第29話 悪徳の栄え~ジュリエット~
こうして楽しく車旅の三日が過ぎた。
そして無事にわたし達の町に到着した。
「さて、着いたわよ」
懐かしき我が家にジェバンニ号を駐車する。
久し振りだな。
特に思い入れの深い家というわけではないけれど、こうして旅を終えてくると帰ってきたという実感が湧く。
「ここにホーキーベカコンがおるのか?」
コトの声は弾んでいる。
「ええ。
森の中を歩いて探してみるわよ」
わたしはコトの手を引いて、森の中を進んでいく。
エリスとコーデリアもうしろから付いてくる。
森というには少ない木々ではあるけれど、確かにわたしはホーキーベカコンの鳴き声を聞いた。
ここに生息していることは間違いない。
歩きながらも耳をそばだてる。
木々の隙間から鳥の声が聞こえてくる。
あれはヒバリかな?
「いろんな鳥の音が聴こえるのう」
コトはうきうきしながら言った。
「ホーキーベカコンの声はした?」
「まだ聴こえん。
しかし他の鳥もいっぱいおるのう。
ここはええ森じゃ」
コトはまるで遊園地に来た子どものように明るい声をしていた。
連れてきて良かった。
可愛い。
そのとき、待望の声が聴こえた。
「ホーキーベカコン!」
「今の!?」
わたし達四人の耳に確かに届いた。
金管のように鋭い高音。
「間違いない。
良い高音じゃ。
まさしく妾の求めたホーキーベカコンじゃ。
捕まえい!」
コトがわたし達に号令をかける。
わたし達はウグイスを捕まえる姿勢をとる。
しかし丸腰だったことを思い出す。
せめて虫取り網でもないと。
素手で野鳥を捕まえるのは無理ではないか?
「ねぇ、コトちゃん」
わたしが道具の準備をしようと提案するタイミングだった。
「おい、サイリ。何かが来ておるぞ」
「何か?」
「これは、大事かもしれぬな」
「おおごと?」
途端に空が暗くなった。
夕暮れとも違う橙色の不気味な空。
そこから青白い光が刺し込む。
光はわたし達の前にさしかかる。
何事かは全く分からないが、ともかく不安を煽る。
何かは知らないけれど何らかの恐怖を感じる。
そして空から悪魔じみたラッパの音が弾けるように鳴り響いた。
そのラッパの落雷のような音が三度こだまして、救急車のように遠ざかっていった。
「ん?」
気付けば周囲はわたし一人になっていた。
森の木々も消え、辺りは藍色の荒野になっていた。
手をひいていたはずのコトも、うしろからついてきていたエリスとコーデリアもいない。
ただただ殺風景な荒野にわたし一人が棒立ちになっていた。
そんなわたしの頭上から低音のファンファーレがする。
奇妙な調和と、少しだけ異邦を感じるカデンツァ。
そんな黄金の旋律に豊かな香りが漂ってくる。
辺りを包んでいるのは薄いヴェールのような霧と嗅いだことのない香り。
悪い匂いではないのだけれど、不安を掻き立てる。
そしてわたしの正面から巨大な影のような人達が二列になって現れた。
その見た目は玉虫色の絹の腰巻を着けている。
頭には被り物のように松明を乗せていて、それはぎらりと光る鉄でできているようだった。
そこからこの奇妙な香りがまるでガスのように渦巻いて発せられている。
右手には水晶で出来た杖が握られていて、その柄の先には邪悪な目を持つキメラが彫刻されていた。
左手は細長い銀のラッパを持って吹いている。
腕飾りと足飾りは金で出来ている。
地球のものとは思えない造形だった。
両足の飾りは金の鎖で繋がっていて一人で自由に動くことを封じられていた。
その奴隷たちの列によって生まれた通り道を悠々と歩く一つの影。
「……ナイアーラトテップ…………」
青年のファラオのような顔。
すらりとした体躯。
プリズムのように光るローブがきらびやかで、光そのものを蓄えているかのような金色の冠を頭に乗せている。
堂々とした振る舞いでわたしに近寄ってくる。
「いかにも。
浜辺でのムーンビーストの宴で会って以来だな。
小娘よ」
「どうも」
わたしは口では焦りが見えないように冷静を装う。
恐怖で足が震えているのがバレると主導権を失ってしまう。
「貴様達を捕まえようと、様々な下僕を送ったのだが、ことごとく失敗してしまったな。
実に強くて頼もしいことよ」
ナイアーラトテップの口調は穏やかだ。
空気の中でとろける声色が、波紋のように広がっていく。
「悪いけど、あんたらのおもちゃになる気はないわ。
帰ってジュリエットに伝えなさい。
あんたの悪徳の犠牲になるつもりはないってね」
「ふふ、ははっはっはっは」
何がおかしいのか、ちっとも理解できないがナイアーラトテップは高笑いしていた。
「いいから帰れよ」
戦って勝てるかどうかは怪しいところ。
ギンノイトいわく、わたしはナイアーラトテップに勝てる力があるそうなのだが、当のわたしにはそんな自信はない。
以前の浜辺では、早々に拘束されてしまったし。
四人集まればなんとかなるかもしれないが、今ここにはわたし一人。
この場からナイアーラトテップが去ってくれることが一番嬉しい。
「小娘。
我々が何故、ムーンビーストを呼び、人の子らを虐殺したか分かるか?」
ナイアーラトテップはわたしに質問してきた。
わたしとお喋りでもしたいのか?
