第20話 リア王~コーデリア~
わたしとエリスとコーデリアの三人は浜辺でビーチボールをして遊んでいた。
二十分ばかり遊んだところで休憩することにした。
海の家で買っておいたペットボトルのジュースを飲む。
冷えた清涼飲料水が喉をうるおす。
気持ち良い。
「どう? コーデリア。楽しいかしら?」
わたしはお茶を飲んでいるコーデリアに話しかける。
「ええ、楽しいわ。
こんなに気兼ねなく遊ぶことが出来るなんて、思ってもみなかったわ」
コーデリアの表情は和やかだった。
一緒に海に来て良かったな。
コーデリアはもっと頑なに暗い表情をしているかと思ったけれど、海で充分な笑顔を見ることができた。
これならコーデリアの人生に対する絶望感を取り除くことも簡単かもしれない。
そんなことを考えながら海を眺めていた時、視界の端に奇妙なものが映った。
「何、あれ?」
黒い船がこちらに向かって来ている。
それだけ聞くとよくある海の景色だ。
ところがあの黒い船は水面を泳いでしない。
宙に浮いている。
海を航行しているのではなく空を滑空している。
大きな帆を張ったガレー船。
だんだんとこちらに近づいてきている。
いや、微妙にずれているか。
この進路だとわたし達のいる場所から百メートル向こうに上陸するだろう。
「なんでしょうか、あれ?」
「空飛ぶ船なんてあるのね」
エリスとコーデリアも船の存在に気付いた。
「いや、あの形状の船は空を飛ばないわ」
空飛ぶ船は気球のような形か、飛行機の形か、ロケットみたいな形か。
色々考えられるけれど、科学的な見地では、帆船が空を飛ぶことは無い。
明らかに異常だ。
コーデリアの時代は空を飛ぶ乗り物があるなんて想像も出来ないだろうな。
エリスの時代に気球があったくらいか。
しかし黒い船からは、ただならぬ雰囲気を感じる。
初めて見たのに良くないものだというのは肌が教えてくれる。
「行ってみるわね」
真っ先に動き出したのはコーデリアだった。
側に置いておいたストームステルを握って駆けだした。
エリスも慌ててコーデリアを追いかける。
わたしはショルダーバッグを手にした。
ピートガンをすぐ出せる状態で、コーデリアを追いかけた。
わたし達が遊んでいた砂浜からは見えない角度にあった場所。
船が到着しそうな位置にはとんでもない光景が広がっていた。
「え?」
「うわっ?」
「何?」
わたし達三人は余りの光景に驚愕してしまった。
砂浜には二十人ほどの人が座っていた。
その誰もが裸だった。
そして縄で腕を縛られて目隠しをされている。
よく見ると縛られた人達は子供が多い。
皆、十二、三歳だろうか。
そんな幼い子供達が裸で縛られて砂浜に放置されている。
明らかに異常事態だった。
「一体、何が?」
「助けなきゃ!」
わたしは疑問を口にしたが、コーデリアは真っ先に動き出した。
しかしそんなわたし達の前に突如、女性が現れた。
「あらあら。
人払いをしたはずなのに、なんでこんなところに人がいるのかしら?」
目の前の女性は冷たい声で疑問を口にした。冷ややかで肌に刺さるような口調。
それだけでなく全身から冷気を感じさせるような佇まい。
年は二十後半。
青い瞳に金色の髪。
エリスと似たような色だけど雰囲気は全く違う。
ヨーロッパ人ではありそうだが、やたらと派手な顔形だ。
そして何より大胆な露出の黒ビキニ。
そんなもの水着と言えるのだろうかと疑問に思える布面積の小ささだった。
「申し訳ございません、ジュリエット様」
女性はジュリエットと呼ばれた。
そのジュリエットの傍らにぼうっと黒い影が現れた。
はっきりと人の形をしているわけではない。
ぼんやりとした黒い影がジュリエットに話しかけている。
「一体どういうことよ、ナイアーラトテップ」
黒い影の男はナイアーラトテップと呼ばれた。
その名前だけでわたしにはぴんと来た。
クトゥルフの神だ。
これはまずい。
「はっ。
この辺り一帯から人々を追い払い、ショゴスを配置して警備をしていました。
でしたがショゴスが一匹倒されていました」
ナイアーラトテップは澄んだ声で話す。
クトゥルフの怪物にしては珍しく聞き取りやすい言葉だ。
ジュリエットに合わせて丁寧に喋っているのだろう。
「あら。
あなたたち、ショゴスを倒してまで入ってきたの?
