第二章 結衣(閲覧注意)

私の救いは君だけだった

私は彼のことが好きだ

※鬱屈とした展開が続くので、この章全体に【閲覧注意】を付けさせていただいています。












 私――乙倉結衣がイツキと出会ったのは、小学校に通い始めてからだった。

 登校班。子どもの安全のための仕組みだけど、小さな頃の私は登校班が嫌いだった。


 登校班というか、そもそも人と関わることが好きじゃなかった。


 私の本当の父親は、私がまだ物心つく前に不倫をしたらしい。不倫をして、お母さんに心無い言葉を投げつけて……それでも、まだ私が小さかったから、小さい子供には両親が必要だろうって離婚せずに再構築を目指した。

 だけれど、それは叶わなかった。父親のことが信用できなくなった母がことあるごとに父を問い詰め、そんな母に最初は自分が悪いからと我慢していた父も徐々に我慢が利かなくなり、何度も喧嘩を繰り返し……ちょうど私の物心がつき始めた頃に離婚してしまった。


 時期が時期だったから、私には本当の父親の記憶はほとんどない。お母さんにきつく言い聞かせられていたから、外で父親に会ったこともない。そもそも連絡があったかも知らないけど。

 それから少しの間お母さんとの二人での暮らしが続いたけど、その暮らしは決して楽しいものでも楽なものでもなかった。


 お母さんは父親の不倫から離婚までの流れで心に傷を負っていて、その傷の原因を作った父親の血が流れる私に対して辛く当たるようになった。

 大きな声で叱られたり、些細なことで叩かれたり。でも、その直後にお母さんは泣きながら私を抱きしめて「ごめんなさい……ごめんなさい……」って謝ってきた。


 お母さんがそんな状態だったから、何かしたら叱られると思ってた私はだんだん笑わなくなったし、喋りかけることもしなくなった。


 そんな時分だったと思う。

 お母さんが知らない男の人を家に連れてきた。


「結衣、この人が新しいお父さんになるのよ」

「よろしくね、結衣ちゃん」


 優しく微笑む男の人に頭を撫でられた。それが今のお父さん。

 それから少しして私は乙倉結衣になった。


 新しいお父さんが家に来てから、お母さんは私をぶたなくなったし、大声で叱ることもなくなった。でもそのかわり、笑顔を向けてくれることもなくなったし、喋りかけてくれることもなくなった。

 お母さんは私から必死に目を逸らして、お父さんだけを見続けていた。そうしないとまた不倫されるとでも思っていたのだろうか。よくわからないけど、そんな状態だったから私はお母さんからほとんど放置されてて、そのかわりに私の世話をしてくれたのはお父さんだった。


 でも、お父さんもまだ出会ったばかりの私のことはよくわからなくて、しかも仕事でよく家を空けることもあって、やっぱりほとんど私の傍にいることはなくて。

 私はいらない子だったのだろうか。生まれてこない方がよかったのだろうか。


 だんだんと心に重しがのしかかっていって、暗くふさぎ込んでいく日々。

 そんな中出会ったのがイツキだった。


 他人にどう接していいかわからずに不愛想だった私に、ことあるごとに話しかけてくれた。

 登校班で。一緒の教室で。違うクラスからわざわざやってきて。帰り道で。


「乙倉! 昨日のテレビ見たか!?」

「乙倉! 今日俺の友達がさぁ!」

「乙倉! 今日掃除当番だろ? 一緒にやろうぜ!」


 イツキは何度も何度も話しかけてくれた。私が返事をしなくたって諦めずに構ってくれた。クラスに友達のいなかった私に堂々と話しかけてきて、クラスの輪に入れてくれた。


 それがどれだけ嬉しかったか。どれだけ私の心が救われただろうか。


 イツキだけだ。イツキだけが私を必要としてくれてる。イツキだけが私に話しかけてくれて、イツキだけが私のことを見てくれてる。

 いつの間にか私の中でイツキの存在がどんどん大きくなっていって、私はイツキと一緒にいることが何よりの楽しみになっていた。


「乙倉! 俺さぁ――」

「結衣」

「え?」

「名字じゃなくて、名前で呼んで。私の名前は結衣だよ」


 私は変わったばかりの名字が好きじゃなかった。だからイツキに名前で呼ぶように頼んだ。

 それから私とイツキは名前で呼び合うようになった。


 イツキがいてくれれば私は大丈夫。イツキがいてくれればお母さんが私を見てくれなくたって、お父さんが忙しくて相手をしてくれなくたって大丈夫。イツキがいれば、私は私を感じられる。

