卒業式の日、今度は結衣の方から俺に駆け寄ってくる。


「イツキ!」

「結衣!」


 人混みをかき分けて俺の胸に飛び込んできた結衣を受け止める。背中に腕を回して力いっぱい抱きしめた。


「イツキ……久しぶり」

「そうだな……久しぶりだ」


 お互い抱きしめあいながら、耳元で再会の挨拶をする。周りからどう見られてるかなんて、やっぱり俺には関係なくて。


「えっと……元気にしてた?」


 少しだけ頭を離して俺の顔に視線を向けた結衣から、そんな質問をされた。俺はそれに答えようとして……ふと、大学二年で結衣と再会したときのことを思い出した。

 あの時の結衣は、確かこんな風に答えてて……


「それなり……かな?」


 俺がそう答えると、結衣はその可愛らしい顔をへにゃっと崩して、俺の胸に頬を擦り付けてきた。


「えへへ……なにそれ」

「結衣はどうだ……?」


 俺がそう問いかけると、結衣は頭一つ分下の位置から、上目遣いで俺を見上げてくる。ナチュラルなメイクに、すっきりと健康そうな顔だち。あの頃とは全く違う結衣の様子は、それでもやっぱりめちゃくちゃ可愛らしくて。


「私もそれなり……かな?」

「はは……なんだそりゃ」


 そんな結衣の様子を見て、俺は何度も何度も思ったことを、やっぱりまた思ってしまって。

 以前再会したときは思うだけだったけど、今はもう口に出して伝えたっていいんだ。だから、結衣に伝えるんだ。


「結衣……俺やっぱり、結衣のことが好きだよ」

「私も……私も、イツキのことが好き!」


 柔らかな日差しが差し込み、人が行き来し、桜の花びらが舞うこの場所で。

 俺と結衣は、しばらくの間そうやって二人で抱き合っていた。

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