第30話 悪徳の栄え~ジュリエット~
ホーキーベカコンを探しているとナイアーラトテップが襲ってきた。
ナイアーラトテップは速い。
ピートガンは一弾も命中しないまま撃ち尽くしてしまった。
「おや、もう終わりか。ならこちらから活かせてもらおう」
ナイアーラトテップの手に魔力の光が集まる。
何らかの攻撃であることは間違いない。
「やばいかも?」
わたしが逃げるために思考を巡らしているときだった。
さらさらさらと砂城が崩れる音がした。
音とともに、周囲にまとっていた薄いヴェールの霧が晴れていく。
恐怖を駆り立てていた景色が壊れていく。
妙な香りも沈んでいく。
巨大な奴隷の影も消えていった。
あっという間に青空が晴れわたる。
ここはもといた森だ。
わたしの家の前の森だった。
「サイリ、大丈夫?」
コーデリアに声を掛けられた。
エリスとコトもいる。
そうか。
わたし以外の三人は一緒だったのか。
はぐれたのはわたし一人だけだったようだ。
わたし一人だけがナイアーラトテップにおびき寄せられて戦っていたのか。
皆は無事のようだ。
「助かったわ。
ちょうど弾切れだったのよ。
そっちは大丈夫だったの?」
「もやがかかっていたけれど、なんとか三人で集まれたの。
今、エリスが踊ってくれたから、こうして霧が晴れたの」
「なるほどね」
以前、ギンノイトが言っていた。
エリスの退魔の踊りはナイアーラトテップに多少の苦痛を与えることはできるが、完全に追い払うことは不可能だと。
多少の苦痛がどの程度のものかは分からなかったが、ナイアーラトテップが張った霧を掻き消すぐらいは可能だったということだ。
「なんや、気色悪い匂いが晴れたと思うたら、えらいドブ臭いのがおるのう。
あいつが敵か?」
コトは顔をしかめて言った。
まるで獲物を喰らう鬼のよう。
やだ、その表情。
かっこいい。
惚れちゃう。
「コトちゃん、あいつをやれる?」
「まかせるのじゃ。残月!」
コトは三味線を構えて演奏を始めた。
たちまち魔法の鳥達が現れる。
鳥達はドブ臭い元凶、ナイアーラトテップ目掛けて飛び込んでいく。
「くっ!」
ナイアーラトテップは青白く光る障壁を出して鳥を防ぐ。
しかし見るからに焦っていた。
コトの鳥の手数に圧倒されている。
防戦一方だ。
じりじりと後ずさっている。
「くらえっ!!」
コーデリアがストームステルの剣を振るう。
鳥の合間をぬって、嵐の斬撃がナイアーラトテップを襲う。
ダメ押しの一手だ。
障壁を貫通して、ナイアーラトテップの左半身を削り取った。
「あ、ああ、まさか、この私が、……人間、ごときに?」
ナイアーラトテップは自分が被弾したことに驚いていた。
しかし、その驚く間も追撃の隙でしかない。
コトの鳥達が障壁を抜けて襲い掛かる。
「目覚めで全て 明らかにした あなたは既に 天国に
月の裏には 思いは届かぬ 月日ばかり 過ぎていく」
コトは悠々と歌い上げる。
ナイアーラトテップの身体が宙に舞って、激しい音とともに地面に叩きつけられた。
「とどめだ!」
コーデリアはストームステルの剣で地面に転がっているナイアーラトテップを刺そうとした。
「ちょっと待って」
わたしはそんなコーデリアに待ったをかけた。
ナイアーラトテップに歩いて近寄る。
「どうしたの?」
コーデリアは無防備なわたしを見て不安そうにしたいた。
しかし、わたしは構わず地面に倒れているナイアーラトテップを見下して言った。
「ナイアーラトテップ。あんたに訊きたいことがあるの」
「……は? なんだ? これから死ぬ我が身体にまだ鞭打つか?」
ナイアーラトテップは身体中から黒々とした液体を流している。
人間でいうところの血液なのだろう。
消耗して事切れそうなのは間違いない。
吐き出す言葉も絶え絶えだ。
しかし、その前に訊きたいことがある。
「ジュリエットの居場所を教えて」
ナイアーラトテップは少し拍子抜けしたようだったが、すぐに喋り出した。
「なんだ、そんなことか。
02-350-8357。デュラン城だ」
「どうも」
わたしは言われた住所をメモしようとポケットに左手を突っ込んでスマホを取り出した。
案外あっさり教えてくれた。
良かった良かった。
下手に拒否されると拷問しないといけないところだった。
そんなわたしがスマホに目を移した一瞬の隙を着いたのだと思う。
ナイアーラトテップは手から黒い剣のようなものを出した。
そしてわたしの心臓を目掛けて突いてきた。
「ひっ!」
コーデリアがナイアーラトテップの動きに反応して悲鳴を上げる。
わたしが油断していると思ったのだろう。
ぴっずぅううぅん!!
