第38話 エンディング

「ねぇ、アイリ」

「何かな? サイリちゃん」

「どうしてわたしは元の世界に戻れないの?」

「無理やりこっちに意識を持って来ようとすると、脳への負荷が尋常じゃないのよ」

「なんでそんなことになっているのよ?」

「仕様上仕方なく?」

「早く戻せ!」

「今頑張って、戻す方法を探しているんだってば」


ジュリエットを倒して十日が過ぎた。

記憶を取り戻したわたしはゲームの世界から帰れずにいた。


ここはわたしの部屋。

もといた世界ではなく、ゲームの中のわたしの家。

窓の外からホーキーベカコンという声が聞こえる。


「そもそも帰る方法の分からないゲームの中に妹を閉じ込めるバカな姉が許されると思う? 

 何らかの処罰を与えるべきじゃない?」

「サイリが戻ってきたらジュースの一杯ぐらいおごってあげるわよ」

「そのくらいで許されると思うな!!」


わたしはスマホに向かって叫んだ。

スマホに映っているアイリの顔は苦笑いをしていた。

記憶を取り戻したわたしは、ギンノイトを使ってこのゲームの仕様を丹念に調べ上げた。

すると現実の世界と通信する手段を見つけた。

通信を試みたところ、一瞬でアイリにつながった。

アイリはわたしの様子を常に監視していたらしい。

「記憶を取り戻すのが遅いわよ」なんて言ってくれたが、そもそも記憶が飛ぶようなことをしでかしたのはお前だ。


「いや、でも連絡が取れて良かったわよ。

こちらから連絡してもギンノイトの初期状態では外部通信できなくなっていて全然気づいてくれないんだもの」

「その初期設定をしたのはお前だよ!!」


妹を危険なゲームの中に放り込みやがって。こいつ、実験のために人命を軽視するマッドサイエンティストだったのか。


「いやぁ、実際にプレイしてみないと気付かない不便さっていっぱいあるよね。

 テストプレイの重要性が身に染みるわ」

「そのテストプレイのために妹が危険な目にあっていたんだけど!?」


こっちの世界でナイアーラトテップやジュリエットに殺されそうになっていたんだが。


「なかなか危なかったわね」

「こっちの世界で死んだら、そっちの世界のわたしはどうなるの?」

「初期設定だと痛みは等倍でフィードバックされるから、痛いのは痛いわよ。

 ジュリエットの鞭は痛かったでしょ?」

「ええ。死ぬかと思うくらい痛かったわ」

「鞭くらいで良かったわよ。ギロチンで首ちょんぱされたら、その痛みがフィードバックされるからね。痛すぎてショック死もありえたわ」

「よくそんなゲームに妹を突っ込んだわね!?」


本当に死んだらどうするつもりだったんだよ!?


「こっちの世界でカグヤちゃんにも言われたわ。

 『サイリをよくそんなゲームに突っ込んだわね』って」

「そりゃ言われるよ」

「サイリの彼女は恐いわね。

 わたしはカグヤちゃんにしこたま殴られたわ」

「そりゃ殴られるわよ」


もうカグヤに何ヶ月も会っていないな。

そろそろ会いたいよ。


「でも、ゲーム内のサイリの様子を見せたら、サイリに怒っていたわよ」

「わたしに?」

「付き合っている彼女を差し置いて、女の子ととっかえひっかえ仲良くしていたから」

「あっ…………」


そういえばそうだったな。

記憶が無くなっている間にも不安に思っていた。

前世に残した人がいたらどうしよう、とは考えていた。

本当に彼女がいたんだ。


「サイリと通信させてあげようかと思ったけど『そんなことより、一刻も早くサイリを元に戻せ』って言われちゃって」

「…………今度、機嫌の良さそうなときに通話させて」

「うん、分かった」


カグヤの機嫌を回復するのはちょっと難しいかもしれない。


「それにしても、ひどい目にあったわ。

 なんであのジュリエットはあんなに強いのよ?」

「わたしの知る限り一番性格の悪い女だったから、ゲームのラスボスに設定しておいたの。

 それがAIの力でわたしの想定以上に強くなっていたわね」

「本気で死ぬかと思ったんだぞ!」


AIで敵も強くなるのか。

ゲームバランス大丈夫なのか?

ピートガンが何でも消せる最強武器だったから何とかなったけども。


「わたしも焦っていたわよ。

 ジュリエットの前で無防備にたらたら会話しだすから」

「た、確かにそれはわたしの失策だけれども!!」


あのときのわたしの戦いもしっかり見ていたのかよ。

アイリのやつめ。

何もできなかったかもしれないが、見ていたのなら何とかしろ。


「あのときの話で気になったことがあってね」

「あの時の話?」

「結局、ジュリエットってどうやったら幸せになれたと思う?」


予想外の角度からの質問だった。

わたしがジュリエットを消す前にされた質問。


「アイリも『悪徳の栄え』を読んだから分かるでしょ? 

