第9話 舞姫~エリス~
「とりあえず、記憶を戻したいわね」
わたしはエリスを前にして、今後の目標を語る。
そう、まずは記憶だ。
わたしが前世で何をしていたかを思い出したい。
そうしないと、この世界での生きる指針が見つからない。
「それもそうですね。
記憶が戻ったらどうします?」
「記憶が戻ったら何かこの世界でしたいことでも思いつくでしょ。
それは戻ってから考えるわ」
どう生きるかなんて重たいことは、こんな記憶の少ない状態じゃ考えられない。
とにもかくにも、なんとかして記憶を取り戻したい。
わたしは前世でどう生きたのか?
何をどう楽しんだのか?
何か無念で死んだのか?
やり残したことはあるのか?
せっかくの二度目の人生なら、一度目の人生で出来なかったことをしたい。
でもその出来なかったことを思い出せないのは困る。
二度目の人生なのにもったいない。
「では、病院でも行ってみますか?」
「あっ、病院があるんだ!?」
「お医者さんは人じゃなくてロボットですけど」
「えっ、すごい!
未来感抜群ね!!」
一瞬で記憶喪失の治療よりもお医者さんロボットの方に興味がシフトした。
なんだかわくわくしてきた。
どんな診察をするんだろう?
無性に血が騒ぐ。
ロボットカメラで口の中を覗くのかな?
ロボットアームで聴診器を胸に当ててくるのかな?
「それじゃあ、早速行ってみます?
あたしは場所を知っているので案内できます」
「おっ、ありがたいわ。
でもその前に準備したいものがあるの」
「準備ですか?」
わたしはスマホを操作して通販をする。
「バッグが欲しいのよね」
「リュックサックですか?」
「ショルダーバッグが良いわ」
「肩掛けですか?」
「そうなの。
このピートガンを携帯するのに便利なバッグが欲しいの」
さっきまではこのピートガンをポケットに入れておいた。
しかし出し入れしやすいショルダーバッグが欲しい。
脚に着けるホルスターもかっこいいとは思うんだけど。
弾の都合上ショルダーバッグが良さそう。
「武器はすぐ使えるようにしないとですね」
そう。
怪物はいつ現れるか分からないと言っていた。
だったら常に警戒しないといけない。
いつでも臨戦態勢だ。
「あとはペットボトルの飲み物を大量に買って」
わたしはペットボトルのジュースを目についたものを片っ端から注文していく。
リンゴ、オレンジ、ブドウ、イチゴ、マンゴー。
いろんな種類のジュースがある。
いろいろな種類を飲みたいので、一本ずつ購入することにする。
「そんなに買うんですか?」
エリスがわたしのスマホ画面を覗き込んで驚いていた。
「まぁ、いっぱいいるからね」
「必要になってから買えば良くないですか? お金がもったいないですよ」
「月十万円もらえるんだっけ?」
ここはベーシックインカムを採用している異世界。
基本の金は保障されている。
「そうですよ。
たった十万円ですよ?
