簡単なことじゃないんだ
俺に何ができるんだろうか
「性嗜好障害……ですか」
「そうですね。脅迫的性行動症とも呼ばれることもありますが……いわゆる『性依存症』と呼ばれるものです。結衣さんの場合は一概に『性』に依存しているわけではありませんが……」
結衣と一緒に行った病院で、俺だけが先生に呼ばれて入った診察室で。
俺は先生に結衣の病名を告げられた。
優し気な年配の女性の先生だった。眼鏡をかけて、白衣を着て。
俺と結衣が診察に来た時も温かく迎えてくれて、結衣の話も優しくゆっくりと聞いてくれた。
「結衣さんの場合は幼少期の愛情不足や高校生の頃の体験、大学生になってからの体験などが原因と考えられます。自分に価値が無いと思い込んでしまって、自罰的な行動として性行為をしてしまうのでしょう」
「それは……結衣は、治るんでしょうか……?」
結衣の話を聞いて、結衣の傷の具合とかもサラッと見てくれて。
それで、俺だけに話があるって言って結衣は別室に連れて行かれた。
結衣は俺から離れることを酷く嫌がった。「やだやだやだ! イツキから離れたくない! 私のこと捨てないで!」って言って錯乱した結衣を宥めすかして、落ち着かせて、何とか俺一人にしてもらって。
結衣の傍には看護師さんが付いているから大丈夫だ。大丈夫なはずだ。
「依存症は完治をすることが難しい病気だと言われています。もしかしたらこれから一生付き合い続けることになるかもしれません。ですが、完治は難しくても止め続けることはできます」
「止め続ける……?」
「そうです。自分を傷つけたくて性行為をしてしまう。眠ることができないから睡眠薬を飲んでしまう。あなたに捨てられてしまうかもしれないという不安を抱えてしまう。そういった状態を止め続けるんです。止め続ける日々を重ねていくんです」
先生はそう言って真剣な瞳で俺を見つめてきた。
それは俺を試しているような、俺の心を射抜いてくるかのような目だった。
「そのためには、パートナーであるあなたの支えが大切です。ここに一緒に来たということは、あなたは結衣さんを支える気持ちがあるのでしょう?」
「もちろんです。そのために結衣と二人で話し合ってここに来たんですから」
「依存症の患者を支えるというのは簡単なことではありません。あなたにとっても非常に負担のかかることです。もしかしたらあなたの方が精神的に参ってしまう……そういったこともあるかもしれません。それでも結衣さんを支える覚悟がありますか?」
先生が俺に問いかけてくる。
結衣を支える覚悟……。
考えるまでもない。俺は結衣のことが一番好きで、結衣のことを手放さないって決めたんだ。
結衣のことを傷つけた俺みたいな人間が結衣のことを支えてあげられるなら、俺の人生だってくれてやる。
「――もちろんです。俺は結衣と一緒に未来を歩みたいんですから」
だから、俺は力強く先生に返事をしたのだ。
先生からは結衣と一緒にこれからの治療について説明を受けた。
この病院に通いながら認知療法を受けること。カウンセリングを受けること。ちゃんとした薬を処方してもらい、衝動を抑えること。
依存対象から距離をとること。例えば性行動。睡眠薬。それから――俺だ。
「やだ! イツキと離れるなんて絶対やだっ! そんなの無理! 死んじゃう! そんなことになったら死んじゃうから――!」
俺から距離を離さなければいけないと言われたときの結衣は、それまで見た中で一番錯乱していた。泣き喚いて、暴れて、俺が抱きしめてもしばらく止まらなくて。
「結衣! 大丈夫だから! 俺と会えなくなるわけじゃないから! 別れるわけじゃないから! 大丈夫だから!」
「やだぁ! やっぱりイツキは私のこと捨てるんだ! 私汚いから! イツキを裏切ったから! だから、だからイツキは私のこと嫌いになって――」
「嫌いになんてなるはずないだろ! 捨てるわけないだろ! 一緒に未来に行こうって決めただろ……!」
そうやって結衣を抱きしめて、宥めて、落ち着くまで背中を撫でて。
ようやく落ち着いたところで、先生の話の続きを聞いて。
俺と離れるっていうのは、何も俺と別れて一切接触しないようにするってわけじゃない。
今俺と結衣はほぼ一日中一緒にいて、離れている時間がほとんどない。そんなの、人間関係として例え恋人同士であっても歪なことに違いはない。
だからその関係を普通の恋人同士の関係にまで戻す必要がある。結衣が常に俺と一緒にいたがること、いないとダメなことを『止め続ける』必要がある。
そのためには少しづつ俺と一緒にいる時間を減らしていって、俺と触れ合う時間も減らしていって……それで、最終的にはしばらくの間俺がいなくても生活できるような状態にして。
そのうえで改めて俺と普通の恋人のように交際するのだ。
それが今の結衣に必要なことなんだ。
「やだよぉ……イツキと離れたくないよぉ……」
「結衣……結衣にとってすごく辛いことかもしれないけど、必要なことなんだ。結衣と一緒の未来を歩くためには大切なことなんだ」
「イツキぃ……」
嗚咽を漏らしてぽろぽろと涙をこぼす結衣に言い聞かせる。
泣いてボロボロになって俺に縋りついてくる結衣にこんなことを言い聞かせるのは、正直俺だって心苦しい。結衣を抱きしめて、慰めて、それでずっと一緒にいてやりたいって思うのだって本当だ。
でもそれじゃあダメなんだ。それじゃ結衣の心の病は治ったりしないんだ。
結衣の言うことを聞いて、甘やかすだけじゃ何も解決しないんだ。
何度だって思う。
俺は結衣と一緒にいたいんだ。結衣のことが好きなんだ。結衣のことを愛してるんだ。
「結衣……大丈夫だから。これから一緒に頑張ろうな……」
「……うん……」
不安と恐怖に揺れる結衣の目を見つめる。
俺の気持ちが伝わるように。結衣の不安を取り除けるように――
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