第25話 春琴抄~コト~
わたし達はヤクに乗った口裂け商人を追い払うことに成功した。
しかし倒れたシャンタク鳥の始末に困っていた。
ギンノイトにどうすればよいか聞いたところ、害獣駆除部隊を派遣してもらえることになった。
すぐにトラックが五台やってきた。
ロボット達が現れて、シャンタク鳥を回収して去って行った。
この辺のインフラはちゃんとしている。
流石の科学力だ。
わたし達は楽しい旅に戻った。
ジェバンニ号に揺られて野を駆け山を駆ける。
さっきまで口裂け商人とシャンタク鳥に襲われていたけれど、そんなことは忘れられるくらい楽しいことがしたい。
「コーデリアってどういう遊びが好きなの?」
「遊び?」
「ええ。二千年以上前の人間が何をして遊んでいたのかなんて、想像が付かないのよ」
「逆に、私も二千年後の遊びなんて想像付かないわよ」
お互いジェネレーションギャップなんて言葉では言い表せないほど生きた年代が違う。
コーデリアもエリスもよくスマホの操作ができるようになったものだ。
「こういう車に乗っている間ってどんな暇つぶしをしていたの?」
わたしは二人に聞く。
「車に乗ったのは初めてです。
鉄道にも乗ったことないですし」
エリスはそんな時代に生きた人だった。
車に乗る機会なんて滅多にない十九世紀。
エリスの時代にも馬車くらいはあっただろうけど、エリスは貧乏な家だったけから乗る機会なんてなかったんだろうな。
「そうだよねぇ」
「私は馬車に乗ったことあるわよ。
ただ、こんなに安心して乗れるものではなかったわ。
ものすごく揺れるし」
流石はお姫様である。
エリスよりも昔の人間だけれど、馬車には乗ったことがあるらしい。
「そう思うと、今のこの自動車は随分と快適でしょ?」
「ええ。驚きね。
このまま寝てしまいそうだわ」
確かに寝ていても問題はないな。
さっきみたいに口裂け商人が来てもジェバンニ号はアナウンスしてくれるし。
全員寝ていても良いかもしれない。
「でも、今寝ると、夜眠れなくなるかもしれないから、起きていた方が良いわ」
「じゃあ、私が寝ないように面白い話でもしてくれるかしら?」
コーデリアが貴族のようなことを言う。
いや、お姫様なんだけど。
「さっきの春琴抄を深堀しようかしら」
「さっきはあらすじを聞いた話ね」
「そうよ。
それじゃあ、ちょっと細かく話しますか」
わたしは春琴抄の本を手に取って、ぱらぱらとめくる。
すると良い文章を見つけた。
せっかくだから、耳で聞いてもらうだけじゃなくて、頭を使って考えてもらおう。
『サスケはコトより四つ歳上で、十三歳の時に初めてコトの家に奉公することになった。
コトが九歳のとき。つまりコトが失明した歳に当たる。
サスケが奉公することになったときには既にコトの美しい瞳が永久に鎖された後であった。
サスケはこのことを、コトの瞳の光を一度も見なかったことを後年に至るまで悔いることはなかった。かえって幸福だった』
わたしは春琴抄を引用した。
「コトの瞳を見ないことが幸福だったの?」
「ええ。
春琴抄にはその理由も書いてあるわ。
なんでだと思う?」
わたしはコーデリアとエリスに質問してみた。
「不思議ですね。
綺麗な瞳だったら見てみたいと思いそうですけれども」
エリスが言った。
確かにそれが普通の発想だろう。
「コーデリアはどう思う?」
「そうね。
失明しなかったら、自分と出会わなかったから、というのはどうかしら?」
「あら、素敵な理由ね」
コーデリアも意外とロマンチックなことも言えるんだな。
わたしはちょっと感心した。
「そうでしょう?」
コーデリアは鼻高々だった。
日本人と比べたら元から鼻は高い方ではあるのだけれど。
「でも春琴抄に書いてある理由は別のものよ」
「どういう理由で、瞳を見たくないのですか?」
わたしは春琴抄を抜粋する。
『もし失明以前を知っていたら失明後の顔が不完全なものに見えただろう』
「失明したら、それは不完全なのは当然じゃない?
