第一章 イツキ

俺と結衣の馴れ初め

俺は幼馴染の女の子が好きだった

 俺が乙倉結衣おとくらゆいと出会ったのは、小学生に上がってからだった。

 小学生っていうのは基本的に集団登校をするもので、俺と結衣も例に漏れず小学校までを登校班というものに入って登校していた。


 俺と結衣はその登校班が一緒だった。要するに家が近所で、端的に言うと幼馴染ということだった。

 物語の幼馴染のように家が隣同士で、窓から行き来できるとか、そんな距離感ではなかったけれども。それでも俺と結衣は幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染だったのだ。


 結衣は小さな頃は引っ込み思案で、なかなか笑顔も見せずに自分の意見も言えないような子だった。登校班で一緒に登校している時も暗い顔をしていることが多くて、登校班の中で同じ学年だったのが結衣しかいなかったから、小学生の頃の俺は何とかして結衣と仲良くなりたかった。


 小学生のガキだからそこに下心なんてなくて、その時はただ純粋に結衣と仲良くなりたくて、結衣に笑ってほしかったのだ。

 結衣とは同じクラスになったり別々になったりして、常に一緒にいるわけじゃなかった。でも登校班では毎日一緒だったから、俺は積極的に結衣に話しかけた。


 友達とのバカ話とか、クラスであったこととか、昨日のテレビの話だとか、面白い動画の話だとか。本当に日常的で、くだらない話をし続けたと思う。


 最初のうちは結衣は俺の話なんて全然聞いてなくて、相槌すら打ってくれなかった。完全に無反応。

 そこで普通なら心が折れたり、つまんなくなって話しかけなくなってたりするのかもしれない。


 でも当時の俺はそんな結衣の態度にカチンときて、半ば意地になって話しかけ続けたのだ。


「乙倉! 昨日のテレビ見たか!?」

「乙倉! 今日俺の友達がさぁ!」

「乙倉! 今日掃除当番だろ? 一緒にやろうぜ!」


 乙倉、乙倉、乙倉。ちょっとしつこいくらいに話しかけていたと思う。同じクラスの時はもちろん、違うクラスの時も休み時間にちょいちょい結衣の教室に行って話しかけていた。

 最初のうちは無反応だった結衣も、そのうち迷惑そうな顔に変わって、それからしばらくもしないうちに少しずつ笑顔を見せてくれるようになった。


「乙倉! 俺さぁ――」

「結衣」

「え?」

「名字じゃなくて、名前で呼んで。私の名前は結衣だよ」


 そうやって何度も何度も話しかけていくうちに距離が縮まったのか、俺と結衣はお互いに名前で呼び合うようになっていった。

 この頃からだったと思う。俺が結衣のことを女の子として意識し始めたのは。


「結衣ー! 帰ろうぜー!」

「待ってイツキ! すぐ行くからー!」


 名前で呼び合うようになった俺たちは、時間が合えば一緒に帰るようになっていた。それまでも俺が強引に帰りに誘うことはあったけど、この頃はそうじゃなくて、お互いがお互いを誘い合って一緒に帰っていた。

 そうやって俺と結衣が仲良くなってから時間が過ぎて、小学校高学年になってくると、俺と結衣の仲をからかってくる奴が出始めた。


 ちょうど思春期の始まりくらいの年齢で、そういうことが気になるお年頃だったんだと思う。


「イツキと乙倉っていっつも一緒にいるけどさ、お前ら付き合ってんのー?」

「えー? 小学生にそういうのは早いんじゃなーい?」


 所詮子供のからかいの言葉だから、めちゃくちゃきつい言葉を投げかけられるわけじゃない。

 けれども、思春期の始まりっていうのは男女の違いに興味が出てくる頃で、男子と女子が一緒に過ごしていると恥ずかしいなんて思ってしまうお年頃だ。


 当然俺だって思春期に突入しかけていたわけで、そうやってからかわれると思わず大きな声で返してしまう。


「うるせー! 付き合うってなんだよ! そんなんじゃねーよ!」


 俺は結衣のことが好きだったけど、好きな女の子と付き合うだとかなんだとか、そういったことはまだまだ想像もできない時分で、だから結衣の気持ちとか何も考えずに売り言葉に買い言葉で返していたと思う。

