第27話 春琴抄~コト~

鵙屋コトをなんとか仲間に率いれることができた。

明くる日は青々とした快晴だった。

わたし達はホーキーベカコンを探すため、帰路につくところだった。

ジェバンニ号に荷物を詰める。

ここまで来た三人での往路と違って、帰路は四人。

荷物も多くなってしまう。


「それ、持って行くの?」

「無論じゃ」


コトが持ってきたのは楽器だった。

琴と三味線。

両方とも高級感溢れる黒革のケースに入っている。


「これは車に入りそうにないわね。

 両方トランクに入れたらみんなの荷物が入らなくなってしまうわ」

「琴と三味線が持てぬのなら、妾は行かぬぞ」

「琴と三味線のどちらかにならない?」

「ならぬ。弾く曲が変わってまう」

「むう……」


コトを説得しようかと思ったけれど、折れてくれそうもない。

入らないものは入らないんだけどな。

琴って大きいから、それだけでトランクがほぼ埋まってしまう。

まさか屋根に括りつけるわけにもいかないし。

そんなことを考えていると見かねたエリスが声をかけてくれた。


「あの、三味線でしたら、あたしが抱えましょうか?」


確かに三味線の大きさだったら、車に乗ったままでも抱えることはできそう。


「でも長時間抱えておくのはしんどいと思うわよ?」

「大丈夫ですよ」


エリスは平然と言っていたが、わたしは不安だった。

車の中で三味線を抱えたままだと姿勢を制限されるから、エコノミークラス症候群にでもありそう。

姿勢は頻繁に変えないと血液の循環が悪くなって、身体に悪影響が出てくる。

三人ともそんな医学の知識は無い時代の人達だ。

こういうことはわたしがしっかりしないといけないな。

ひとまず三味線はエリスに抱えてもらうことにして。

休憩はたくさん取らないとね。


「じゃあ、頼むわね」

「はい!」


エリスは元気良く返事をした。


「のう、サイリ」


そのとき、コトが急に鋭い声でわたしを呼ぶ。


「どうしたの、コトちゃん?」

「何か妙なものが近づいてきておるぞ」

「妙なもの?」

「向こうの方でテケリーリと鳴いておる」

「ショゴス!?」


わたしはコトの家の庭から出て見通しの良い道路に出る。

コトが指差した方角に目を凝らす。

そこにはゆっくりとこちらへ進んでくるショゴスがいた。

以前見たショゴスよりも遥かに大きい。

地下鉄車両みたいな大きさだ。

間違いなくジュリエットからの刺客だ。

わたし達を捕らえにやってきたのだろう。


「テケリーリ! テケリーリ!」


ショゴズはそのタールでできたアメーバのような身体を複雑怪奇に蠢かして進んでくる。

地球上のどんな虫よりも奇怪なその動きだけで恐怖を掻き立ててくる。


「追い払わないと」


わたしはピートガンを構える。最大出力を準備する。


「なんや、えらい臭いのう」


わたしがピートガンを撃とうとしたとき、コトに声をかけられた。

わたしを追ってきたらしい。

白杖を突いてわたしの側に寄ってきた。

後からエリスとコーデリアも付いてきた。

エリスは慌てた様子で三味線を抱えたままだった。


「コトちゃん。危ないから家に戻ってて」


わたしはコトを心配して言ったけれど、わたしの言葉にコトは鼻で笑った。


「あの臭いのもとが敵っちゅうわけやな?」

「うん、そうだけど……」

「ちょうどええ。

 妾の演奏を聴く機会じゃ。

 エリス、三味線を!」

「は、はい!」


エリスは三味線のカバーを外して、コトに三味線を渡した。


「バチを!」

「は、はい!」


コトはバチを受け取ると、大きく深呼吸をした。


「他人に聴かせるのは、えらい久し振りやのう。

 ゆくぞ、残月!」


コトは三味線を奏で始めた。

その三味線の音色は、想像していた音を遥かに超えていた。

魂を直接揺さぶるもの。

音締めが冴え、音色も単に美しいのみではなく変化に富み、時には沈痛な深みのある音。

音楽の道を知らないわたしまでも虜にする。

そんな三味線の音色に呼応して鳥が現れた。

実際の鳥ではない、魔法の鳥が数十羽。

ウグイスやヒバリを模った魔法。

コトの周囲で踊るように飛び回る。


「海辺に生える 松林 その葉に隠れ 水平線

 消え入る月は かすかに照らし 瞬きの間の 夢のよう」


コトは歌い出した。

その声はおよそ九歳のものとは思えないほど妖艶だった。

その声に呼応して魔法の鳥達がショゴスに襲い掛かる。

魔法の鳥達がショゴスの身体をついばむ。

するとその部分が光って消える。

全部で五十を超える鳥達がショゴスの身体を余さず突き消す。

車両ほどのショゴスの身体が余さず消えるまで、一分もかからなかった。


「ホーキーベカコン!」


ショゴスの始末を完了したことを告げるようにウグイスが鳴いた。

コトは演奏する手を止めて呟いた。


「やはり、紛い物のウグイスでは音色に品が欠けるのう」


そして役目を終えた魔法の鳥達は消えていった。


わたしとエリスとコーデリアの三人はコトの演奏に拍手を送っていた。

ショゴスのことなど忘れて、ひたすらにコトの演奏に感激していた。


「素晴らしい演奏だったわ」


わたしは自然と涙が出そうだった。


「契約じゃからの。

 本物のホーキーベカコンのために、お主らを守る演奏くらいはしてやろうぞ」


九歳の少女とは思えないくらい頼もしい貫禄だった。


「コトちゃん!」

「どないかしたか?」

「キスして良い?」

