第2話 舞姫~エリス~
回想始まり。
話は今朝に遡る。
「ホーキーベカコン」という声で目が覚めた。
これは鳥の鳴き声だな。
なんの鳥だっけ?
確かあれは……
百舌鳥じゃなくて。
そう、鶯だ。
ウグイスの音色。
山で聞いたことのある鳥の声。
耳の心地好いラインを滑るように通り抜けていく美しい鳴き声。
わたしはベッドから起き上がる。
枕元にある眼鏡を探す。
すぐに見つかった。
黒縁の眼鏡を耳にかける。
近視でぼやけた視界がクリアになる。
そして気付く。
「ここはどこ?」
どうやらわたしは知らない部屋で寝ていたようだ。
八畳くらいの大きさの部屋。
大きなダブルベットに一人で寝ていたみたいだ。
一体どういうことなんだろう?
部屋の床には薄黒いカーペットが敷いてある。
壁は白い壁紙が張ってある。
部屋の特徴としては大きな窓が一つ。
緑色のカーテンがかけられている。
部屋の隅には鏡台、部屋の中央には丸テーブルと椅子がある。
それからこの部屋には本棚がある。
天井まで届く大きな本棚。
しかし本は一冊も入っていない。
空っぽの本棚だ。
なんだかもったいない。
本棚はその人の趣味が現れる。
初対面の人でもその人の本棚を見れば、どんなことに興味を持って、どんなジャンルの話ができるかが分かる。
物語を読むのかエッセイを読むのか技術書を読むのか図鑑を読むのか。
本棚は大事だ。
それなのにこの部屋の本棚には何もない。
一冊の本も無いなんて。
本を読む習慣がないなら本棚なんて買わないと思う。
でも木製の黒々としたこの本棚は空っぽだ。
本棚に本が無いことは、ただ本が無いこと以上に奇妙に思える。
こんな本棚はわたしの本棚ではない。
そう、この部屋自体もわたしの部屋ではない。
そしてこんな部屋に見覚えはない。
わたしの家ではないし、友達の家でもない。
わたしはなんでこの部屋にいるのだろうか?
身に覚えはない。
記憶をたぐる。
昨日は何をしたっけ?
何があってどうなったら、こんな奇妙な本棚の部屋で寝ていたんだろうか。
「あれれ?」
寝惚けた脳を急ピッチで覚醒させると、違和感に気付いた。
思い出せない。
昨日のことも思い出せないけれど、昨日のことだけじゃない。
一昨日のことも先週のことも先月のことも去年のことも思い出せない。
今以前のことを何も思い出せない。
わたしはどこで産まれてどこで育って、どういう家族がいてどういう友達がいて、どこの家で生活していてどこの学校へ行って、どういう遊びをしてどういう本を読んできたのか。
思い出そうとしても脳の中の混濁に吞まれて、うまく引っ張り出せない。
そんなスープのようにごちゃまぜの脳の中から、唯一拾えたものは自分の名前。
「四季咲サイリ」
声に出して、名前の字面を確認する。
うん、間違いない。言い覚えがある。
口が慣れている。
自分の名前であることは確かなようだ。
おそらく人生で何千回と口にしてきたであろう名前。
何千回と呼ばれてきたであろう名前。
四季を通して咲き続ける才能と理性。
綺麗な意味の通る名前で自分でも気に入っている。
気に入っている記憶がおぼろげにある。
他に分かることはないだろうか。
わたしは鏡台のもとへ行った。
鏡の中の自分の顔をじりっと見つめる。
「うん、可愛い!」
想像以上に可愛い顔をしていた。
自分の顔かどうか判別するよりも先にそんな感想が出た。
眼鏡の奥の黒くて大きなつぶら目。
フィギュアのように整った顔。
柔らかく潤った肌。
寝起きでも崩れた様子はない。
肩口まで延びた髪も跳ねていない。
どこかの地方アイドルをやっていてもおかしくない完成度だ。
いかにもな日本の女子高生。
女子高生?
そうか。
私は女子高生か。
正確な年齢は思い出せないけれど、十代後半のような気がする。
見た目からしてもそれっぽい。
実際にどんな高校に通っているのかは分からないけれど、わたしは女子高生で間違いはなさそう。
だって今気付いたけれど、制服を着ているんだもの。
紺色のセーラー服。
下はプリーツスカート。
学校専用のものだろう。
特徴的なデザインだった。
どこの学校の制服かは思い出せない。
でも調べれば分かりそうだ。
「ネット検索できるかしら?」
そう思って部屋を見回す。
しかし見当たる場所にスマホが無いからネット検索はできそうにない。
それにしても不自然な状況だった。
制服のまま寝ることがあるだろうか?
わたしには寝る前の記憶がない。
記憶を失って気付いたら知らないベッドで寝ていた。
ここから導き出されるストーリーはどんなものだろうかな?
制服姿で出かけているときに何者かに拉致されて、一服盛られて記憶を失ったとか?
「そんな怖いことある?」
二〇三〇年の日本で起きた事件とは思えない。
ん?
かすかにある記憶に脳内の何かがかちっと嵌まった。
そうか。
今は西暦二〇三〇年か。
思考を整理していったら導き出せた。
この部屋にカレンダーは無いけれど、今年は二〇三〇年だった気がする。
ということはわたしの産まれは二〇一〇年代かな?
なんとなくってだけで確証は何も無いのだけれど。
他に何か分かることはないだろうか?
窓のところへ歩き、緑色のカーテンを開ける。
気持ちの良い日差しが部屋に差し込む。
「おや!」
窓からは壮観な景色が広がった。
まずここは二階の高さであることが分かる。
そして、ここから見下ろす庭は芝が広がっている。
パターゴルフができそうだった。
それからこの家の塀と門が見える。
どうやらここは一軒家らしい。
大きめな一軒家。
わたしはその二階にいる。
それからそれから塀の外には木々が生い茂っている。
家の門の先には舗装されていない土道が延びている。
ここはどこの家なんだろう?
周囲に他の家は見当たらない。
こんな光景に見覚えもなかった。
他に分かるものはないだろうか?
ふと部屋の中央にある丸テーブルが気になった。
テーブル自体はごく普通の木製テーブルなんだけど、気になったのはテーブルの上。
そこには拳銃が置いてあった。
拳銃? ピストル?
そう、これは拳銃。
銀色のリボルバー。
ただ、これは普通の拳銃ではない。
既製品ではない。
ハンドメイドの特殊な拳銃だ。
「何か見覚えがあるな?」
定かな記憶は無いけれど、使い方は分かる。
これはわたしが作ったかもしれない。
わたしが設計した拳銃の気がする。
使い方も構造も手入れの仕方も分かる。
それくらい全て把握している。
名前はピートガン。
威力は大したことないけれど、手軽に使える。
なんでわたしは拳銃なんて設計したんだろう?
自分で自分のことが分からない。
ハンドメイドの拳銃を設計する女子高生は何者なんだ?
手軽に使える拳銃が必要になるような殺伐とした場所で生活していたのかな?
わたしは拳銃をスカートのポケットにしまった。
とりあえずの護身用に持っておくことにする。
ただ持っているだけで使えそうにはない。
だって弾がない。
このままではただの空砲がなるだけだ。
どこかで弾を補充しないと。
簡単に補充できるとは思うけど。
わたしはもう一度、鏡台を見た。鏡で自分の顔を確認する。
うん、美少女。
この顔で町に行って女の子をナンパすれば百発百中だろう。
それくらい良い顔だった。
鏡台の上には何も置いていなかった。
化粧道具が欲しかったのに。
わたしは普段、どんな化粧をしていたんだろう。
口紅やファンデーションの名前は思い出せる。
口紅のメーカーといえば、ちふれとかオペラとかマジョリカマジョルカとか。
どんな色かも思い出せる。
そういった知識は思い出せるのに、自分がどれをつけていたかは思い出せない。
「まぁ、いいか」
本当はばっちりメイクを極めてから部屋を出たかったけれど無い袖は振れない。
すっぴんで部屋を出ることにした。
まずはここがどこだか調べないと。
このままでは謎は深まるばかりだった。
これ以上はここにいても解決しない。
部屋から出よう。
何か手掛かりがあるはずだ。
分からないことが多すぎて不安だ。
周囲に誰かいないのかな?
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