少しずつ、ゆっくりと

 それから俺は改めて決意を固めた。

 結衣の支えになるんだ。結衣を手助けするんだ。


 そのためには、俺だって自分のことを気にかけなきゃいけない。陸の言うとおりだ。

 結衣が今心の支えにしているのは俺だ。俺がいなきゃどうしようもないのに、その俺が倒れて結衣から離れてしまったら結衣はどうなるんだ。


 だから、俺が倒れるわけにはいかないんだ。俺自身のことも気にかけて、休息をとって、結衣と一緒にいられるようにしなきゃいけないんだ。


「橘さんには本当に無理を言ってることはわかってる。俺にできることがあれば何でも言って欲しい。結衣を助けて欲しいんだ……この通り。お願いします」


 俺はもう一度橘さんと直接会って、頭を下げて精一杯のお願いをしていた。

 結衣は今、陸に一緒についてもらって少し離れた場所にいる。俺と橘さんが視界に入らないけど、大きな声を出せば届く。それくらいの場所だ。


 橘さんに頭を下げる俺を見せるわけにはいかない。それは俺のプライドの話とかじゃなくて、自分のために頭を下げる俺を結衣が見たら、結衣がどう思うか全然わからなかったからだ。


「ちょ、ちょっと! 頭上げてよ! 前も言ったけど、うちだって結衣の力になりたいんだから……! こんな頭下げなくたって協力するよ!?」

「俺がこれからお願いすることは橘さんにだって負担になることなんだ。それを俺はわかってて、それでも俺と結衣の未来のために橘さんにお願いするんだ。俺のことバカだって思ってくれていいし、軽蔑してくれたって構わない。それでも、結衣の未来のためにお願いしたいんだ……!」

「……もう。そんなこと思わないのに……。それで、改まってお願いってなに?」

「ありがとう、橘さん……!」


 それから俺は橘さんにお願いしたいことを話していった。

 今でも結衣と一緒の講義を受けてくれてるけど、今まで以上に気にかけてやって欲しいこと。


 結衣が俺と離れる時間を作るために、結衣を時々無理にでもいいから遊びに連れ出してほしいこと。

 結衣が俺と離れる練習をするために自分のアパートに帰る日に、結衣のアパートに泊まってあげて結衣を宥めてあげて欲しいこと。


 橘さんの無理のない範囲で構わないから、そうやって結衣に寄り添ってあげて欲しいことを伝えていった。

 もちろん無理なら無理で構わない。俺はお願いすることしかできないし、橘さんの負担になるってこともわかってる。


 こんな無茶なお願いをしているのに、俺が橘さんにしてあげられることがほとんどないことが心苦しい。

 それでも、俺は頼むしかなかった。


「わかった。うちにできる範囲でやってみる」

「ありがとう……! 本当にありがとう……!」

「でも、そのかわり!」


 俺の無茶な頼みを引き受けてくれた橘さんは、そこで言葉を切るとにやりと笑った。


「いつでもいいから、うちに男の子紹介して。うちも結衣を想うイツキ君みたいな、うちのことを想ってくれる彼氏が欲しい!」


 たぶん、冗談で言ってるのだろう。俺のお願いを聞くだけだと俺が心苦しくなると思って、あえてこんなことを口にしているのだろう。

 ……本当にいい人だな、橘さん。だから俺も、ちゃんと返事をしておこう。


「近くに、めっちゃ良い奴がいるんだけどさ――」











 それから俺と結衣は、周囲の助けを借りながら依存症の治療に取り組んでいった。

 普段は俺のアパートで、以前と同じように触れ合いながら過ごす。


 結衣がご飯を作ってくれて、一緒に食べて、大学に行って講義を受けて、家に帰ってゆっくりとした時間を過ごす。

 俺はアルバイトも少しずつ再開して、結衣と離れる時間をちょっとずつ増やしていった。


 俺から離れている間は、結衣のことは橘さんや陸に頼んで一緒にいてもらった。相変わらず俺が傍にいないと不安と恐怖に襲われて不安定になる結衣だったけど、そんな結衣を橘さんが支えてくれて、その橘さんを陸が支えてくれた。

 病院にも継続的に通って、認知療法や先生によるカウンセリングなども行っていった。


 特に集団認知療法っていう、同じような体験をしたり病気に悩んでいる人が集まって自分の体験や対策を話し合ったりする治療がよかったのか、結衣も「この辛さは自分一人が抱えてるわけじゃない」って思ってくれるようになって、治療にも積極的に取り組んでくれるようになった。

 少し笑顔を見せながら病院に入っていった結衣を見た時は、俺の方が少しだけ寂しく感じてしまったほどだ。


 治療を始めてから、結衣は俺との性行為を止め続けることができていた。相変わらず俺の腕の中で眠りたがることに変わりはないけど、ベッドで俺を視界にいれるだけで無暗矢鱈に体が昂ったりすることもない。

 ただ、時々どうしてもそうなってしまうときもあるから、そういった時は病院でもらっている薬を飲んで体を落ち着けさせていた。


 俺と離れて結衣が自分のアパートに帰る日も、少しずつ日数を増やしていこうという話になっている。

 週に一日から二日へ。二日から三日へ。三日から四日へ。一週間、二週間……。


 最終的には、数か月間くらいは俺と離れて生活できるようにって考えている。

 ただ、焦る必要はない。ゆっくりゆっくり少しずつ進んでいけばいいんだ。


 大学側にも結衣の事情は話していて、ある程度融通を効かせてもらえるようになっていた。

 ああ……それから、結衣が入っていたサークルは解散、特に悪質な行動をしていたと認定された人たちは除籍処分になったらしい。


 まあでも、もう俺達には関係のない話なんだけど。


「イツキ……ありがとね。イツキのおかげで私頑張れてるんだ……」

「結衣……無理はするなよ? ゆっくり治していけばいいんだからな」

「うん……大丈夫!」


 少しずつ、結衣は自然な笑顔を見せるようになってきてくれた。

 俺はそのことが本当に嬉しくて。


「きゃっ……もう、イツキったら……」

「いいだろ、抱きしめるくらい……」


 結衣がほころんだ顔を見せるたびに、結衣のことを抱きしめてしまっていた。


 そうやって俺たちは、周囲の助けを借りながら少しずつ歩みを進めていったのだ。

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