「お主の愛情表現はえろう間違うておらぬか?」

「わたしの時代ではこれくらい普通よ」


しれっと嘘をついた。

が、結局キスはさせてもらえなかった。


そんなこんなでわたし達は車旅に出発することができた。

四人でジェバンニ号に乗り込む。

運転席はわたし、助手席はコト。

後部座席にエリスとコーデリア。


「それじゃあ、出発するよ」


わたしは三人に呼びかける。

ジェバンニ号は緩やかに発進した。

ジェバンニ号は急なスピード変化があるわけでもなく、揺れが大きいわけでもない。乗り心地は悪くない。

ただ流石にコトは戸惑っていた。


「あっ? な、なんじゃ? この妙な感覚は?」


一応、自動車という乗り物については昨日、説明した。

コトの時代にはないものだし、コトは目で見ることもできないから、何がおきているのか塑像しにくいのだろう。

馬車にも乗ったことはないと言っていたから、この高速水平移動は全く初めての経験となる。


「大丈夫? 怖くない?」


わたしはコトに訊いた。


「怖いにきまっておろう!」


コトは怒声を放った。まぁ、そうだよね。目を閉じたまま未知の乗り物に乗せられるなんて、わたしだって怖い。

どんなに安心だって説明されても怖いものは怖い。


「コトさん、コトさん」


後部座席からエリスが話しかけてきた。

三味線を抱えているけれど、今のところ苦しそうな様子もない。

至って元気な顔色だ。いつも通り美少女だ。


「どうかしたかの、エリス?」

「コトさんって前世で盲目になったんですよね?」

「そうじゃ。九歳のときに病を煩ってのう」


コトは昔を思い返してしみじみと言った。

ちなみに春琴抄の記述によると、コトが盲目になったのは誰かが仕掛けた人為的なものかもしれない、という話もある。

コトは小さい頃から見た目も踊りも優秀で目立っていたので、反感を買いやすい。

寝ている間に誰かに毒を塗られた可能性がある、なんてことも書かれていた。

真実は定かでは無いけれど。


「この世界に来るときに、その目は治してもらえなかったんですか?」

「ん?」

「あたしは前世でパラノイアという病気になってしまいました。

 それが、こっちの世界に来るときに治してもらえたんです」


そういえばエリスはそんな病気も抱えていたな。

今でこそ落ち着いた雰囲気のエリスだけれど、前世で豊太郎に捨てられてからは悲惨なものだった。

舞姫の記述でも、精神がまともでなくなって赤子のようになった、とあった。

それがこっちの世界では、パラノイアが治った状態で転生できたのか。

便利な世界だな。


「確かに、こちらの世界に来るとき、目を見られるようにもできると言われたわ。

 しかし断ったのじゃ。

 盲目のまま九歳から生を授かりたいと言うたわい」

「不便だと思わなかったんですか?」

「多少の不便はあるがの。

 サスケがおるなら問題はないと思うとったんじゃ。

 それが蓋を開けてみれば、サスケはおらなんで、妾の世話をするのはからくり人形じゃ。

 これなら目明きの方が良かったわい」

「サスケさんって、手引きの方でしたっけ?」


エリスがわたしに訊く。

昨日話した春琴抄の話をちゃんと覚えていた。


「そうよ。小さい頃からずっとコトちゃんのお世話をして、死ぬまで一緒に付き添った人よ」

「でも結婚していないんだっけ?」


コーデリアも会話に参加してきた。


「妾は名家である鵙屋の娘じゃ。

 使用人なんぞと縁を結んだっちゅうたら生き恥や」

「それもそうね」


コーデリアは、コトの言葉に納得がいったようだ。

コーデリアもブリテンの王族だ。

身分の違いについて思う所があるのだろう。

コーデリア自身はフランス王と結婚したわけなのだが。

そんなことより。

わたしはコトの言葉がおかしくてしょうがなかった。

ふふふふふっと笑い声が漏れてしまう。


「どうかしたか、サイリ?」


コトに不審がられる。


「コトちゃんは可愛いなぁって」

「何がじゃ?」

「生き恥だとか言っているけど、サスケさんのことが好きではあったんでしょ?」

「はっ? 

 たわけたことを」


コトに鼻で笑われた。

しかし、からかう主導権はこちらにある。


「コトちゃんって、サスケさんの子供を何人産んだんだっけ?」

「………………」


あっ、黙った。


「初めて子供を産んだのはコトちゃんが十六歳でサスケさんが二十歳のときだね。

 このときは身ごもっても誰の子かは絶対に言わなかったんだよね。

 周囲にはサスケさんとの子だってバレバレだったのに」

「……」

「その後、コトちゃんが独り立ちしてサスケさんと同棲することになったじゃない。 

 誰がどう見ても夫婦だったのに、周囲には使用人としか扱っていないように見せていたわよね」

「……」

「そこで三人も子供を産んでいるのに」

「……」

「使用人と縁を結んだら生き恥なんだっけ?」

「おい!」


コトの声には怒りと羞恥が混じっていた。

ああ、可愛いなぁ。

コトは身分や立場を気にしてサスケのことをぞんざいに言ってはいるけれど、なんだかんだ身体を許すくらいには好きではあったのだ。

決してそんなことを素直に言うことはないけれど、春琴抄の行間にはコトの愛情が見え隠れしている。

車中ではその後も、コトをからかって楽しんだ。

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