第24話 春琴抄~コト~
わたしは車内でエリスとコーデリアに春琴抄を語って聞かせた。
わたしはこの話が好きなのだ。
本当に面白い。
記憶はないけど何十回も読んだ気がする。
まさかそんな鵙屋コトに会える機会が訪れるなんて思ってもみなかった。
転生ってすごいな。
ああ、早く会いたい。
どんな姿なんだろう?
何歳で転生してきたんだろう?
性格変わっているのかな?
ギンノイトに訊けば教えてもらえるかもしれないけれど、実際に会うまでの楽しみにしておこう。
そんなことを考えていたところだった。
ジェバンニ号の車内ブザーが鳴った。
「緊急事態です。
前方に未確認物体を発見しました。
走行を停止します」
ジェバンニ号のナビが告げた。
ジェバンニ号は急ブレーキをかけず、そろっと停車した。
「どうなっているのよ?」
「なんでしょうかね?」
わたし達三人はジェバンニ号から降りる。
周囲は田んぼ。
近くに民家もない。
そんな田園を裂くように延びる舗装された道路。
中途半端な位置で停車するジェバンニ号。
そこから降りたわたしの視界に入るのは青い空から来た大きな影。
その影も一つではない。
二十はいる。
影は翼を持ち、風を切って、その影は一瞬刹那の合間にどんどん大きくなっていく。まごついている場合ではなかった。
それは鳥でもなく蝙蝠でもなく、地球上における既知のものではなかった。
像よりも巨大で、その頭部はまるで馬。
「シャンタク鳥!」
ナイアーラトテップの使者、シャンタク鳥が二十の群れをなしてわたし達に迫ってきている。
わたし達三人を捕らえにきたんだろう。
ガラスをひっかくようなきぃきぃという鳴き声も聞こえてきた。
「あっ、あのときの」
わたしがこの世界に来た時に最初に出会った怪物。
そして、シャンタク鳥のすぐ下、地上には牛に乗った人物がいた。
あの牛はヤクだな。
これは実在する牛の種類。
そしてそのヤクに乗っている人物。
人ではない。
人のようだけれど別の生物だ。
細めで小柄。
裂けそうな口で笑いながらやってくる。
わたしはあれを知っている。
姿を見たのは初めてだけど、本で読んだから知っている。
「ヤクに乗った口裂け商人!」
シャンタク鳥の群れを率いる口裂け商人だった。
口裂け商人は『未知なるカダスを夢に求めて』の作中でもシャンタク鳥を操って、主人公のカーターを連行する。
わたし達三人はシャンタク鳥に囲まれた。
そして正面から口裂け商人が牛に乗ってやってきた。
口裂け商人はヤクから降りる。
全身は猿のように毛むくじゃらだった。
人型だけどどこか人とは違う。
そんな口裂け商人が、わたし達に話しかけてくる。
「どうもどうもお嬢さん方。
ジュリエット様の命を受けて、お迎えに上がりました」
くぐもって聞き取りづらい声だった。
内容ではなく、声質だけで耳が不愉快だった。
しかし日本語であることは確かに通じた。
「あんたなんかお呼びじゃないわ。帰ってくれる?」
コーデリアが口裂け商人に言い放つ。
臨戦態勢だった。
コーデリアはストームステルの剣を構えていつでも攻撃ができる準備を整えていた。
「血気盛んなお嬢さんなことで、よろしいことですなぁ」
口裂け商人は嫌味たっぷりに喋った。
「それは、どうも」
コーデリアは警戒を強める。
「さて、お嬢さん方、おとなしくついてきてはくれないでしょうか?