 別に俺は結衣を傷つけたいだなんて思ってはいなかった。ただちょっと恥ずかしくて言い返してしまっていただけで。


 そんな中、俺が少しでも結衣との関係を否定するようなことを口にすると、結衣の表情がめちゃくちゃ暗くなってしまうことに気が付いた。


「イツキは私のこと嫌いなの……? 一緒にいない方がいい……?」


 ある日、またいつものようにクラスメイトにからかわれてそれに言い返した帰り道。結衣が泣きそうな顔になりながら俺にそんなことを言ってきた。

 俺はその顔を見て、めちゃくちゃ後悔した。俺は俺の恥ずかしさを誤魔化すばっかりで、全然結衣の気持ちを考えてなかったって。


 俺からあんだけ話しかけまくって仲良くなっておいて、からかわれたら関係を否定するような言葉を口にして。俺サイテーじゃん。バカじゃん。


「そ、そんなわけないだろ! 結衣が一緒にいて迷惑だなんて思ったことねーよ!」

「ホント……?」

「当たり前だろ! だから泣くなって、ほら! ハンカチ貸してあげるから!」

「ハンカチくらい持ってるよぉ……!」


 俺の言葉に安心したのか、ついに泣き出してしまった結衣にハンカチを貸そうとしたら断られてしまった。

 俺はこの日から、結衣とのことでからかわれても言い返さないことにした。いや、正確には結衣が傷つかないように言葉を選んで反論するようにしたのだ。


 そんな俺が面白くなかったのか、徐々に俺たちに対するからかいの言葉は出なくなっていって、小学校を卒業する頃にはそんなことは全く言われなくなっていた。











 俺と結衣は一緒の中学校に進学した。俺たちが通っていた小学校の児童が大体行くことになる、地元の公立中学校だ。

 中学校に進学してから、結衣はだんだん綺麗になっていった。小学校の頃はまだ体も成長していなくて、低学年の頃なんかは暗い雰囲気も相まってあんまり可愛いって感じは無かった。


 でも中学になると体も成長して、表情も明るくなっていて、元々の顔だちも相まってどんどん綺麗になっていった。

 艶のある、烏の濡れ羽色のような長い黒髪。少し細い切れ長の瞳に、桜色の可愛らしい唇。胸なんかも成長してきていて、クラスで一番大きくなっていたり。


「イツキ、なーんか最近私を見る目がいやらしくない?」

「そ、そんなことねーよ!」

「えー? ホントかなー?」

「そ、そういう結衣だってたまに俺の上半身凝視してるだろ!」

「男子更衣室が無くて教室で着替えるしかない学校に文句言ってくださーい!」


 中学に上がってからも俺と結衣の仲は相変わらずで、一緒に登下校をしたり、部活の見学をしたり。結局部活には入らなかったけど、放課後一緒に遊んだりもした。

 結衣は時々、男子から呼び出されるようになった。たぶん告白なんだろうけど、結衣は知らない男子に呼び出されても絶対に呼び出しには応じなかった。


 下駄箱や机に入っていた手紙は読まずにごみ箱へ捨て。直接話しかけてくる奴にはその場で断りを入れていた。

 それを見て俺は安心していた。結衣は誰とも付き合うつもりはないんだって。


 でも安心すると同時に、焦りも覚えていた。

 結衣がいつ心変わりをして、誰かと付き合い始めるかなんてわからない。今は幼馴染として俺の隣にいてくれてるけど、いつの日か突然彼氏ができて俺の傍からいなくなってしまうかもしれない。


 そうなる前に、なんとかしないと。でも、今の関係も崩したくないという気持ちも持っている。俺が告白して断られたら? 今まで男子の呼び出しに全く応じていない結衣が、俺の告白だけ受け入れてくれるなんて保証どこにある?

 けれども、何もしなければ何も進まない。何も起こらない。指を加えて見ていて、突然結衣に彼氏ができたりしたら……。


「最近、イツキ何か悩んでる?」

「……いや、何も」

「むむ、怪しいなぁ……」

「悩んでません! 本当です! ってな」

「きゃっ。ちょっと、急に大きな声出さないでよ、もぉ……」


 俺が悩んでいるのは結衣にはバレバレだったみたいで、そんな感じで聞かれたりもしたけど誤魔化して。

 それでも俺は悩みに悩んだ末に、受験に合格したら結衣に告白しようと決心したのだ。小学校の頃から好きでした、俺と付き合ってください! って。


 けれども、それは叶わなくなった。


 中学を卒業する前に、親の転勤が決まったのだ。


 中学生の子供が一人、ここに残って暮らせるはずがない。俺は親の転勤について行かざるをえず、受験先も当初結衣と同じ高校にしていたところを親の転勤先の高校に変えざるを得なかった。


 恋愛経験なんてない俺が、高校生になっていきなり遠距離恋愛? 全く想像できなかった。当たり前だ。そもそも普通の恋愛ってやつすらまだ未体験なのに、遠距離恋愛なんてわからないに決まってる。

 そもそも結衣が俺の告白を受けてくれるかもわからないのに。仮に受け入れてくれたとして、遠距離恋愛だ。結衣に心苦しい思いをさせるに決まっている。


 そう思うと、俺はとてもじゃないけど結衣に気持ちを伝えることができなかった。

 俺が気持ちを伝えて結衣に迷惑をかけるくらいなら、この気持ちに蓋をして結衣とは仲のいい幼馴染としてさよならをした方がいい。


 だから俺は結衣に気持ちを告げることを諦めた。


「結衣」

「んー? 何、イツキ?」

「俺さ、親の転勤で引っ越しすることになった」

「……え?」


 俺が中学卒業と同時に引っ越しをすること。結衣と一緒の高校を受験できなくなったこと。

 それを伝えると、結衣は今まで見たことがないくらい泣きじゃくって、俺にしがみついてきた。


「やだやだぁ! イツキと離れたくない!」

「……っ……ごめん……」

「謝んないでよ! イツキは何も悪くないじゃん!」

「……ごめん」


 俺は謝るしかできなくて、結衣が落ち着くまで背中を撫でて、肩を抱いていた。

 それから卒業までの時間、俺と結衣はそれまで以上に一緒にいるようになって、お互いの時間を分け合って。


 そして中学を卒業して、引っ越しの日。


「イツキ……今までありがとう。バイバイ。私からのメッセージ絶対返してよね」

「結衣……うん、絶対返す。俺からのメッセージも返してくれよな」


 そう言いながらお互い何とか笑顔を作って。

 そうやって、俺の初恋は終わりを告げたのだ。

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