第28話 春琴抄~コト~

コトちゃんを連れて家に帰る旅路。


その日、ホテルに着くとコトがわたしに告げた。


「サイリ、妾は入浴したいのじゃが」


長い車旅で疲れたのだろう。

わたしも風呂に入ってリラックスしたい。


「じゃあ、先入っていいよ」

「いや、妾は一人では入れぬぞ」

「あ、そっか」


しまった。

そういえばそうか。

初めて来た風呂に目が見えない人が入れる訳がない。

絶対にこける。

危ない。


「この宿の風呂には身体を拭いとくれるからくり人形がおるのか?」


コトはロボットのことをからくり人形と呼ぶ。

この世界に来たときに、ロボットという言葉は教えられているけれど、前世の言葉に引っ張られるのだろう。

見た目は幼いのに、言葉遣いは古めかしいから謎のギャップが生まれる。

可愛い。


「どうなんだろう?

 確認してくるね」


わたしは一足先に風呂場に行く。

そこには介助ロボットはいなかった。

次に、部屋に備え付けのタブレットでホテルのサービス一覧を見る。

そこに入浴介助は無かった。

ホテルのロビーに問い合わせても、そんな便利なサービスはないとのことだった。


「やはり、ないのか」


コトは残念そうな、どうでも良さそうな声で言った。


「そうみたいね。

 まぁ、わたしが洗ってあげるわよ」

「うむ。頼む」


こうしてわたしはコトと風呂に入ることになった。

しかしこれがなかなか大変だった。

まず脱衣所でコトの着物を脱がせるところから苦労した。


「ねぇ、コトちゃん」

「なんじゃ?」

「着物じゃなくて、未来の服装にしない?」

「駄目じゃ。舶来のものなど着とうない」


一応、洋服は日本のメーカーも作っているのだけれど、どこからが舶来ものなのだろうか? 

スカートは絶対に履いてくれないだろうな。

まぁ、それはいいや。

わたしはどうにかこうにかコトの着物を脱がす。

この紐がどこにどう繋がっているのか。

この布はここからどの方向に剥いでいくのか。

試行錯誤しながら脱がせていく。


「えっと…?」

「なんや、まだかいの? 

 早うせいや。

 身体が冷えてしまう」


コトから嫌味が降ってくる。

くそう。

わたしは苦戦しながらも、なんとかコトを全裸にした。

綺麗な肌だった。

色が抜けるほど白く艶がある。

春琴抄にこんな記述がある。

「サスケは常にコトの皮膚が世にも滑らかで四肢が柔軟であったことを左右の人に誇って止まず」

その文章を読んだときは、どんな肌なんだよ、大げさな。

なんて思っていたけれど、実際に見ると共感できる。

こんな美しい肌を洗っていたら自慢したくもなる。


「ねぇ、コトちゃん」

「なんじゃ?」

「踵を触って良い?」

「なぜ、そのようなことを訊く? 

 足の先まで磨くのじゃ。

 当然、踵も洗うが良い」

「わぁい!」

「何を喜んでおるのじゃ?」

「春琴抄に書かれているのよ。

 お師匠様は踵の肉でさえ、自分の頬よりはすべすべして柔らかであったとサスケさんが言っていたそうね。

 そんなこと書いてあったら興味が湧くでしょ」

「あやつ、何を書いておるのじゃ?」


春琴抄はサスケが晩年に語ったことをもとに書かれている。

サスケの偏見も混じっていて、事実と異なる気がする描写もある。

特にコトの描写はかなり美化されている。

コトを見ること神のごとくであったから、どれほど信用できるか分からない。

わたしも春琴抄を読みながら、オーバーな表現だなぁ、なんて思ったけれども。


「コトちゃんが最高に可愛いよって話を書いているのよ」

「旅の恥は掻き捨てというが、前世の恥は掻き捨てられぬのか?」

「掻き捨てなくても良いじゃない。

 愛らしいんだから」

 

