第26話 春琴抄~コト~

そんなこんなで鵙屋コトに案内されて家に入る。

客間に案内された。

十六畳の和室。

コトとわたし達三人が机を挟んで向かい合う。

ややあって和室にロボットがやってきた。

そのロボットはわたし達にお茶を出してくれる。

コトは目が見えないのだが、日常生活はロボットに手伝ってもらっているから不便は無いらしい。


お茶を一口飲む。

煎茶だ。

コトが選んだのだろうか。

エリスとコーデリアは渋い顔をしている。

紅茶の味を期待して飲んだのだろう。

予想外の苦味に驚いているようだ。


わたしはこれまでの経緯をコトに話した。

この世界に転生してきたものの、前世の記憶が無いこと。

それによって記憶を探す旅に出ようと思ったこと。

そしてジュリエットに命を狙われたこと。

ギンノイトいわく、ジュリエットに勝てるのはわたしかコトしかいないということ。

しかし、わたしには記憶がなくてジュリエットから身を守る術が分からないということ。


「なるほどのう」


コトはお茶をすすった。

わたしの話に納得してくれたようだ。


「という訳で助けてほしいの、コトちゃん」

「コトちゃん?」

「可愛い呼び方でしょ?」

「馴れ馴れしいのう」


お気に召さなかったらしい。


「でも、あなた今、少女の姿よ?」


見た目でいえば、コトは九歳。

わたしは十八歳。

わたしは前世で何歳まで生きたかは知らないけれど、鵙屋コトは五十八歳で亡くなっている。

それを加味すれば、コトの方が年上な気もするし、転生でリセットさえたと思えばわたしの方が年上でも良いと思う。

転生後の世界の年功序列は難しい。


「それも、そうじゃな。

 自分で進んでこの年齢になったのじゃ。

 不平不満は筋違いじゃの」


コトはあっさりと受け入れた。

春琴抄を読んだ感じだとどう転ぶかは分からなかった。

コトは内面の悪い方ではあったが、外に出ると思いのほか愛想がよく、客に招かれた時などは言語動作が至ってしとやかで色気があり、家庭でサスケをいじめたり弟子を殴ったり罵ったりする婦人とは受け取りかねる様子だったという。

今は外面の良さを強調しているのか、転生して大人しい性格になったのか。


「それじゃあ、助けてもらえるかしら?」

「嫌じゃ」


きっぱり断られた。


「あれ?」


てっきりOKしてくれる流れだと思ったのに。


「わしにとって利点が無いからの。

ジュリエットとやらからお主らを守ったところで、褒美があるわけでもなかろう?」

「人の命が危機にさらされているのに、救いの手を差し伸べないの?」


コーデリアが口を挟んできた。


「ほう、不思議なことをいいおるのう」

「力のある者は、力なき者に無償の恵みを施すものよ」


現代ではノーブレスオブリージュとも言われる考え。

日本語では、位高ければ徳高きを要す。

言葉自体は十九世紀の新しいものだけど、考え方自体はコーデリアの時代からでも通じるものがあるようだ。


「はっ? 

 自ら恵みを乞うような矮小な人間に施しなどあろうはずがなかろう」

「私達が死んでも良いって言うの?」

「突然来訪してきたお主らに思い入れも無いからの。

 どこで野垂れ死んでも構わぬぞ」


鼻で笑われこき下ろされた。

コーデリアは唖然としてわたしの方を見た。

涙目だった。

こんなひどいことを言われるとは露とも思っていなかったのだろう。

可哀そうに、よしよし。


「褒美は出すわよ。何か欲しいものはあるかしら?」


わたしはコトに向き直った。なんとか説得できないかしら。


「金なら充分に持っておる。

 お主らが出せるようなものは欲しくないぞ」


一蹴された。

しかしここでめげる訳にはいかない。

わたしは考える。

何か鵙屋コトが欲しそうなものはないかな。

春琴抄の記述を思い返す。

鵙屋コトはどんな女だったか。

九歳の頃に眼病により失明して音曲を学ぶ。

サスケに手引きをさせつつ、贅沢な暮らしをしていた。

潔癖で少しでも垢のついた服を着るのは拒否した。

座布団や畳に座る度に表面を撫でて、ほこりが無いか確認したという。

それからお洒落で、失明以来鏡を見ることはなかったけれでも、自分の顔には自信があった。

肌の手入れも小まめで常に顔や手足がつるつると滑るようでなければ気持ち悪がった。

三日ごとに必ず爪を切らせて鑢をかけさせた。

髪も非常に多量で、真綿のごとく柔らかくふわふわさせていた。

鯛の造りが好物で、当時の女性としては驚くべき美食家だった。

酒も晩酌に一合は欠かさなかった。


それなら褒美として魚や酒が良いのかな? 