悪い娘ね」
ジュリエットはわたし達に話しかけるような、独り言のようなどうでも良いような感じで喋っていた。
「この者達をどうしますか、ジュリエット様。
処分しましょうか?」
ナイアーラトテップはジュリエットに言った。
わたしは身構える。
処分って言ったか?
わたし達を殺す気か?
「いいえ、処分の必要は無いわ。
見たところ可愛い娘たちだし、後で一緒に遊びたいの。
縛っておいて」
「かしこまりました」
ナイアーラトテップは一礼すると、わたし達の方に手を伸ばした。
突如、わたし達の手足が黒いもので縛られる。
これはゴムなのか?
タコの触手のような弾力のある紐。
わたし達三人はバランスを崩してその場に倒れてしまう。
「うっ!」
身体を地面に打ち付けて悲鳴が出る。
下が砂地で良かった。岩肌やコンクリだったら出血を免れない。
「何をしに来たか知らないけれど、今から宴の時間よ。
あなたたちも今から起こる大饗宴をそこで眺めていなさい」
ジュリエットはわたし達を見下しながら言った。
「宴って何よ?」
わたしはジュリエットに訊いた。
するとジュリエットは楽しそうに解説を始めた。
「あそこに二十人の子供達がいるでしょう?
皆見た目の良い可愛い子供ばかりよ。
世界の至る所から集めさせたの」
「集めさせた?」
自分で集めたのではなく、誰かに集めさせたということか?
ジュリエットはわたしの言葉を意に介さずに話を続ける。
「あの子たちはね、今からあたしを悦ばせる悲鳴を上げるのよ。
ほら、船が到着したわ。
あの船にはね、ムーンビーストが乗っているの」
「ムーンビーストだって?」
エリスとコーデリアは知らない顔をしていたが、わたしには心当たりがあった。
ムーンビーストはクトゥルフ神話に登場する怪物だ。
月に棲む怪物。
黒いガレー船に乗って月から地球にやってきて貿易をする。
ナイアーラトテップを崇拝している。
性格は残虐な快楽主義者で、人間を惨殺するのを楽しむという。
「ムーンビーストはね、華々しく人間を殺すのが得意なのよ。
ナイアーラトテップにそのことを教えてもらったから興味が湧いてね。
犠牲になる子供を集めたわけ。
さぁ、宴が始まるわ」
黒いガレー船が浜辺に停泊した。
船からは鼻を剣で刺すような悪臭がしてくる。
そんな船の中からムーンビーストが出てくる。
灰褐色でぬるぬると脂ぎった肌。
大きさは人間とさほど変わらないが、まるで目の無いヒキガエルのような身体。
手には長い槍。
潰れた鼻からはピンク色の触手が生えている。
そんなムーンビーストが十匹、船の中からごよごよと出てくる。
あの怪物は知っている。
実物を見たのは初めてだけど。
クトゥルフの本で読んだことがある。
『未知なるカダスを夢に求めて』に出てきた。
そのときから恐ろしい生物だと思っていたが。
「だ、だめ!」
コーデリアが泣きながら声をあげる。
しかしそんな嘆きに取り合うジュリエットではいない。
ムーンビーストが縛られた子供達を長い槍で突いて回る。
子供達の悲鳴が聞こえる。何回も何回も人を変え部位を変え、とっかえひっかえ鋭い槍で突き刺していく。
子供達は抗うことも出来ずに泣き叫ぶ。
もう声を出せなくなった子もいる。
それでもムーンビーストは突き刺し続ける。
「ああ、素敵ね」
ジュリエットはそんな血みどろの光景を見ながらうっとりしていた。
ナイアーラトテップの身体に絡みついてキスをしている。
舌を絡めて唾液をこぼしている。
こんな残虐な情景を作り出して昂奮していた。
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