第22話 春琴抄~コト~
『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』とは、マルキ・ド・サドによって書かれ、十八世紀に出版された小説である。
この作品が日本で知名度がある訳ではない。
ただし文化的な影響は大きい。
作者のマルキ・ド・サドの影響である。
サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。
そしてサディズムの語源となった。
サディズムとは「サドのような精神的に苦痛を与えたりすることによって性的快感を味わう」という意味で作られた言葉だ。
そう、サディズムの根源がこのマルキ・ド・サドであり、代表作の悪徳の栄えでジュリエットがそのサディズムを体現している。
修道院で敬虔な女性として育てられた主人公のジュリエットは、十三歳のときに指導係の女から、道徳や宗教やらの善の概念は無意味だと教えられる。
そして肉体的な快楽を求めることがいかに幸福に繋がるかを説く。
以来ジュリエットは悪徳と繁栄の生涯を歩むこととなる。
修道院の先輩と放蕩三昧。
修道院を脱走した女の子を拷問。
身体を売って金を稼ぐ。
怪盗に教えを請う。
窃盗の罪を無実の女になすりつける。
大臣や議長に気に入られる。
そして全ての罪を無罪にする契約を交わす。
犯した罪の重さによって報酬がもらえるようになる。
火あぶり、毒殺、銃殺。
ジュリエットは様々な悪徳を楽しんでいくことになる。
金と権力のためにロルサンジュ伯爵と結婚した。
そして二年ほど貞淑なふりをした後、伯爵を毒殺。
遺産を手に入れて、ヨーロッパを旅することになる。
もういいわ。
気分が悪くなってきた。
わたしは読んでいた『悪徳の栄え』を本棚に戻した。
まだ五分の一しか読んでいないけれど、これ以上はメンタルが保てない。
胃の中を吐いてしまいそうだ。
ジュリエットの酷宴を見た翌日。
わたしの本棚タイジノユメには『悪徳の栄え』が追加されていた。
読むまでもなく、なんとなく話の大筋は覚えていた。
おそらく前世で読んだことがあるのだろうが、一体どういう経緯でこんなものを読むことになったのだろうか。
前世のわたしは一体どういう読書をしていたのだろうか?
SMの研究でもしていたのか?
推定女子高生が?
わたしはエリスとコーデリアを自分の部屋に呼んでいた。
そして『悪徳の栄え』の内容とジュリエットの人となりをざっと説明した。
二人とも苦虫を嚙みつぶしたような険しい顔をしていた。
「というわけで、わたし達はこんなとんでもない奴に目を付けられてしまったわ。
このままだとどんな残虐な殺され方をするか分かったものじゃないわ」
とんだ災厄に会ったものだ。
エリスは以前、ここ一ヶ月でこの町に妙な怪物が出るようになったと言っていた。
それはジュリエットがクトゥルフの怪物を引き連れて暴れまわるようになったからだろう。
友達も連れ去られたとも言っていた。
その後、ジュリエットの悪徳の犠牲になったに違いない。
「なんとか身を守る術はないですかね?
あたしのダンスで追い払うとか」
エリスが提案した。
多分、無理だとは思うが。
「この世界で分からないことがあったら、こいつに訊いてみましょ」
わたしはスマホを取り出した。
「ねぇ、ギンノイト」
「質問をどうぞ」
「エリスの踊りでジュリエットやナイアーラトテップを追い払えるかしら?」
「ジュリエットを追い払うのは不可能です。
エリスの退魔の踊りは魔物を追い払うもので人間を拒絶することはできません」
「そういうものなのね。ナイアーラトテップは?」
「退魔の踊りはナイアーラトテップに多少の苦痛を与えることはできますが、完全に追い払うことは不可能です。
ナイアーラトテップの神性が高いため、抵抗力が強いのです」
やっぱり強すぎる相手には効かないのね。
辛い。
そしてそんなナイアーラトテップを従えているジュリエットはどんな力を持っているのやら。
「私が正面から戦ってジュリエットに勝つことはできないかしら?」
コーデリアがギンノイトに話しかける。
「おそらく不可能です。
コーデリアがジュリエットに勝つ確率は著しく低いです」
ギンノイトがどういう計算をして、そのような結論を出したのか分からないけれど、わたし達の楽観的希望よりははるかに正確だろう。
コーデリアは目に見えて落ち込んでいた。
コーデリアも騎士として戦争に出兵したくらいだ。
それなりに鍛えてはいたのだろう。
ストームステルという強い剣も持っている。
しかし、それでも相手にならないということはジュリエットは一体どれほど強いのか。
「ねぇ、ギンノイト。
この世界って警察はいないの?
暴徒鎮圧用の軍隊でも良いけど」
そういえば、この世界では警察を見ていない。
あんな大犯罪者がいるなら、捕まえてくれないと困る。
「治安維持は全て警備ロボットが行っています。
ジュリエットを捕まえるため何回も作戦が決行されていますが、全て失敗しています」
「捕まえようとはしていたのね」
捕まえようとしていたけれど、ジュリエットに返り討ちにされたということか。
ナイアーラトテップを従えている時点で対人間用の警備ロボットでは太刀打ちできないのだろう。
ちなみにジュリエットは『悪徳の栄え』の作中では、大臣や議員に気に入られて、全ての犯罪を放免されるようになっている。
あの女は前世から無敵なのだ。
わたし達三人の絶望感で部屋が息苦しくなる。
一体どうしたものか。
「ねぇ、ギンノイト。
この世界にジュリエットより強い人はいないの?
ジュリエットやナイアーラトテップに勝てるような人はいる?」
わたしは望みは薄いだろうと思って期待せず質問した。
「四季咲サイリです」
ギンノイトは予想外の答えを提示した。
「えっ、わたし?」
「四季咲サイリならジュリエットを鎮圧することは容易です」
可能か不可能でははくて容易なのか。
「わたしがジュリエットを鎮圧できるって、どうやって?」
ギンノイトの解答は信じられない。
こちとら一般的な女の子だぞ。
「ピートガンで任意の物体をデリートすることができます。
四季咲サイリは、この世界を意のままに操れるようになっています」
「意のままに操れる?」
そんなことあるか?
わたしは一体何者なんだ?
「サイリさん、すごいですね!」
エリスの表情は和らいでいた。
希望を見出している。
しかしわたしは腑に落ちていない。
「ねぇ、ギンノイト。
わたしは前世で何をしていたの?」
「すみません。
よく分かりません」
この質問は何回もした。
やっぱり何度訊いても同じ答えが返ってくる。
むなしいな。
生き残るための知識に届きそうで届かない。
なんでわたしは記憶喪失なんだ?
この世界に来てここまでもどかしいのは初めてだ。
駄目だ。
わたし自身が当てにならない。
こうなったら別の方向から戦力補充を考えないと。
「ねぇ、ギンノイト。
この世界にジュリエットを倒せる人はわたし以外にいるかしら?」
「検索した結果、現在この世界の一人が該当しました」
一人だけなのか。
いや、一人でもいてくれて良かった。
「いるのね。誰?」
「鵙屋コトです」
「…………鵙屋コトって、春琴抄の?」
「はい。
春琴抄の鵙屋コトです」
「はわぁ!!!!」
予想外なことに知っている名前が出てきて、つい大声で反応してしまった。
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