お前って良い奴だったんだな

 結衣は大丈夫だろうか。一人で泣いていないだろうか。俺を求めて震えていないだろうか。

 小学校の頃。初めて会った時の結衣は不愛想で無口で、俺が何を話しかけても全然答えてくれなかった。


 中学生に上がる頃には逆に俺にべったりになっていて、その頃から俺は結衣のことが好きで、結衣のことが可愛くて可愛くて仕方なかったんだ。

 高校で離れた時は本当に悲しくて……大学で再会できてめちゃくちゃ嬉しかったんだ。


 結衣……俺、頑張れてるかな? 結衣のために行動できてるかな……?

 結衣が他の男に抱かれてるところを見た時、俺は確かに怒ってた。怒りが湧いてきて、結衣のことも引きはがしてしまった。


 でも……それ以上に本当は悲しかったんだ。心の底では、結衣が自分から俺のことを裏切るはずないってわかってたんだ。だって結衣が俺に向けてくれてた愛情は本物だったから。結衣が俺以外を見てないって全力で俺に伝えてくれてて、俺はそれが本当に嬉しかったんだ。

 だから結衣……俺、やっぱり結衣と一緒にいたいんだ。結衣と一緒に未来に向かって歩いて行きたいんだ。


 なぁ、結衣――











「……どこだ、ここ」


 目が覚めると見覚えのない天井が視界に映り込んだ。体で感じる柔らかな感触と、上からかぶされている掛け布団の感触から、どうやらベッドに寝かされているらしいということは理解した。

 ……なんか知ってる気がするんだよな、ここ。


「お、樹。目、覚めた?」

「……陸?」


 声のした方向に視線を向けると、ベッドの脇に置いた椅子に座った陸と目が合った。

 もう夏に足を踏み入れた季節だから、陸の恰好は半袖のシャツにジーンズとラフな格好をしていた。派手に染めていた髪は、実習のために黒に戻している。ただ、耳にかかっているイヤリングや首にかかっているチェーンのネックレスとかはいつも通りだった。


