第21話 リア王~コーデリア~

ムーンビーストによって子供たちが惨殺されている。

その様子を見ながらジュリエットは満足げに快楽を貪っていた。

こんな残虐思想の快楽主義。

そしてジュリエットという名前。

わたしにはこいつの正体に心当たりがあった。


「悪徳の栄えジュリエット。いえ、ロルサンジュ夫人と読んだ方が良いかしら?」


わたしは縛られて砂浜に転がったままジュリエットを睨みつけた。


「あら、あたしのことを知っているのね」

「まあね」


知っていても嬉しくはないのだが。


「呼び方はジュリエットで良いわ。

 生まれ変わってしまったからロルサンジュの姓には何の権力もないもの」


ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え。

マルキ・ド・サドの代表作。

読んだことがある。

内容は覚えている。

滅茶苦茶に気持ち悪かったやつだ。

しかし読書内容の振り返りはまた後だ。


ジュリエットはわたしの方を無視してナイアーラトテップと絡んでいた。

舌まで絡ませている。

血みどろの子供達がおかずなのだろう。

なんて嗜好だ。


わたしは縛られた手を擦り動かして、どうにかバッグの中のピートガンを掴んだ。

出力を最低まで落として自分の足を縛っている紐に向けて撃つ。


「んっ!」


足を縛っていた紐は焼き切れた。

わたしの足にも多少の痛みが走ったけれど、致命的ではない。

骨が折れたわけでもないし、出血もない。

これなら問題ない。

続けてわたしはピートガンを口で咥えた。

自分の手を縛っている紐に向けて発射する。

こちらの拘束もなんとか解けた。

こうしてわたしは何とか立ち上がった。


「あら、起き上がっちゃったの? 

 そのまま這いつくばって見ていれば良かったのに」


ジュリエットは起き上がったわたしに呆れて言った。


「あんたの趣味に付き合えるほど酔狂じゃないわ。

 さっさとムーンビーストを撤退させて、あんたも消えなさい」


わたしはジュリエットに向けて銃口を向けた。

今更ムーンビーストを撤退させたところで手遅れではある。

子供達はとっくに全員死んでいる。

だからと言って野放しにはできない。

こんな惨状を嬉々として開催しているこいつは放置できない。


わたしはジュリエットの返事を待たずに撃ち抜こうとした。

ジュリエットの顔面に狙いを定める。

瞬間、ナイアーラトテップがわたしの眼前に迫った。

わたしに向けて手をかざす。

そこから謎の黒い物体が放出された。

ビーチボールくらいの黒い球体。

正体は分からないが身体に良いもののはずがない。

わたしは身を捻って避ける。

黒い球体がわたしの背後にあった岩に命中する。

岩は黒く渦巻いて消えていった。


「何よ、あれ!?」


この世の物理法則を完全に無視した挙動だった。


「ナイアーラトテップ、やめなさい」

「はっ」


ジュリエットの命令に、ナイアーラトテップはその場に片膝をついた。


「宴も終わったわ。今日はここまでにしましょう」


浜辺を見る。

子供達の血肉が絨毯のように広がっていた。

ムーンビーストは満足したようで、船の方にぞろぞろと戻って行った。


「酷いことをしてくれるものね」


わたしはジュリエットを睨みつけて言った。


「別にあなた達に危害は加えてないじゃないの。

 それとも死んだ子供達に知り合いでもいたの?」

「知り合いかどうかも分からなかったわよ」


顔を隠されたまま殺されていったし。


「なら、自然に楽しめば良いじゃない。

 ムーンビーストに惨殺される子供達なんてめったに見れるものじゃないわよ」

「別に見たくないわよ。

 珍しければ何でも見たいわけじゃないでしょ」

「ふぅん。

 まぁ、いいわ。

 今日のところはお暇するわ。

 あなたたちの顔は気に入ったから、また誘うわね」

「顔が気に入ったって?」


さもナンパのようなことを言う。


「薔薇は薔薇である以上、自分の美しさの代償を支払う義務があるわ。

 さあ、帰りましょう、ナイアーラトテップ」

「かしこまりました」


ジュリエットはナイアーラトテップに抱きついた。


「まっ、待って!」


コーデリアが叫んだ。

手足は縛られて砂浜に倒れた状態でもがいている。

惨殺される子供達を見ていたせいで顔は泣き腫らしている。

それでも必死にジュリエットに呼びかける。


「あら、何かしら? 