そんなことを話ながら、コトの身体を洗った。


二日目になると、コトも車での移動に慣れたもので、舌が一層饒舌になる。


「昨日から、妾の話ばかりしておるではないか。

 お主らの前世の話もせぇ」


コトはわたし達に要求してきた。


「わたしは記憶がないから、話せることはないわよ」


コトに話を振られるが、わたしは白旗を揚げる。


「では、あたしが話します」


エリスが手を挙げた。


「ほう、エリスか。

 お主はドイツの産まれじゃったの」

「はい。

 コトさんより少し前の時代のドイツで産まれました」


コトの産まれた年ははっきり分かっていて、文政十二年五月二十四日だ。

西暦で言うと一八九二年。

江戸時代の末期である。

対してエリスは一八七〇年頃の産まれだ。

国は違っても生きた時代は重なっていたかもしれない。


「貧しい家に産まれました。

 小さい頃からろくに勉学もしておりません。

 身銭を稼ぐために十四のときに劇団に入ってダンスをするようになりました。

「ほう、お主、踊るのか」


コトはエリスに興味を惹かれたようだ。


「はい。

 一所懸命に上達してヰクトリア座二位にまでなりました」

「それはどのくらい凄いのじゃ?」

「どのくらいといえば良いのでしょうか?」


エリスが悩んでいたので、わたしが助け舟を出した。


「毎晩、将軍様の前で踊りを披露する役に任命されるくらいよ」


わたしも当時の時代感覚が分からないから適切かどうかは怪しいけれど、コトに雰囲気は伝わるだろう。


「ほう、それは良いな。

 妾も幼い頃は舞を習っておったのじゃ」

「踊ってもいたんですね」

「うむ。

 妾も本来なら、舞の方が才能があったのじゃ。

 妾の琴も三味線も一流のものではあるが、失明せずに舞の道を極めておったら、この名を世に轟かせておったろう」

「やっぱりコトさんは凄い方なのですね」

「無論じゃ」


コトは誇らしげに胸を張った。

ちなみに春琴抄の記述によれば、コト自身は舞の方が才能があったと言っていたが、それは誇張であると思われている。

弟子の話によれば、盲目になる前から舞踊も音楽も習っていたが、音楽の方が秀でていたという。

まぁ、音楽が一流であることに違いはないから、無粋な突っ込みはしないでおこう。


「ねぇ、コトちゃん」

「なんじゃ?」

「エリスが踊るための曲を演奏してくれない?」

「ふむ?」


わたしはコトに動画投稿について説明した。

インターネットを通じて、世界中の人に音楽やダンスを届けることができるということ。

江戸時代の文化で生きた人にこれを説明するのはとても難しい。

わたしはコトに伝わる言葉をなんとか捻りだす。


「……ということなんだけど」

「妾の演奏をからくりが模倣するというわけか?」


その解釈は、合っているか間違っているか判断に困るな。


「そうね。

 まずは聞いてもらいましょう」


わたしはスマホで手頃な音楽を探す。

エリスが踊ったことのある曲が出てきたので、これをスマホのスピーカーで流す。


「おっ、おお!

 楽器の音がするのう」

「どうかしら? 

 コトちゃんが演奏したものも、こうしてスマホに録音できるのだけれど、一度試してみようか?」


わたしはジェバンニ号のナビを操作する。

近くに楽器の演奏ができるような広場はないかしら。

そう思って探していると、公園を見つけた。

ものの三分で到着する。

わたしは車から降りて空を見上げる。


「風が無くて良かったわ」


快晴。

演奏してもらうには問題なさそうだ。

風のような雑音が出るものはなさそう。

ひとまず録音することはできそうだ。


「この世界ってほとんど風が吹かないですからね」


エリスがわたしに教えてくれる。


「そうなんだ?」

「ええ。

 あたしがこの世界に来てから、風というものを体感したことがありません」


それはそれで極端だな。

言われてみれば、わたしも風を浴びた記憶がない。

わたしたちのいるところがそういう地形なのかもしれない。

公園の芝生を見つけてコトに座ってもらう。

コトが三味線を構えた前に、録音状態のスマホを置く。


「始めて良いのか?」

「うん。お願い」

「では、春鶯囀(しゅんのうでん)」


春鶯囀はコトが作曲した楽曲である。

春琴抄では「独創性に富み作曲家としての才能がよく分かる」と記されている。

実際に聴いていると確かにそうだと感じる。

これは素晴らしい曲だった。

わたし達三人とも涙がこぼれるほど感動していた。

音楽について教養があるわけではない。

エリスとコーデリアに至っては、日本の楽器の音にさえ馴染みが無い。

それでも心が揺り動かされる。

五分ばかりで演奏は終わった。

しかしわたし達の心に与えたものは一時間にも二時間にも感じられる衝撃だった。


「素敵だったわ」


わたしはぱちぱちと拍手した。

エリスとコーデリアも手が痛くなりそうなくらい拍手している。


「さっきの演奏を、からくりが真似してくれるんじゃろ? 

 どんなもんかの?」

「聴いてみようかしらね」


コトは録音が気になっているようだった。

わたしは早速、録音したデータをスマホで再生する。

先程演奏した 春鶯囀の三味線が聞こえる。


「おお、妾の演奏じゃの」

「これが世界中の誰もがいつでも聞こえるようになるのか?」

「そうよ」


音が聞こえだしたときはうきうきだったコトの顔が段々と翳ってきた。


「のう、サイリ」

「何、コトちゃん?」

「もう一度、演奏をやり直すことはできるかの?」


あっ、この流れは覚えがある。エリスのときと同じだ。


「何かあった?」

「直したいヶ所がいくつもあるのじゃ」

「いくつも?」

「もう一度やらせてくれ」

「やりたいの?」

「このままで世界中の民に聴かせるわけにはいかないのじゃ! 

 妾がこの程度の腕前だと思われとうない!!」


コトはだんだんとヒートアップしてきて、わたしの腕を掴んでお願いしてきた。

わたしとしては世界中の人に聴かせるに充分だと思うのだが。

本人には納得できない部分があるらしい。

しかし今日のところは勘弁してもらった。

なんとか説得して、また後日録音することで納得してもらった。

エリスにしてもコトにしても芸術家の姿勢には感嘆するものがある。

その熱意は素晴らしいけれど、今は優先したいことがある。

ここは旅の途中。

演奏の録音はわたしの家に帰ってからでも充分に間に合うのだから。







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