「ここは……ていうかなんで俺こんな……? 講義受けてたはずじゃ……」

「ちょっと記憶が飛んでんの? 樹、お前講義中にいきなりぶっ倒れたんだぞ。んで、俺が頑張ってこの医務室まで運んだってわけ」

「え”……マジで……?」

「マジもマジ、大マジだよ。救急車呼ぶか本気で悩んだぞ。医務室の先生に『寝不足だから寝てれば大丈夫』って言われて呼ぶの止めたけど」


 ……陸に言われて思い出した。

 確かに講義中にいきなり意識を失ったというか、講義中から今までの記憶がすっぱり抜け落ちてるから陸の言う通りなんだろう。


「俺……どれくらい寝てた?」

「別に全然寝てないぞ。まだ樹がぶっ倒れた講義も終わってない。まあ講義始まってからすぐぶっ倒れたしな」

「ごめん……」

「そこは『ありがとう』でしょ」


 そう言ってニッと笑う陸に知らずのうちに入っていた力が抜ける。


「……そうだな。ありがとな、陸」

「どういたしまして」


 それから上半身を起こして、ぐるりと周りを見回す。

 ここは医務室に設置されたベッドのうちの一つらしかった。周囲とベッドを隔離するためのカーテンが巻かれていて、そのカーテンの中に俺と陸だけがいる状況だ。


 俺、講義中に倒れたのか……。

 原因なんていうのはわかりきってる。医務室の先生も言ってたらしいし。


 寝不足だ。結衣のせいだなんて言うつもりは全くない。俺が上手に自分を管理できてないのが悪いんだ。

 病院の先生だって言ってたじゃないか。支援者の方が参ってしまうこともあるって。それを聞いても俺は結衣を支えるって気持ちが変わることは無かったんだ。


 ……そうだ、結衣だ。結衣が俺が倒れたって知ったらまずい。

 結衣の性格からして、絶対に自分のせいだって思う。自分のせいだって思い込んで、また自分を傷つけてしまうかもしれない。そんなことさせるわけにはいかない。


「なあ陸。俺が倒れたって結衣に伝えてないよな?」

「伝えてたら今頃ここに座ってたのは俺じゃなくて乙倉さんになってたよ。……伝えない方がよかったんだよな?」


 陸の口調は疑問形だったけど、ほとんど確信に近くて。

 俺は陸に向かって大きくうなずいた。


「ありがとな、陸」

「お、今度は間違えなかったな」


 陸はからからと笑った後、真剣な表情になった。


「なあ樹」

「……なんだ?」

「お前、自分の体も大事にしろよ」

「……わかってるよ」


 自分の体を大事にしなきゃいけないことくらいわかってる。でも、俺なんかよりずっとずっと結衣の方が大変なんだ。辛い思いをしてるんだ。

 だから、俺が少しくらいしんどくたって我慢して、結衣の手助けをしないと――


 そんなことを考えていた俺の思考を、陸は真っ二つに叩き折った。


「わかってねぇよ!」


 力強い声だった。

 決して大きな声を出したわけじゃない。それでも俺に言い聞かせてくる、響いてくる声で。


「樹はわかってない。自分がどれだけ無理をしてるかって。……確かに乙倉さんのことが大事で、乙倉さんのためにいろいろしてあげたいって気持ちはわかる。俺には乙倉さんの病気がどれだけ酷いのかはよくわかんないけど……それでも、最近の樹は乙倉さんにつきっきりでしんどそうだ」

「しんどいなんてあるわけ……」

「樹がどう思ってるかなんて関係ない。しんどそうなんだよ、お前。自分一人で全部背負わなきゃって顔してさ。俺言ったよな? できることがあれば協力するって。何一人で全部やろうとしてるんだ?」


 陸にそう言われてしまって、言葉に詰まる。

 俺は一人でやってたつもりなんてない。病院にだって行ったし、陸や橘さんにも状況を話してて……。


「なあ樹。樹が乙倉さんのためになることをしてあげたいって気持ちはわかるよ。乙倉さんを支えてあげたいって気持ちもわかる。でもさ、それで樹が倒れたら意味ないだろ。樹が倒れたら乙倉さんはどうなるんだ? お前以外に、本当に乙倉さんの心の支えになれる人なんているのか?」

「それは……」

「本当に乙倉さんのためを考えるなら、こんなになるまで無理するなよ。今回はすぐに目が覚めたからよかったけど、救急車に運ばれるまで酷かったら? お前が倒れたことを乙倉さんが知ったら? 乙倉さんの状況なんて俺は詳しく知らないけど、その時乙倉さんは耐えられるのか?」

「結衣は……今の結衣は、たぶん……」


 耐えられない、とは口に出せなかった。

 陸に言われて、俺は俺がバカなんだと改めて理解してしまった。


 陸の言うとおりだ。俺が無理して倒れたら、今の結衣を誰が支えてあげるんだ?

 俺は無理して結衣を助けてるんだって、それが結衣のためなんだって思い込んで悦に浸ってるクソ野郎じゃないか。


 本当に結衣のことが大事なら、俺だってちゃんと休息をとって無理せずに結衣と一緒にいられるようにしなければいけない。

 陸に言われるまでそんなことにすら気付かないなんて、俺はやっぱり大バカだ……。


「樹。俺を頼れ。周りを頼れ。お前が倒れたら誰が一番悲しむかよく考えろ」


 真剣な表情で俺に語って聞かせる陸。

 ……ありがとな、陸。俺、お前と友達でよかったよ。


「陸……お前、良い奴だったんだな」

「俺ぐらい良い奴なんてそうそういないぞ」


 そう言って笑う陸に「自分で言ってりゃ世話ないな」なんて返しながら、俺もなんだか久々に自然と笑顔がこぼれた。


「ありがとな、陸。元気出たわ。……陸も何かあったら俺に言ってくれよな。できるだけ力になるからさ」

「だったら女の子紹介してよ。俺も彼女欲しいわ」

「えぇ……」

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