そして結衣は語り出した

「……とりあえず、シャワーでも浴びて服着てきなよ」


 いまだに裸で、俺の足元で土下座の姿勢を崩さない結衣に声をかける。このまま裸のままいられて風邪でも引かれたら困るし、目のやり場にも困る。

 それに……口には出さなかったけど、他の男に組み敷かれてそういった行為をしていた結衣が……汚く、見えてしまって。


「どこにも……いかない……?」


 蚊の泣くようなか細い声で問いかけてくる。


「……行かないから、早くシャワー浴びてきな」

「……うん……」


 のそのそと緩慢な動きで立ち上がって、ふらふらと定まらない足取りで風呂場に向かう結衣。風呂場に入るまでにチラチラと俺の方を何度も向いて、俺がそこにいるのかを確認する。

 俺がどこかにいなくなると思っているんだろうか。どこかに逃げ出す気力すら今はないっていうのに……。


 結衣の姿が完全に風呂場に消えた後、俺は脱力してテーブル近くの床に座り込む。

 いつもはベッドの淵に腰かけたりするんだけど……流石に今のベッドに触ろうとは思えなかった。


 一人になった部屋で頭の中をぐるぐる回るのは、結衣のことだけだった。


 小学生の頃の結衣。

 登校班でいつも一緒に学校に行って、二人一緒に遊んでいた。


 中学生の頃の結衣。

 どんどん綺麗になっていく結衣に焦りを覚えていた自分に、優しく微笑みかけてくれた。


 高校生の頃の結衣。

 一度だけ見かけた、知らない男子と歩いていた結衣。


 大学生になってからの結衣。

 再会してから、また昔のように仲良くなって触れ合えるようになった。


 そして……恋人になった後の結衣。

 毎日のように愛を伝えあって、いろいろなところにデートに出かけて、愛を育んできた。


 育んできた……はずだったんだ。

 その日々が嘘だったなんて、全く思わない。結衣はいつだって全力で俺を愛してくれてた。だから俺も結衣に負けないように全力で結衣を愛した。


 順調だったはずだ。順調だと思ってたんだ。

 そう思ってたのは俺だけだった……てことなのか……?


 そんなことを頭の中でぐるぐる考えて、定まらない思考そのままに視線も彷徨わせる。部屋のカーテン、パソコンラック、小さなテレビ、こじんまりとした本棚、クローゼット……そして、テーブル。


 ふと、テーブルの上に置かれていた薬の箱が目に留まった。


「寝つきが悪い……眠りが浅い……?」


 なんだこれ、睡眠薬か……?


 箱を手に取ってくるくると回しながら確認する。俺は睡眠薬なんて買ったことないからよくわからないけど、たぶん普通にドラッグストアとかで売ってるやつ……だと思う。

 俺が実習に行く前にはこんなもの家に無かったから、俺が実習中に結衣が買ったのだろう。


 箱の中を覗くと、薬のほとんどが無くなっていた。十二錠入りで、残りは二錠。十錠は使ってることになる。

 ということは、一か月のうち三分の一は睡眠薬を飲まないと寝られなかった……ってことなのか?


