第3話 舞姫~エリス~

わたしは記憶を失って謎の部屋で寝ていた。

部屋の開き戸をあけるとそこは廊下だった。

いかにも一般的な日本家屋の廊下。

どうやら大きめの家のようだ。

扉がいくつか並んでいる。

三、四、五。

部屋数は多い。

どうしようかな?

この並びにある部屋を順番に見て回ろうかな?

いや、面倒だな。

一旦、外に出よう。


わたしは廊下の奥に階段を見つけた。

さっき窓から見た様子だと、ここは二階。

一階に向かって階段を降りる。

木目調の真っ直ぐな階段を手すりにつかまって一歩ずつ進んでいく。


うん。

階段の降り方はきちんと覚えている。

記憶喪失とは厄介だ。

何を覚えていて何を忘れているか、把握できたものじゃない。

歩き方とか呼吸の仕方とかの本能的なものは出来るだろうけれど、この先で致命的なものを忘れていたらと思うと不安だ。

海での泳ぎ方とか覚えているかな?


早く記憶の手掛かりを探して不安の無いようにしたい。

そんなことを考えて階段を降り切った。

二階と変わらず一階もごくありふれた日本家屋のようだった。

わたしはすぐに廊下を抜けて玄関にたどり着く。

どうやらすんなり外に出られそうだ。


わたしは玄関に並べられた靴を見る。

合計六足ほど並べられていた。

サイズはまちまちだ。

その中でわたしが履けそうなものを選ぶ。


「これでいいか」


わたしは茶色いローファーを履いてみた。

サイズに問題はなかった。

靴擦れの心配も無さそうだ。

玄関の戸を開けると陽気な日差しが迎えてくれた。

日の高さからするともうすぐ正午になるくらいの時間だと思う。

太陽がわたしの知識にある日本と同じような軌道ならの話だけど。


わたしは周囲をきょろきょろしながら芝生の庭を抜ける。

ああ、散歩するのに良い気候だ。

暑すぎず寒すぎず。

なんで記憶を失っているんだろう?

こんな良好な天気ならなんの気兼ねもせずに歩き回りたかった。


わたしは門をくぐり敷地の外へ向かうことにした。

森の中に延びている土道を進む。

車も通れそうな横幅二メートルくらいの道の中央を大手を振って歩く。

誰かに会いたい。

どこかに人はいないかな?

コミュニケーションがとれる人はいないかな?

ここがどこだか知りたい。

欲を言えばわたしが誰だか教えて欲しい。

木々の隙間から鳥の声が聞こえる。

心地好いウグイスの声。

いっそウグイスに話しかけたら応えてくれないかな?

ここはどこ?

わたしは誰?


そんなことを考えながら道なりに進んでいく。

これが一本道で良かった。

分岐があったら迷子になりかねない。

けれどこんな感じの一本道なら問題ない。

行き詰まってもさっきの家に戻れそうだ。


体感で五分ほど歩いた時だった。

森を抜けて町に出た。

そこはまさしく町だった。

立ち並ぶ民家やショップ。

コンクリートで舗装された車道と歩道。

街というほど大きくはないけれど、しっかりと生活するためのインフラがそろっていそうな町だった。


ここなら誰かに話が聞けるかもしれない。

人を探そう。

ここがどこだか聞こう。

あわよくば、わたしが誰だか教えてもらえるかもしれない。

そう期待して手近なコンビニに入った。

平屋に赤い看板のコンビニエンスストア。

ポプラという店名に見覚えはなかったけれど、店の外観からコンビニに違いない。


「ん?」


わたしはそこで気付いた。

カタカナでポプラと書いてある。

日本語だ。

ということはやっぱりここは日本で良かったのか。

一つ安心材料にはなるかな?


