第12話 リア王~コーデリア~
「本棚に本があるわね?」
ここは、わたしがこの世界で目覚めた部屋。
前世から生まれ変わってこの世界にきたとき、与えられる家がある。
この部屋に本棚があったわけだが、最初見たときは本棚の中に本は一冊もなかった。
あれから十日経った。
気付いたら本棚に本が追加されていた。
わたしが買ってきて置いたわけではない。
いつの間にか置いてあったのだ。
「なんでだ?」
本棚には六冊の本。
森鷗外の『舞姫』。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。
ラブクラフトの『クトゥルフの呼び声』『未知なるカダスを夢に求めて』『狂気の山脈にて』。
プルーストの『失われた時を求めて』。
クトゥルフが多いな。
全部、わたしがこの世界に来てから話題にした本だ。
わたしが話題に出した本が、勝手に本棚に追加されているってこと?
本棚はその人の趣味が現れる。
初対面の人でもその人の本棚を見れば、どんなことに興味を持って、どんなジャンルの話ができるかが分かる。
だから本棚は大事だ。
しかし、自分の意図しないところで本が揃えられていては、わたしの人となりとは関係がない。
「ねぇ、ギンノイト?」
わたしはスマホに呼びかけた。
この世界で困ったことがあったら、大抵この子が教えてくれる。
便利AI。
バーチャルアシスタント。
「ご用件はなんでしょうか?」
「この本棚にわたしが知らない本が追加されているのはなぜ?」
わたしが頭をひねっても出せない答えを、ギンノイトはすらすらと答えてくれる。
「この本棚はタイジノユメという名前です」
「胎児の夢?」
おっと。
不思議な話が出てきたか?
「夢野久作の『ドグラ・マグラ』に登場する論文です。
胎児は胎内で育つ十月の間に、地球が誕生してから今までの進化の歴史を夢に見るという話です」
「『ドグラ・マグラ』ね」
ドグラ・マグラ。
一九三五年に刊行された夢野久作の代表作。
日本探偵小説三大奇書に数えられている。
記憶喪失中の若き精神病患者が、博士の話や資料をもとに謎に包まれた過去の事件の真犯人や動機、そして自分の記憶などを探っていく話だ。
そういえばあれは記憶喪失が主人公の話か。
わたしも記憶喪失だし、通じるところはあるのか。
通じたところで嬉しくはないけれど。
「この本棚は胎児の夢を模した本棚です。
四季咲サイリが必要そうな本が随時追加されます」
「必要そうな?」
そのとき、タイジノユメにすっと一冊の本が追加された。
どこからともなく本棚に並べられる。
夢野久作『ドグラ・マグラ』。
「この本棚タイジノユメは自動的に本を追加します。
追加される本は四季咲サイリがこの世界で何らかの手掛かりを得て、詳細が必要だと判断されたものです」
何らかの手掛かりを得た本か。
つまり、エリスが舞姫のヒロインだと気付いたから、森鴎外の『舞姫』が本棚に追加された。
ギンノイトが『蜘蛛の糸』由来の名前だと教えてもらったから、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が追加された。
この町にやってくる怪物がクトゥルフだと教えてもらったから『クトゥルフの呼び声』『未知なるカダスを夢に求めて』が追加された。
そして今、『ドグラ・マグラ』の話をしたから、『ドグラ・マグラ』が追加された。必要そうな本が自動で追加される。
そういう本棚なんだろう。
不思議な仕組みの本棚だ。
高性能ではあるか?