 俺と一緒にいるときはそんな素振りはなかった。行為に満足するといつも俺より先に寝落ちしてたくらいで、むしろ寝つきはよかったはずだ。

 ……なんだ? 何かがおかしい。


 もう一度部屋の中を見回す。

 実習に行く前と後で、そこまで違いはない。結衣は綺麗好きでよくこまめに掃除をしていたから、部屋が汚いということもない。


 結衣の化粧台、部屋の隅にまとめてある洗濯ばさみ、人をダメにするクッション、ごみ箱……。

 俺は少し移動してごみ箱の中身を覗き込む。


「……っ! なんだよ、これ……!」


 ごみ箱の中には。


 ――真っ赤に血の付いた包帯と、大量の睡眠薬の空き箱が捨てられていた。











 結衣がシャワーから上がってきた。

 濡れた髪をそのままに、いつも俺たちが寝るときに着ている量販店の安いスウェット姿。


 焦点の定まっていないような目で、ふらふらとした足取りで部屋に入ってくる。


「イツキ……?」

「ここにいるよ」


 俺が返事をすると、結衣は俺の方に目を向けた。

 真っ赤な目だった。瞼も腫れている。シャワーを浴びながら、風呂場で泣き腫らしたのだろうか。


 結衣はそのふらふらとした足取りのまま俺に近づいてきて、俺がごみ箱の近くにいることに気付いて……それまでの様子が嘘のように必死の形相になってごみ箱に覆いかぶさった。


「み、みた……?」


 震える声で尋ねてくる。

 見た、とはごみ箱の中身のことだろうか。そうなのだろう。今必死に結衣が覆いかぶさっているのはごみ箱なのだから。


「……見た」

「ひっ――!」


 声にならない悲鳴を上げて、結衣がまたボロボロと泣き崩れる。

 それはさっき浮気がバレて俺に縋りついてきたのと同じくらいか、もしかしたらそれ以上に悲痛な叫び声で。


 そんな結衣を見て、俺は腹をくくった。


「結衣」

「やだやだやだ! 見ないで! 見ないでぇ――!」


 声をかけると、錯乱したかのように声を上げていやいやと頭を振る結衣。

 そんな結衣に俺は語気を強めてもう一度声をかけた。


「結衣っ!」

「ひぅ――!」


 俺の語気の強さに驚いたのか、結衣はビクンと体を震わせて静かになった。それから、恐る恐るといった様子で俺の方を向いてきた。

 そんな結衣に俺は近づいて、しっかりと目を合わせる。結衣が逃げないように。いや、逃げられないように。


「……俺に話してくれないか? 何があったのかを」

「……イツキ……」


 血の付いた包帯と、大量の睡眠薬の空き箱。そんなの絶対普通じゃない。

 何かがあった。何かがあったはずなんだ。俺の知らない何かがあって、結衣はそうしなければいけなくなってしまったんだ。


 さっきまで結衣が知らない男と肌を重ねてたことに、絶望にも似た感情を持っていた。でも、今はそれどころじゃない。


 シャワーから上がってきた結衣の左手首には、新しい包帯が巻かれていた。そういえば部屋に包帯はなかったな。風呂場に置いてあるのか。

 そして、その左手首の先――左手の薬指には、俺がクリスマスにプレゼントした指輪が嵌められていて。


 ふと俺は、実習に行く前に結衣が言っていたことを思い出した。


『私、頑張るから……だから、だからね……? 私は、何をしてても、イツキのことが一番好きだから……。その気持ちだけは、絶対絶対変わらないから……』


 結衣……。


「結衣……頼む。俺、知りたいんだ。結衣のこと全部」

「でも、私……私、汚くて……バカで……こんなこと話したら、絶対絶対イツキは私の傍にいてくれなくて……!」

「約束する。結衣の話を聞いても、結衣の傍からいなくならないって。絶対に約束する」


 俺にとって一番大事なのは結衣で。

 結衣が知らない男と肌を重ねているところを見ても、結局のところそれは変わらなくて。


 許す、許さないとかじゃなくて……知りたいんだ、本当の結衣のこと。

 だって俺、結衣の幼馴染で彼氏だしさ。


 結衣を手放さないように努力するって、決めたじゃないか。


「だからさ、結衣……結衣の全部、俺に話してくれよ」


 結衣を手放さないという思いを込めて、指輪をしてくれている左手を両手で握りしめる。

 俺のそんな気持ちが結衣に伝わったのか――結衣は覆いかぶさっていたごみ箱から離れて、ぽろぽろと涙をこぼしながらもゆっくりと話し始めてくれた。


「あのね、私がね――」


 その結衣の話を聞いて、俺は――――。











【第一章 イツキ】 終了。次回からは 【第二章 結衣】 に変わります。

【第二章 結衣】は長々と鬱描写が続くので、読まれる方は注意してください。

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