 あたしに言いたいことがあるの?」

「なんで、なんで、こんなことを?」


ジュリエットは泣きしゃがれた声でなんとか声を絞りだす。


「なんでって、簡単なことよ。幸福だからよ」

「幸福?」


思わずわたしが疑問を挟んだ。


「可哀想なことに、あなた達は悪徳の幸福が分からない側の人間なのね。

 まぁ、いいわ。

 あなた達は顔が良いから大切に遊んであげるわ。

 そう、その泣き顔は素敵だわ。

 また会いましょう、小娘ちゃん達」


ナイアーラトテップとジュリエットは黒い球体に包まれた。

次の瞬間には二人の姿は消えていた。

後に残ったのは子供達の死体と血肉の臭いだけだった。


わたしはその場に脱力して座り込んだ。

まずい。非常にまずい。

よりにもよって悪徳の栄えジュリエットに目を付けられるだなんて。

それにナイアーラトテップを従えているなんて。

さっきまでビーチバレーで楽しく遊んでいた記憶なんて吹っ飛んでしまった。

降りかかってきた災いとこれから訪れるであろう恐怖を想像すると悪寒が走る。


「サイリさん、サイリさん」


わたしは頭の中でぐるぐるとあれやこれや考えていた。

しかしエリスに呼ばれた声で我に返る。


「あっ、何、エリス?」

「とりあえず、あたしたちを縛っている紐を外してもらえますか?」


そうだった。

エリスとコーデリアはまだ縛られて砂浜に転がっていたんだった。


「ごめんごめん。今、外すね」


わたしはピートガンを使って二人の拘束を外す。


「ありがとうございます」


泣きじゃくっているコーデリアと違って、エリスは平気な顔をしていた。


「エリスは怖くなかったの?」


わたしはエリスに訊いた。


「いえ、ショックはショックだったんですけれど、コーデリアさんの泣き顔を見ていたら、あたしは落ち着かないといけないなって思っちゃって」

「そうね。正解だわ」


コーデリアはまだ泣きじゃくっている。

これだけの惨状を目の当たりにしたら当然だろう。

冷静になっているエリスのメンタルが異様に強いだけだ。


「コーデリア、立てる?」


わたしは砂浜に泣き伏しているコーデリアに手を差し伸べる。


「…………なんで、…………どうして、こんな酷いことが?…………」


その疑問はもっともだった。

わたしだって疑問に思う。

あんな人間が存在する理由は気になる。

でもいるんだから仕方がない。

そこに疑問を挟んでも、そんな疑問が解決されることは無い。


「帰ろう、コーデリア」


わたしとエリスは泣きじゃくるコーデリアを支えて歩き出す。

ゆっくりと時間をかけて海の家まで戻ってくることができた。

水着から着替えて車に着いた頃にようやくコーデリアは泣き止んで落ち着きだした。ジェバンニ号の自動運転を開始して家に戻る。


「一体、何が、どうして、あんなことに?」


コーデリアは疑問を口にした。


「サイリさんはあの女の人を知っているんですか?」


エリスがわたしに訊いてきた。


「ええ。本で読んだことがあるわ。

 悪徳の栄えジュリエット。

 悪徳による幸福を極めた女よ」


わたしの頭は恐怖で押しつぶされそうだった。

あの、悪徳の栄えジュリエットの生まれ変わりか。

まずい。

非常にまずい。

人としての格が違う。

むしろあんなの人じゃない。

あんなものに目を付けられるなんて、どんな仕打ちを被るか想像もできない。

想像したくない。

それにナイアーラトテップを従えている。

ナイアーラトテップはクトゥルフ神話の中でもかなり上位の存在だ。

もはや人間にどうにかできるような相手ではない。

わたし達は不安でいっぱいだった。

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