購入金額がもう合計金額二万円を超えています」
バッグとジュースだけで二万円は高い気がするけれど。
まぁ、残りの日の食費だけなんとか残せば大丈夫だろう。
「これが大事なのよ」
わたしはそう言って画面の購入ボタンを押した。
注文した商品は五分と待たずに家のボックスに届いた。
早くて便利。
文明の利器とは素晴らしい。
というわけで。
購入したばかりで新品のショルダーバッグにピートガンを入れる。
うん。
ジャストにフィット。
出し入れもしやすい。
「準備完了ですか?」
「ええ。
それじゃあ、行きましょうか」
ショルダーバッグにピートガンやスマホや他の小物を入れて準備完了。
家を出発して病院に向かう。
エリスと手を繋いで土道を歩く。
予約していないけど、なんとかなるだろう。
朝も思ったけれど良いお散歩日和だ。
日差しは柔らかで、風もない。
穏やかな散歩道。
隣には美少女。
幸せな光景。
でもこの世界は、そんな幸せを長時間与えてはくれないらしい。
「キィーィーイー!!」
ほらまた頭上から妙な音が聞こえてきた。
擦りガラスをひっかくような鳥の鳴き声。
これは昨日聞いた声。
「また来ましたね」
エリスは落ち着いた声で言った。
「昨日、わたしを襲ってきた鳥ね」
鳴き声だけ聞こえて、まだ姿は見えない。
空の方から不快な声だけが聞こえる。
たてがみの生えた馬の頭のような鳥。
翼は霜と硝石にまみれていて、羽毛じゃなくて鱗におおわれている鳥。
この世のものとは思えない造形。
ただ異世界だから何がいても不思議に思ってはいけない。
ここはそういう世界なのだ。
「踊りますね」
エリスはアラベクスの構えをした。
退魔の踊りで追い払おうとしてくれる。
「ちょっと待って」
しかし、わたしはエリスを止めた。
「どうしたんですか?」
「こいつに訊いてみたいのよ」
わたしはショルダーバッグからスマホを出した。
画面をタッチしてギンノイトを呼ぶ。
「ねぇ、ギンノイト」
「何でしょうか?」
「この声は何?」
もしかしたらギンノイトが知っているかもしれない。
そう思って訊いてみる。
期待は薄かったけれど、ギンノイトはしっかり答えてくれた。
「この声はシャンタク鳥の声です」
「シャンタク鳥って?」
「シャンタク鳥はクトゥルフ神話に登場する生物です」
「クトゥルフ!?」
わたしは大声を出して驚いた。
この世界の怪物ってクトゥルフ神話の産物だったのか。
「知っているんですか?」
エリスは知らないようだった。
そりゃそうだ。
エリスの死後の話だもの。
「有名なモンスターホラーよ」
クトゥルフ神話はアメリカの小説を元にした架空の神話。
作者はラブクラフトやその友人達。
太古の地球を支配していたが、現在は地上から姿を消している強大な力を持つ恐るべき異形の者どもが現代に蘇るみたいな話である。
わたしは何冊か読んだことがあるくらいだけど、そうか、あれか。
言われたらいた気がするな。
あのシャンタク鳥か。
「どういう鳥なんですか?」
「それはこの子に訊いてみようか
ねぇ、ギンノイト。
シャンタク鳥の特徴は?」
わたしの質問に、ギンノイトはすぐさま答える。
「シャンタク鳥はドリームランドの北方にある薄明の地インクアノクの広大な縞瑪瑙の採石場の洞窟に巣を作り生息しています。ナイアーラトテップら外なる神に仕えている下級の奉仕種族でレンの商人の家畜です」
ギンノイトは淀みなく説明してくれる。
しかしその内容はぴんとこない。
独自の固有名詞が多すぎる。
小説の方でも詳細が語られることは少ない。
クトゥルフ神話はおおよそそんな雰囲気だ。
ただひたすらに人々を恐怖で塗りつぶすために生み出された神々。
「どういう意味ですか?」
エリスはさっぱりという顔をしている。
「わたしも詳しくはないのよね」
ラブクラフトの作品を読んだことはあるけれど、特別好きってほどでもない。
なんとなく有名だから読んでみただけで、熱中したわけでもない。
そもそもホラーは苦手だ。
「どうします? もう踊って良いですか?」
エリスはシャンタク鳥を追い払おうとした。
やつの擦りガラスをひっかくような鳴き声に耐えるのもしんどくなってきたしね。
ただその前に試したいことがある。
「追い払う前に一つ。
ねぇ、ギンノイト。
ピートガンであの鳥を倒せるかしら?」
わたしが訊くとギンノイトは即答した。
「容易です」
わたしはその答えに笑ってしまった。
「可能です」とか「おそらく倒せます」とかじゃなくて「容易です」なんだね。
わたしはショルダーバッグからピートガンを取り出す。
二秒で弾を装填する。
弾は昨日、エリスにもらったペットボトルのキャップ。
そう、ペットボトルキャップがこのピートガンの弾。
いわばおもちゃの銃。
人に命中しても、骨折くらいの威力しかない。
いや、日常生活で使うには充分脅威だけど。
ギンノイト曰く、こんな銃でもあのシャンタク鳥を倒せるらしい。
わたしは真上に向けてピートガンの引き金を引いた。
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