自動ドアをくぐり店内に入ると、雑貨の棚が立ち並ぶ。

薬や化粧品や食品が置いてある。

わたしはそんな商品には構わずレジに向かった。

レジには誰かいるはず。

そう思っていたのに、そこには誰もいなかった。


「そんなぁ」


あるのはセルフレジのみ。

客が自分で会計まで全部済ませるタイプのレジ。

この店はは完全に無人で買い物ができる店のようだった。


「すみませんっ!」


それでも誰かいないかと思い声を張り上げた。

レジに人がいなくても商品の管理や店の防犯役として人がいてもおかしくない。

というか人が全くいない方がおかしい。


「すみません! すみませーーーーん!!!」


いくら呼びかけても、誰かが反応する様子はは無かった。

商品を盗まれたらどうするつもりなんだ?


わたしは諦めてコンビニを出た。

ここじゃないところで人を探そう。

そう思って近くの店に入ってみた。

しかしどこもかしこも無人だった。

本屋も服屋もスーパーも完全無人のセルフレジ。

人っ子一人いやしない。

呼んでも叫んでも反応なし。

こだまも返ってきやしない。


諦めて朝起きた家に戻ろうかな?

そう思ったときだった。


「キィーィーイー!!」


鳥の声がした。

耳を刺すような不快な高音。

なぜかわたしを見つけると、狙いを定めてこちらに向かってきた。


「なっ、なに!? なになになに!?」


わたしは反射的に逃げ出した。

霜と硝石にまみれた翼。

たてがみの生えた馬のような頭。

およそこの世の生き物とは思えない造形。

そんな謎の鳥が襲ってくる。

あの鳥がなんの目的で、わたしに向かってきているかは分からない。

でも、あいつに捕まったら絶対碌な目に合わない。

それだけは分かる。

記憶は無くても全身のアラートが危険を告げている。

やばい。

下手すれば死ぬ。

わたしは全力で逃げる。

わたしはまだ死にたくない。


回想終わり。


「それで、逃げ回るサイリさんをあたしが偶然見つけて、助けたということなんですね」

「そうなのよ」

「大変だったんですね……」


エリスはわたしのこれまでを熱心に聞いてくれた。


「エリスが助けてくれて良かったわ。ハンバーグもくれたし。……もぐもぐ」


舌の上に肉の脂とハンバーグ特有の焦げた甘さとソーズが広がる。


「美味しいですか?」

「最高!」


混乱した頭でもハンバーグが美味しいことは分かった。


「それは良かったです。人に食べてもらうなんて、こっちに来てからは初めてで」

「そう、それ。こっちに来てからっていうのが訊きたいのよ。ここって死んでから来る世界なの?」


死後の世界ね。

住宅街とかコンビニとかありふれた日常に見えるから、天国っぽい感じはしない。

むしろ異世界転生したってこと?


「そうですよ。ここは生まれ変わった人が来る世界です」

「にわかには信じられないわね」

「ま、まぁ。記憶が無いと無理ないかもしれませんね」


エリスは優しい言葉をかけてくれる。


「エリスはどういう経緯で生き返ったの?」


わたしはハンバーグを頬張りながら聞いてみる。

わたしのことについても探りたいけれど、まずはエリスのことについて訊いてみよう。

エリスは丁寧に説明してくれる。


「あたしは、その、前世だとドイツで生まれ育ったんです。

 貧乏でしたし、結婚もうまくいかなかったです」


いきなり重たい話になってきた。


「大変だったのね」

「ええ、まぁ。子供を産みはしましたが、精神を病んでいたこともあって、

 産んだ後、病に伏しました。

 そのまま二十代半ばで死んでしまいました」

「なかなかハードな人生だったのね」


結構短命で辛い前世だったようだ。

聞いたところだけだと良い点が見つからない。

なかなかに悲惨な人生ね。


「それで前世での生は終わったんですけど、こちらの世界に来るにあたって色々教えられました」

「教えられたって、誰に? 神様?」

「脳に直接伝わってくる感じでした。新しい世界で、新しい幸せを掴みなさいって」

「新しい幸せを掴みなさい、か」


エリスの生涯を見て、神様も同情してくれたのかな? 

随分と優しい神様だ。

これだけの美少女だ。

今世の悲劇だけで終わらせるのはもったいないと思ったのかな?



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