わたしの右手からピートガンの最大出力が放たれる。
放たれた魔力はナイアーラトテップを藻屑も残さず消し去った。
「ふぅっ」
わたしはピートガンをショルダーバッグにしまった。
そして落ち着いてスマホにメモをした。
「よく、ナイアーラトテップの動きを見ていたわね」
コーデリアに褒められた。
嬉しい。
「動きを見てはいなかったわよ。
町の番号を訊いたら、すぐに始末するつもりだったから、左手でスマホを出すと同時に右手でピートガンを構えていたのよ」
ナイアーラトテップからすれば、わたしが視線を外したからチャンスだと思ったのだろう。
しかしわたしは油断など一切していない。
とどめをさせることを確信してから目を逸らしたのだ。
「あれ? でもさっき弾切れって言っていませんでしたっけ?」
エリスがわたしに近づいてきた。
エリスには踊って霧を晴らしてもらったのだ。
けっこう消耗したのだろう。
目がくたびれている。
「さっき拾ったのよ。そこに落ちていたから」
「そんな都合よく落ちていたんですか?」
確かに都合が良いように思える。
偶然だとしたら想像できないくらい幸運だ。
「エリス、わたしと会った日の次の日のことを覚えている?」
「次の日、ですか?
確か、サイリさんと一緒に家に行ったり病院に行ったりしましたよね?」
よく覚えているものだ。
二十日くらい前のこと。
エリスも記憶力は良い方みたい。
それともわたしと出会えたことが嬉しくて印象に残っているとか?
「病院に行く前に、シャンタク鳥に出会ったじゃない。
出会ったというか、声がしたんだけど」
「ああ、ありましたね」
「わたしがピートガンを試したくて、真上に向かって撃ったわよね」
「撃ちましたね。
急にすごい魔力が放出されてびっくりしました」
「あの弾って真上に向かって撃ったのよね。
だから、撃った後も真下に落ちてきたのよ」
さっきわたしが拾ったペットボトルのキャップは、あの日の前日にエリスの家でもらったキャップだった。
天然水のラベルがついたもの。
「えっ?
そんなことあります?」
「真っ直ぐ上に撃ったもの。
真っ直ぐ落ちるわよ」
Vx=V0 cos90° , Vy=V0 sin90° , X=V0 t cos90° , Y=-1/2 gt^2 + V0 t sin90° + Y0
真っ直ぐ投げられた物体は真っ直ぐ落ちてくる。
とはいえ、普通は信じられないだろう。
あの日からもう二十日も経っている。
ペットボトルのキャップみたいな小さいものがその場に留まっていることはまずない。
「よく拾えましたね」
「そうね。
この世界って何故か風が吹かないから、もとの位置にある可能性は高かったわね」
そもそもキャップが拾えなかったら、あんなに迂闊にナイアーラトテップに近寄ることはなかった。
偶然拾えたから、居場所を聞き出す余裕が生まれれたのだ。
「さて、お主ら。用が済んだら、こっちの続きじゃぞ」
コトがわたし達に告げる。
「続き?」
「ホーキーベカコンを探しておったろう?」
「ああ、そうだったわね」
完全に頭から離れていた。そういえばウグイスを探すためにこの森に来たんだった。
「もう疲れたから、明日にしない?」
コーデリアが提案する。
「駄目じゃ、ホーキーベカコンが逃げたらどうするんじゃ?」
コトも一曲演奏していたのだけれど、疲れた様子はない。
「この森に住んでいるウグイスがわざわざ逃げることあります?」
エリスがわたしに訊いた。
そしてわたしに不安がよぎった。
「もしかして、さっきナイアーラトテップとどんぱちしていたせいで、ホーキーベカコンが逃げちゃってない?」
「………………」
わたし達は耳を澄ませる。
ナイアーラトテップが来る前までは、あんなに聞こえていた鳥の声が一切聞こえなかった。
ホーキーベカコンだけじゃなく、ヒバリやカッコウのような声もしていたのに。
「………………」
「………………」
わたし達四人の間に気まずい沈黙が流れる。
コトはぷるぷると震え出した。
「に、」
「に?」
「逃げ出しているではないか!」
コトの怒声が森の沈黙を切り裂く。
「まぁ、あれだけ派手に環境破壊されると逃げるわよね」
ナイアーラトテップのせいで、唐突に霧が出てきて、妙な香りがしてきたのだ。
鳥だって驚いて逃げるだろう。
わたしがピートガンを撃ちまくって、 ぴっずぅううぅん ぴっずぅううぅんっと激しい音を立てたのも原因かもしれない。
「あやつめ、なんてことをしてくれるのじゃ!」
「まぁ、仕方ないわね。また他の所に探しに行きましょうか」
「……ジュリエットじゃな?」
「ん?」
「こうなったのもそのジュリエットとかいう女のせいじゃろ!
あやつに探させるぞ!!」
「ジュリエットに? ホーキーベカコンを?」
「住所は聞いたんじゃろ?
なら行くぞ!
責任をとってホーキーベカコンを捕まえてきてもらうのじゃ!!」
すごいことを言い出したな。
まぁ、わたしとしてもジュリエットのもとに行くつもりではあったし、コトが乗り気ならそれに越したことはないけれど。
「ホーキーベカコンを捕まえて来いって言って、捕まえてきてくれるかな?」
わたしは疑問を口にする。
無理だろうなぁ。
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