「わたしが本をリクエストしたら、その本が自動で追加されるの?」
「そのようなサービスを実施する機能は未実装です。今後実装される予定はありません」
「じゃあ、追加される本はわたしが選べないの? わたしが必要かどうか、本棚側が選ぶってこと?」
「そういうことです」
高性能なんだけど融通の利かない本棚だな。
不思議な本棚。
タイジノユメ。
こんな感じで、この世界で困ったことがあったら、大抵ギンノイトが教えてくれる。ギンノイトはわたしの名前や年齢を知っていた。
ピートガンについても知っていた。
しかし、わたしの前世については全く分からなかった。
「前世はどこに住んでいた?」とか「前世はどうして死んだの?」とか「前世の友達はこの世界にいる?」とか訊いてみるものの「すみません。分かりません」と返答されてしまう。
そんなこんなで、四季咲サイリという人間について知っている人がいないか探す旅に出たいと決意した。
エリスと決意し宣言した日から十日が経過していた。
わたしが最初にしたことは旅に出る前に情報を集めることだった。
旅に出ても実はこの町が一番の手掛かりだったなんてことになるとしんどい。
チルチルとミチルになる前に、手近なところから当たってみたい。
そう思ってこの町にいるエリスの知り合いを尋ねてみた。
「四季咲サイリという人物に心当たりはないですか?」と尋ねて回って二十件。
情報は皆目集まらなかった。
誰も何も知らない。
無理もない。
四季咲サイリを知っているなら日本人が一番可能性が高いと思うけれど、この町に日本人はいなかった。
どうやらこの町はヨーロッパ系の人が多いらしい。
ここはわたしの家。
今日、わたしとエリスは二人で朝食を食べていた。
最近では二人そろってわたしの家で過ごすことが多い。
「やっぱりわたしの情報はなさそうね」
「そうですね。
でもサイリさんはすごいですね」
「え? 何か?」
エリスに急に褒められた。
「サイリさんって記憶がないのに、ずっと明るいなって思って。
すっごく不安なものかと思うんですよ。
でもここ十日の間、ずっとサイリさんは明るい様子です。
曇った表情なんて一つもない。
あたしだったら、教会の前で涙に暮れていますよ」
「ふふっ」
エリスの冗談に吹き出してしまった。
今この処を過ぎんとするとき、鎖とざしたる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女をとめあるを見たり。
舞姫の一節。
太田豊太郎とエリスが初めて出会ったとき、エリスは教会の前で泣いていた。
「サイリさんは記憶がないのに平気なんですか?」
エリスは心配そうな顔でわたしを見つめる。
綺麗な目をしているなぁ。
「大したことは無いのよ。
無いと若干の違和感はあるけれど、今を生きるのに必要不可欠ってわけでもないしね」
「自分が何者か分からないって怖くないです?」
随分詩的な感性だ。
わたしは何者か。
なぜわたしはわたしなのか。
哲学的な問いかもしれない。
「怖くはないわよ。
ちゃんとエリスと喋っている。
わたしは今ここにこうして存在している。
エリスを見て可愛いなぁって思っているわたしは架空の存在ではないからね」
われ思うゆえにわれあり。
自分の存在証明はできている。
だから自分の存在に不安はない。
わたしはわたしである。
エリスはよく分からないといった顔をしていた。
まぁ、そうだよね。
実際難しい言い回しをして深いようなことを言っているふりをしているだけで大したことは言っていない。
「サイリさんは賢いですね」
それでも雰囲気だけでエリスは褒めてくれた。
「そんなすごいことではないわよ。
わたしはこうしてエリスといるだけで幸せだから。
前世が分からなくても、この幸せに浸っていたいの」
「ふむふむ」
「結局、わたしは今を幸せに生きるのが得意だという話よ。
幸せは前向きに生きて掴むものよ」
「なるほど」
エリスは全部じゃないけれど、少しだけ納得してくれたようだった。
「ただ、ちょっとだけ不安なこともあるの」
「あら?
やっぱり不安もあるんですか?」
そう。
不安があるにはある。
「わたしは前世でも多分男より女の子の方が好きだったはずなのよね」
「はぁ?」
エリスの眼が急にこわばる。
こいつ、何を言っているんだ? とでも言いたげに。
わたしとしては自然な話なんだけど。
エリスの生きた前世の時代では宗教的に同性愛が禁じられていた。
危ないものを見る目つきになっても仕方ない。
「前世に恋人とかいたなら、その人を残して死んで大丈夫だったのかなって。
一緒にいてあげるべき人を置いて死んでないかなっていうところだけ不安かな」
「…………確かに、それは不安ですね」
というわけで。
わたしが前世で何か大切なものを残していないか一抹の不安はある。
この不安を払拭するためにも、前世の記憶は取り戻したい。
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