ジュリエット様のお申し出なのです。
こうして立派なシャンタク鳥も用意したのです。
乗り心地は悪くないと保障しますよ」
口裂け商人はそう言って、シャンタク鳥の一匹を撫でた。
シャンタク鳥の翼からは霜や硝石がぱらぱらと地面に落ちる。
「そんな得体の知れないものに乗れるわけがないでしょう!」
コーデリアは語気を強める。
「おやおや、お嬢さん方。
あなた方にジュリエット様の偉大なるお言葉に逆らう力がおありかな?」
「力なんか無くてもジュリエットなんかに従う理由はないわ」
するとコーデリアの言葉を聞いて、口裂け商人は笑い出した。
「これはこれは可笑しなことを言いなさる。
社会というものができ始めから、人間を区別するものは力のみでございます」
「力のみ?」
わたしが思わず口を挟んだ。すると口裂け商人は饒舌に語りだした。
「左様。
自然は人間すべてに住むべき土地を与えたが、しかしこの土地を分けるときによりどころとなるべき力は、人間に等しく与えなかった。
分配を支配するのは常に力であるというのに、平等などという状態が信じられるでありましょうか。
つまりこの力の不平等は自然によって認可された好ましい世界であると言えましょう」
「何を言っているの?」
コーデリアは目に見えて苛立っていた。
こんな難解な持論を口頭で語られても反応に困る。
手紙に書いて送ってほしい。
破り捨てるけど。
「力による支配が自然を怒らせるような行為であろうはずがありません。
もし自然が平穏を望むのであれば、力も性格も等しい人間を創ったことでしょう。
しかし現実はそうではない。
一人一人の力は不平等でしかありません。
つまり自然が望んで不平等にしたということ。
力による支配はごく自然な行為なのであります」
「一体、何が言いたいの?」
コーデリアは理解していないだろうなぁ。
別に理解しなくても良いと思うけど。
「お嬢さん方がジュリエット様に従うのは自然なことでございます」
口裂け商人は持論を語れて満足したらしく、けたけたと笑っていた。
「ともかく、私達はあなたについて行く気はないわ。
帰ってちょうだい!」
「おやおや、わたくしの言っていることが、理解できなかったのですか?
力を持たないあなた達はわたくしに従うしかないのですよ。
殺しはしません。
痛めつけてやりなさい、シャンタク鳥たちよ!」
口裂け商人はシャンタク鳥たちに命令した。
しかし、シャンタク鳥は命令に従わなかった。
わたし達に襲い掛かることなく、二十匹すべてがその場に倒れ込んだ。
「え?」
「ん?」
口裂け商人は目を丸くして驚いていた。
ついでにコーデリアも何が起こったのか理解できずに驚いていた。
「ご高説ありがとうございます。
それだけ長々と喋ってもらえれば、こちらも対処する時間があるというもので」
わたしは口裂け商人にお礼を言う。
そしてピートガンを構えた。
口裂け商人の脳天に銃口を突き付ける。
「何をした?」
口裂け商人は怯えながらわたしに質問した。
「エリスに踊ってもらっただけよ」
わたしが告げると、エリスが車の陰からひょっこり出てきた。
気合入れて踊ってもらった。
顔が少々汗ばんでいる。
「これで、大丈夫ですか?」
「ええ、完璧よ。ありがとう、エリス」
エリスの踊りはシャンタク鳥を弱らせることに成功した。
口裂け商人が長々と話してくれたおかげでエリスは集中して踊ることができた。
口裂け商人は力がどうのこうのと言っていたけれど、重要なことを分かっていなかったようだ。
わたし達は支配者に抗う力がある。
「そうですか、そうですか。
ショゴスの警備を突破するくらいの力はあると聞いておりましたが、そういうことなのですね。
理解いたしました」
口裂け商人はにやけ面のままわたし達に向けて拍手をした。
エリスの退魔の踊りは魔物を弱らせて追い払うものだと聞いていた。
シャンタク鳥を弱らせることはできたけれど、この口裂け商人を弱らせることはできていないようだ。
人間に近いからか魔物としての格が高いからか。
このまま去ってくれたらありがたかったんだけど。
まぁ、いいや。
この場は既にわたし達が優勢だった。
「そういうことよ。
帰ってジュリエットに伝えなさい。
あんたの力はわたし達の足元にも及ばないわ」
本当はそんなことはない。
ジュリエットが圧倒的に強いことはギンノイトが教えてくれた。
ジュリエットに勝てるのはわたしか鵙屋コトだけらしい。
でもここは虚勢でも張っておいて、こちらの底力を見定められないようにしたい。
「ふむ。かしこまりました。
そのようにお伝えいたします。
今日のところはお暇いたしましょう。
またお会いする日を楽しみにしております」
口裂け商人は恭しくお辞儀をした。そしてヤクに乗って来た道を帰っていった。
「ふぅ。
帰っていきましたね」
エリスは一仕事終えてすっきりしていた。
「びっくりしたわね」
コーデリアも安心して脱力した。
「いや、シャンタク鳥も連れて帰れ!」
わたしは絶叫した。
わたし達は未だに二十のシャンタク鳥に囲まれたままなのだ。
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