でもわたしだって魚や酒のあてがあるわけではない。

酒なんて飲んだこともない。

何が美味しいかなんて知ったことではない。

あとコトの趣味と言えば、小鳥か。

ん? 

小鳥? 

ウグイス? 

ホーキーベカコン!?


「褒美はウグイスでどうかしら?」


わたしは笑みを浮かべてコトに告げた。


「何?」

「わたしの家の近くの森にホーキーベカコンと鳴くウグイスがいるのよ」

「本当か!?」


コトは身を乗り出してわたしに寄ってきた。

よし、釣れた。


「ええ、本当よ。コトちゃんのために捕まえてきてあげても良いわ」

「ホーキーベカコンって何よ?」


事情をのみこめていないコーデリアがわたしに訊く。


「良いウグイスはホーキーベカコンって鳴くのよ」


春琴抄のこんな記述がある。

「コトはウグイスを愛した。家に飼っている一番優秀なウグイスに『天鼓』という銘を付けて朝夕その声を聴くのを楽しんだ」


「この世界にもホーキーベカコンがおるのか。

 てっきりいないものとして諦めておったのに」


わたしは自信を持って返答する。


「わたしがこの世界に来たとき、初めて聴いたのはホーキーベカコンというウグイスの音だったわ」


ウグイスの鳴き声といえば、ホーホケキョウが一般的だ。

しかし値打ちのウグイスはもっと綺麗な声を奏でる。

ホーキーベカコンと鳴くウグイスが高音と呼ばれる鳴き声だ。

春琴抄にもコトが愛したウグイスについて詳しく記述されている。

野良のウグイスではなかなか綺麗にホーキーベカコンとは鳴かない。

この鳴き方をさせるためには、人為的にウグイスを養成するのである。

ウグイスが雛の段階から、綺麗に鳴くウグイスの師匠をつけてひたすら稽古させる。もちろんそうして稽古させたウグイスも個々によって素質の優劣、声の美醜がある。コトが愛した天鼓のウグイスはホーキーベカコンという金属性の楽器のような美しい余韻を引くように鳴く希少価値の高いウグイスだ。

声の寸が長く張りもあれば艶もある。

高音のコンッという音の冴えて余韻のあることは人工の極致を尽くした楽器のようであるとの記述がある。


わたしは春琴抄を読んでこの記述が気になったからウグイスの鳴き声を調べて聴いてみた。

動画で探して見つけた気がする。

この世界に来た最初の朝に聴いた鳴き声。

ホーキーベカコンといういう鳴き声を聴いて、これがウグイスの鳴き声だと分かったのはこんな経緯がある。


「そのホーキーベカコンはどこにいるのじゃ?」


コトは声を弾ませて訊いてくる。

やっぱり転生したこの世界でも、ホーキーベカコンは欲しいようだ。


「ここから車で三日かかるわね」

「捕まえて来てくれんかの? 

 いや、妾を連れて行くのじゃ。

 良いホーキーベカコンを選びたいのじゃ」


わたしはそれを聴いてほくそ笑んだ。


「交換条件よ。

わたし達をジュリエットから守ってくれたら、そのホーキーベカコンのもとへ案内してあげるわ」

これはお互いとって良い交換になるはず。

「なるほどのう。

 そうきたのか」


コトは天井を見上げて少し考えていた。

目が見えない人でもその仕草はするらしい。

しかしすぐにわたしの方に向き直った。

「お主の聴いたホーキーベカコンが妾の求めるホーキーベカコンとは限らぬ」

「それもそうね」


恐らくコトにはコトなりのこだわりがあるのだろう。

それは実際に本人が聴いてみないと分からないことだ。


「先に妾をホーキーベカコンに案内するのじゃ。

さすればジュリエットでもナイアーラトテップでも始末してくれようぞ」


コトは威勢よく言い放った。

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