 私がイツキを好きになるのは、当然だったと思う。イツキ以外に好きになる人なんてこれまでも、これからも、絶対にいないって断言できる。


「結衣ー! 帰ろうぜー!」

「待ってイツキ! すぐ行くからー!」


 名前で呼び合うようになった私たちは、時間が合えばいつも一緒に帰るようになっていた。登校から下校まで。イツキと一緒にいられる時間が私の幸せだった。


「ただいま」


 家に帰って挨拶をしても、なにも返ってこない。

 お母さんは、お父さんとの間にできた弟のお世話に夢中だった。


 私のことは認識してるけど認識してない。そんな状態だった。ご飯は作ってくれるし、必要な会話はすることがある。でもそれだけだった。

 お父さんも私のことを気にかけようとはしてくれたけど、なんだかんだ言ってもやっぱり血の繋がらない私より血の繋がった弟の方が可愛く見えるのは当然で。


 私は自分の家なのに、自分の家じゃないみたいな疎外感を常に味わっていた。


 寂しい……辛い……会いたい……イツキ……。


 そんな状態だったから、イツキが


「うるせー! 付き合うってなんだよ! そんなんじゃねーよ!」


 なんて、私との関係を否定するようなことを口にするたびに、私は大きなショックを受けた。

 頭ではわかってる。売り言葉に買い言葉で、イツキが本心でそう言ってるわけじゃないっていうのは。でもやっぱり耳に聞こえてくる言葉は心に棘を突き刺してきて。


 私はある日、とうとう我慢できなくなってイツキに泣きついてしまった。


「イツキは私のこと嫌いなの……? 一緒にいない方がいい……?」


 私がそう言うと、イツキは顔を真っ青にしてぶんぶんと横に振った。


「そ、そんなわけないだろ! 結衣が一緒にいて迷惑だなんて思ったことねーよ!」

「ホント……?」

「当たり前だろ! だから泣くなって、ほら! ハンカチ貸してあげるから!」

「ハンカチくらい持ってるよぉ……!」


 よかった……イツキ……私のこと嫌いじゃなくて……!


 それからイツキは私が傷つくようなことを口にしなくなった。からかわれても言葉を選んで、絶対に私に悲しい思いをさせないように気を使ってくれた。

 私はそんなイツキのことが、ますます好きになっていったのだ。











 中学校に上がると、イツキの体はどんどん男らしく成長していった。身長も伸び始めたし、筋肉も付き始めてがっしりとした体形に近づいた。それでもまだまだ子供らしい部分もあったんだけど、やっぱり見た目はもう「男の子」から「男の人」に成長していて。


「イツキ、なーんか最近私を見る目がいやらしくない?」

「そ、そんなことねーよ!」

「えー? ホントかなー?」

「そ、そういう結衣だってたまに俺の上半身凝視してるだろ!」

「男子更衣室が無くて教室で着替えるしかない学校に文句言ってくださーい!」


 なんて軽口を言い合いながら、私は男らしくなっていくイツキにドキドキと胸を高鳴らせていた。


 中学に上がってから、私は男子に呼び出されることが増えた。小学校の頃はそんなことまったくなかったんだけど、私の体も成長してきていて、胸なんかはクラスで一番大きかったりもしたし、そういう外見的なところのせいで男が寄ってきたんだと思う。

 私にはイツキがいればそれでよかった。だから男子からの呼び出しには一回も応じなかった。イツキの前でこれ見よがしに呼び出しの手紙をごみ箱に捨てたこともある。


 暗くふさぎ込んで不愛想だった時の私を元気づけて、今の今まで私に気を使って優しくし続けてくれるイツキ。私が成長してから寄ってきたハイエナのような男子。

 どちらが優先で、どちらを選ぶかなんて考えるまでもない。


 私はイツキと一緒にいられればそれでいい。

 そしていつかはイツキと恋人になって、結婚して、子供も作って……。


 そのためにはまず、もっともっとイツキと近づいて、イツキを私に夢中にさせなきゃいけないよね。告白は……本音を言えばイツキからしてほしいけど、いつまでも待ってたっていいこともないし。

 受験が終わって中学を卒業したら……そしたら、イツキに告白しよう。


 私がそう考えていると、ふとイツキの様子がおかしい事に気付いた。


「最近、イツキ何か悩んでる?」

「……いや、何も」

「むむ、怪しいなぁ……」

「悩んでません! 本当です! ってな」

「きゃっ。ちょっと、急に大きな声出さないでよ、もぉ……」


 もしかしてイツキも私とのこと考えてくれてるのかな……?

 なんて、この時の私は内心浮かれていたのだけれど。


 そんな私の幸せな気分は、そう長くは続かなかった。


「結衣」

「んー? 何、イツキ?」

「俺さ、親の転勤で引っ越しすることになった」

「……え?」


 転勤……? 引っ越し……? 誰が……?

 ……イツキが?


 それを脳が認識した瞬間、私は自分でも信じられないくらい泣きじゃくって、イツキにしがみついた。


「やだやだぁ! イツキと離れたくない!」

「……っ……ごめん……」

「謝んないでよ! イツキは何も悪くないじゃん!」

「……ごめん」


 イツキがいなくなったら私、どうしたらいいの!

 今の私があるのは全部全部イツキのおかげなのに!


 そんな私を抱きしめて、イツキは私が泣き止むまで背中を撫でてくれた。

 こんな時でもやっぱりイツキは優しくて……


 私はこんな優しいイツキに、遠距離恋愛で心苦しい思いなんてさせられないと、私の気持ちを伝えることを辞めた。そもそもイツキが私のことを受け入れてくれるかもわからないのに、遠距離恋愛なんて……。

 子供、なのだ。私たちは子供で、大人だって難しいのに、子供になんてできるわけなくて……。


 それからの時間、私はそれまで以上にイツキにべったりとくっついて過ごした。

 イツキに私のことを忘れて欲しくない。イツキのことを忘れたくない。でもイツキに苦しい思いもしてほしくなくて、私は……。


 そして中学を卒業して、イツキが引越しをする日。


「イツキ……今までありがとう。バイバイ。私からのメッセージ絶対返してよね」

「結衣……うん、絶対返す。俺からのメッセージも返してくれよな」


 そう言いながら、お互い何とか笑顔を作って。

 私とイツキの時間は、終わりを迎えたのだ。

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