わたしはしたくないのだが。
「さしずめ、悪徳こそが無上の快楽とでも言うつもりなんでしょ?」
わたしは『悪徳の栄え』にあった言葉を引用した。
「分かっているではないか、小娘」
褒められた。嬉しくない。
「論理は分かるけど共感はしないわよ」
本で読んだ言葉を引用しただけだ。
わたし自身の言葉でもなんでもない。
しかしナイアーラトテップは興が乗ったらしく朗々と話し出す。
「例えば、そうだな。
鞭打ちなんてどうだろうか。
鞭打ちは素晴らしいぞ。
残虐のイメージを凄まじく鼓舞するものだ。
あの拷問の苦痛を鋭い一打に込める様。人のもだえ苦しみ泣き叫ぶ様は実に良い。
その涙を見ては楽しみ、その悲しみを見ては昂り、その踊るような痙攣を見ては絶頂する。
迫害された犠牲者から苦痛が引き出す、その逸楽的な悶えや戦慄を見て我々は燃え上がるのだ。
涙と血とをしとどに流れさせ絶望によって刻まれた苦痛のゆがみと筋肉の悲鳴とを、その無垢なる肌に映して楽しもう。
真っ白な百合のごとき柔肌の色と絶妙な対照を成す真紅の血の流れを舌で舐めとってやり、一瞬落ち着いたような煽りをして、次に新たな脅迫の準備をする。
救いがあるように見せてからの絶望は更に深い深い谷底に突き落す。
苦痛から逃れようと激怒するのであれば容赦はいらない。
顔でも局部でも神経の集中した部分を更に強く鞭打つのだ。
それはそれはなんと心地好い快楽であろうか…………」
「うるせー!!!!!!
さっさと消えろぉ!!!!!!!!!」
わたしは我慢の限界が来て叫んだ。
ちょっと様子を伺おうと真面目に聴いていたのは失敗だった。
結局こいつの趣味の悪さを公開しているだけじゃないか。
これ以上聴いていても気分が悪くなるだけだ。
こんな残虐な思想に付き合っていられるか。
ナイアーラトテップはまだまだ喋りたさそうだったけれど、こんなの聴いていられない。
わたしはショルダーバッグからピートガンを取り出して構える。
ナイアーラトテップを目掛けて最大出力を放出する。
極太の魔力が、ぴっずぅううぅん!!
という音とともに放出される。
しかしナイアーラトテップは涼しい顔をして躱してしまう。
「おやおや、他人の話をさえぎるとは品性の無い小娘だな」
「小娘の前で残虐思想を語る方がよっぽど品性がないでしょうよ」
わたしはピートガンを連発する。
しかしことごとく躱される。
ナイアーラトテップの動きが速過ぎる。
わたしごときの動体視力では捉えられない。
それでも連発するしかない。
ナイアーラトテップをこちらに近づけたくない。
倒すまでいかなくても、なんとかこいつを追い払いたい。
「どうした、小娘? 当たらなければ、意味がないぞ」
ナイアーラトテップが煽ってくる。
「だったら自分から被弾してくれる?」
「それは御免こうむるよ。気持ち良くなさそうだからな」
わたしはショルダーバッグからペットボトルのキャップを装填しては撃つを繰り返す。
しかしそれも長くは続かない。
弾切れだ。
キャップを撃ち尽くしてしまう。
三十は用意してあったのに、もうなくなったのか。
わたしはピートガンのトリガーを引く。
かすっというむなしい音が出る。
まずい。
撃つ弾が無いし打つ手もない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます