四季咲サイリの本棚
司丸らぎ
第1話 オープニング
ホーキーベカコンという心地好いウグイスの音が聞こえていた。
さっきまでは。
日が暮れるまであと一時間といったところ。
わたしは見知らぬ住宅街をうろついていた。
さっきまでは。
「はぁ、はぁ……」
では、今は?
今はというと、走り回っている。
走って逃げている。
謎の鳥から逃げている。
擦りガラスをひっかくような声で鳴く鳥。
その鳥が一羽、わたしを執拗に狙って追いかけてくる。
「なんなのよー!!」
曲がり角を利用して、ぐねぐね進みながら謎の鳥を撒こうとする。
しかし、謎の鳥はしつこくわたしを捕えようとしてくる。
かれこれ二十分は走り続けている。
霜と硝石にまみれた翼。
たてがみの生えた馬のような頭。
およそこの世の生き物とは思えない造形。
どこかで見たことある気もするけれど、こんな生物が存在するはずない。
そんなどでかい頭で空を飛ぶのはおかしい。
そんなかちかちに堅そうな羽で空を飛ぶのはおかしい。
おかしいはず。
おかしいけど今まさに宙を舞い、わたしを追いかけてくる。
ファンタジーな鳥がわたし目掛けて追いかけてくる。
わたしは息を切らしながらも必死で逃げる。
家々を横目にじぐざぐと走り回る。
住宅街を走っているが、周囲には誰もいない。
誰か助けてほしい。
わたしは非力なんだ。
あんな怪獣と闘う術はない。
武器もない。
わたしのポケットには銃はある。
しかし銃といってもおもちゃの銃。
こんな物ではなんの足しにもならない。
「も、もうだめかも……」
体力の限界が近付いている。
まずい。
このままだと、追いつかれる。
追いつかれて捕まるとどうなってしまうんだろう?
あの屈強な足爪で引き裂かれるだろうか?
あのねじれたくちばしでついばまれるだろうか?
いずれにせよ、死ぬ。
「キィーィーイー!!」
謎の鳥は耳を刺すような高音で鳴く、上空からわたしに狙いを定める。
「あっ、しまった!!」
足がもつれた。
舗装された路面に倒れ込む。
痛い。
手足を強打した。
痛い。
擦り傷から出血。
痛いのだけれども、それよりあの鳥に何かされる恐怖の方が強い。
「キィイアー!!」
謎の鳥が気合の入った声を出す。
もうだめか。
これは死ぬ。
間違いなくあの鳥に殺される。
そう思った時だった。
たたっ、たった、たたっ
とリズミカルな足音が聞こえた。
足音の方を見ると、そこには美少女がいた。
え、何?
めっちゃ可愛い美少女が踊っている。
足を高々と上げ、ステップを踏み舞っている。
舞っている少女の周囲には、オーロラのような淡い光が漂っている。
「はっ!」
少女から気合を入れた声がする。その場で大きくスピンをする。
足を高々と上げて美しく舞う。
アスファルトで踊るバレリーナ。
わたしはダンスをする美少女に見惚れていた。
息を呑んで少女を見守る。時間が経つのも忘れていた。
擦りむいた膝の痛みも忘れていた。
恍惚。
気付いたら謎の鳥はどこかに消え去っていた。
しかしわたしは少女に夢中でそんなことを気にもかけられなかった。
ただただ美しい踊りにのめり込んでいた。
わたしにダンスの素養はないけれど、目の前の少女のダンスが一流であることは肌で感じられる。
やがて、踊り終わった少女はわたしに一礼した。
わたしは手が痛くなるほどの拍手をした。
こんな綺麗なダンスを見たのは初めてだった。
「大丈夫ですか?」
少女がわたしに近寄ってくる。
歳は十六、七かな?
白い頭巾をかぶっていて、そこから漏れる髪の色は薄いこがね色。
動きやすそうなラフな服。
青く清らかな瞳。
露がたまりそうなほど長いまつげ。
ヨーロッパ系の顔に見える。
そうか。
少女はダンスをして謎の鳥を追い払ってくれたのか。
魔法的な何かなのか。
原理はよく分からないけれど、少女はわたしを助けてくれたのだ。
わーい!
理解できていないけど、すごい!
「結婚してください!」
「え?」
わたしは美少女の手を取ってプロポーズしてしまった。
目の前の美少女は本当に美少女なのだ。
ミルクのように白い肌が輝いて見える。
こんな美少女、寺門の扉にでもいようものなら、絶え間なく声をかけられてしまう。
「冗談です」
「はぁ?」
美少女は不思議そうな顔をしていた。
そりゃそうか。
ちょっと真面目に話そう。
「助けていただき、ありがとうございます」
「いえいえ。無事でよかったです」
何はともあれ謎の鳥は去ったのだ。
危険はなくなった。
一安心して良いのだろう。
「わたしには何がなにやら分からないことだらけなので、本当に助かりました」
あの鳥もよく分からないし、自分がなぜ襲われているのかも分からない。
ここがどこだかも分からないし、周囲に人がいない理由もよく分からない。
「最近はこの辺りも物騒ですからね。武器も無しに一人で出歩くのは危険ですよ?」
美少女はわたしに丁寧に話しかけてくれる。
「そうなんですか? すみません。全然分かっていなくて」
「あっ、あたしの名前はエリスと言います」
美少女は名前を教えてくれた。
「わたしは、四季咲サイリと言います。多分、日本生まれです」
「多分?」
「ええ、ちょっと記憶が無くて……」
「記憶がない?」
そう。
わたしは昨日までの記憶が無いのだ。
記憶がないまま外に出たら、誰にも会えず、変な鳥に襲われたのである。
嘆かわしや。
「気付いたらこの町にいて、気付いたらあの鳥に襲われていて……」
記憶がないから要領の良い説明ができない。
もどかしい。
「とりあえず、うちに来ます? ゆっくりお話ししませんか?」
「ぜひ!」
なにせ本日初めて人に出会ったのだ。
この町に来てから誰とも会話していない。
人恋しくて仕方がなかった。
それがこんな美少女とお喋りできるなんて、嬉しくて跳びあがりそう。
さっきまで謎の鳥に襲われていた不幸なんて余裕でちゃらにできる僥倖。
こうしてエリスの家に案内された。
「どうぞ、あがってください」
エリスは家にあがることを許可してくれた。
食卓に案内される。
ダイニングの席に着くと、すぐにパンを出してくれた。
「こんなものでよければ、食べますか?」
大きなくるみパン。
「ありがとうございます! 助かります!」
謎の鳥に追われてくたくたなのだ。
ちょっとの栄養でも有難い。
わたしは一目散にパンにがっつく。
あまりの剣幕にエリスはわたしを怯えるように苦笑いしている。
「お水、いります?」
「うん。ください」
エリスはペットボトルを開封して水を注いでくれた。
天然水。
味がなくても美味しい。
身体に活力が満ちていく。
「もうすぐハンバーグも焼き上がるので一緒に食べましょう」
エリスは戸惑いながらも、わたしを歓迎してくれた。
ああ、もう好き。大好き。
わたしはこの美少女にぞっこん惚れ込んでいた。
「こんな素敵な人に助けてもらえるなんてわたしは幸せものです。
この恩は生涯忘れません」
あの謎の鳥に捕まっていたら、生涯が終わっていたかもしれない。
それを思うと一生かけてエリスのために尽くしても良い。
むしろそれがわたしの人生の幸福なのではないだろうか。
「でもなんで、一人で町をうろうろしていたんですか?
この世界に来たばっかりなのですか?」
エリスは不思議な質問をしてくる。
「この世界に来たばっかり……ってどういうことですか?」
まるでここがいつもいる世界とは別世界のような?
「あれ? きちんと説明をうけていないのですか?」
エリスが青い瞳を丸くしてわたしを見つめる。
可愛い。
「説明って何のことですか?」
「ここは元の世界で死んだ人が生まれ変わって来る世界ですよ」
「え?」
「え?」
「えぇ!?!?!?!?!」
自分でもびっくりするくらい叫んでしまった。
そう、これは。
わたしこと四季咲サイリが体験した、本棚の世界の話。
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