理由になっているかしら?」
わたしは続けて引用する。
『幸いサスケはコトの容貌に何一つ不足なものを感じなかった。
最初に出会った瞳を閉じた状態から円満具足した顔に見えた』
「そんなことが、あるのかしら?」
「サスケはこうも言っているわ。
『わしはお師匠様のお顔を見て、お気の毒とかお可哀想とか思ったことは一編も無いぞ。お師匠様に比べると眼明きの方がみじめだぞ』」
「眼明きの方がみじめなんてことがあるの?」
「サスケの感性ではそうなのよ。
『わしやお前達は両眼が揃っているだけで他のことは何一つお師匠様に及ばない。わし達の方が不完全ではないか』
なんて言っているわ」
「不完全ねぇ」
コーデリアは腑に落ちていないようだった。
まぁ、わたしもここだけ聞いて納得できるかと言われたら、難しいけれども。
わたしは春琴抄の細々とした解説をしだした。
しかし困ったことになった。
鵙屋コトの可愛さを主張したかったのに、春琴抄を深掘りすればするほど主人公サスケの異質さが際立ってしまった。
難しいなぁ。
春琴抄ってそういう話だから仕方ないのだけれど。
そんなこんなで旅は続いた。
車中ではわたしが本の話をしたり、二人が前世であった思い出話をしてくれた。
夜にはホテルに泊った。
三人用の豪華なスイートルーム。
ホテルのスイートは甘いという意味はなく、ベッドルームやダイニングが繋がっているというsuiteである。
なんて豆知識を披露しようかと思ったけれど、suiteとsweetの区別が苦手なのは日本人の特徴でしかなかった。
イギリス人とドイツ人には最初からきちんと区別できている単語だ。
わたしとエリスはスイートルームのきらびやかな内装に目を輝かせた。
しかしコーデリアは「私の家よりかは質素かな」なんて言っていた。
まぁ、そりゃそうなんだけどさ。
こういったホテルの料金はコーデリアが出してくれた。
お金は余っているから、と言ってすごくたくさんくれる。
今まで物欲もほとんどなく、お金は溜まっていく一方だったらしい。
ありがたいことではあるけれど、わたしにお金の余裕ができたら返そうと思った。
こうして二泊の車旅を無事に乗り越えた。
口裂け商人に襲われたのは最初の日だけで、あとはすんなり快適な車旅だった。
道中ずっとおしゃべりをしていたおかげで、三人の仲がかなり深まった。
コーデリアもよく笑うようになった。
とても明るい道中だった。
ギンノイトの案内に沿って鵙屋コトの家に到着した。
「いかにも日本って感じのおうちですね」
エリスが感想を述べる。
わたしも同意見だった。
一階建ての木造の平屋。
大きさもそこまで大きくはない。
鵙屋コトは江戸時代の産まれだけど、江戸時代にこんな感じの家があってもおかしくない。
雰囲気はばっちりだ。
「それじゃあ、行きますかね」
わたしは門のインターホンを押そうとした。
古い雰囲気の家ではあるけれどこうした設備はちゃんとあるようだ。
しかし押そうとしたけれど、やめた。
庭に人影が見えたからだ。
「うむ? うちに客がいらしたのか?」
そこにいたのは少女だった。
九歳くらいだろうか。
小さな背丈に赤い立派な着物を着た少女。
縁側に座って空を見上げている。
鳥のさえずりでも聴いているのだろうか。
こちらの気配を感じたらしく庭から門へとことこ歩いてやって来た。
輪郭の整った瓜実顔に一つ一つ可愛い指で摘まみ上げたような小柄な今にも消えてなくなりそうな柔らかな目鼻がついている。
まさしくわたしが脳内で描いていた少女時代の鵙屋コトそのものだった。
めっちゃ可愛い。
やばい。
動悸がしてきた。
コトの眼は固く閉ざされている。
転生しても眼は見えないままのようだ。
白杖をついて、こちら歩いてきた。
近くに寄ると背の低さが一層際立つ。
「あなたが鵙屋コト、ですね?」
わたしは少女に尋ねた。
「いかにも、妾は鵙屋コトである」
堅苦しい喋り方だった。
転生した時に現代の日本語の知識は与えられるけど、以前使っていた言葉と混ざっているのか古めかしく聞こえる。
「抱きしめても良いですか?」
「は?」「は?」「はい?」
わたしのお願いにコトだけじゃなくてエリスやコーデリアも疑問符を投げる。
そんな反応しないでよ。
だって可愛いんだもの。
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