 あの女に救いはないわよ」


悪徳を極め、自らの快楽のために生涯で直接間接含めて数万人を殺してきたジュリエット。

あんな存在をのさばらせておいたら人間社会は成り立たない。

一応マルキ・ド・サドの創作したフィクションだから実際にいるわけではないのだけれど。


「ジュリエットは代表例として、一般的な快楽主義を否定するのにサイリはどういう言葉を尽くすのかしら?」

「急に真面目に語りだすなよ」


温度さにびっくりして風邪ひくわ。


「サイリの話を聞いて気になったのよ」


わたしは溜息をついてから、持論を喋った。


「別に一般論として快楽主義を否定する論は持ち合わせていないわよ。

 ただジュリエットが、わたし四季咲サイリの幸福の邪魔だったから消した。

 それで充分じゃない」


そういう意味ではわたしもジュリエットも行動原理は近いのかもしれない。

自分の幸福を追求するために他者を侵害する。

倫理観を無視すればそういう見方もできる。

自分勝手に聞こえるかもしれないけれど、そういう面があることは否定できない。


「ジュリエットは悪徳を極めることが幸福だと語っていたわね。

 サイリはどういうときに幸福を感じるの?」

「どういうときって言われても、いっぱいあるけど?」

「最近だと?」


「最近だと、そうね。エリスのご飯を食べたときに、美味しいねって言ってあげると、ありがとうございますって照れた顔をするのよ。素敵じゃない? それからコーデリアと一緒に散歩をしていると、言ってくれるの。生まれ変わってサイリに出会えて良かったって。良くない? それからコトの曲を聞かせてもらったときに、うまいねって言ってあげると、当然じゃって誇らしげに胸を張るのよ。めっちゃ可愛くない?」

「そっちの世界を満喫しているようで何よりだわ」


そう。

ジュリエットを倒しても、元の世界に帰れないわたしはゲームの中の世界で、美少女達との世界を堪能していた。


「まぁね。とっても幸せよ」


それなりに満足している。

それなりに。

カグヤも一緒にいれたら最高だった。

あぁ、カグヤに会いたい。


「その子達って、カグヤちゃんと違ってAIが作り出した人工的な人格なのに?」


触れたくないような嫌な点を突いてくる質問だ。


「これだけ一緒に生活していたら、天然の人間か人工の人間かなんて気にならないわよ」


そんなものである。

あの子達を人工的なAIだと意識する場面はない。

一緒にいて幸せな友達だ。


「それを聞けて嬉しいわ。

 わたしのAIが創り出した人格は、人間として不自然じゃないのね」

「そういえば、そういう実験だったわね。

 人として違和感ないわ」


忘れてはいたけれど、この世界はそういうAIの実験も兼ねていたんだった。

彼女達が現実の人間らしく振舞えているかどうか。

わたしから見て、彼女達は自分で考えて自分で動いて自分の感情を持っているように見える。

AIの出力精度は完璧と言って良いだろう。


「ねぇ、サイリ」

「何?」

「わたしがなんでこのAIを開発したか分かる?」

「ええ。分かるわよ」


わたしの記憶が戻ってジュリエットを消してから、結構な時間があったからね。

ずっと考えていた。

アイリがなんで物語から人格を創り出すAIを開発しているのか、気になって考えていた。

三日ほど考えて結論は出た。


「分かるのね。

 やっぱりわたしの妹は天才よ」

「あんたも充分天才なのよ。

 AIを使ってお母さんの生まれ変わりを作ろうとしているんだから」

「おぉ、正解よ」


アイリはわざとらしく、拍手をくれた。

嬉しくない。

アイリとわたしの母は亡くなっている。

わたし達が小さい頃に事故で死んでしまった。


「果たして、AIで創った人格で生まれ変わったって言えるのかしらね」


わたし達の母親は亡くなってもう十年以上経過している。

葬儀も無事終わっているから肉体は完全に消失している。

コールドスリープなんて味なことはしていない。

でも物語から人格を形成できるAIならば、可能性が生まれる。

わたし達が知っている知識を総動員して、母の人生で起きた出来事を物語にして書く。

それをAIに入力して出てきたものは、もしかしたら母の生まれ変わりと言えるのかもしれない。


「サイリは、エリスやコーデリアやコトと一緒にいて、生まれ変わりだってことを信じて疑わなかったでしょ? 

AIが創った人工人格だなんて思わなかったんでしょ?」

「まぁ、そうなんだけどさ」


エリスやコーデリアやコトとかなりの時間を一緒に過ごした。

その間、彼女たちが転生してきたという設定に何の疑問も持たなかった。

そもそも『舞姫』だって『リア王』だって『春琴抄』だって架空の話だ。

それなのに実際に彼女たちがいて、前世を必死に生き抜いて、生まれ変わってわたしと一緒にいることに何の疑いも無かった。


「それなら、生まれ変わりと言っても良いでしょ。

 スワンプマンみたいなものよ。

 周囲から差異が観測できないなら、本人と相違ないわ」


スワンプマン。

沼の男。

昨日の男と今日の男に連続性は無くても、周囲からは同じ男として認識される。


「そういうので、人工的な存在を創っても大丈夫なのかね?

 法律的にとか倫理的にとか、いろいろ問題がありそうだけど」


わたしはアイリに訊く。


「法律や倫理の問題は後で考えるわ。

 今わたしが関心があるのは技術的に可能かどうかよ」

「…………なるほどね」


わたしとしては、人工的な人格の存在は技術的に可能だと思う。

こちらの世界でエリスやコーデリアやコトと遊んでいる身としては、AIの精度に問題はない。

この人格の出力であるならば生まれ変わりとして不足ない。

でも、それで母の生まれ変わりを作っていいかどうかは難しい。

そんな生まれ変わりを作ってアイリやわたしは幸せになれるだろうか?

まぁ、そんな悩みはおいおい考えれば良いか。


「引き続き、実験に協力をお願いね」

「まずは、さっさと、わたしをそっちの世界に戻せ!!」

「は~い!」


アイリは気の抜ける声で返事をして、通信を切った。


「はぁっ!」


わたしはベッドにダイブしてため息をついた。

ここでみんなと過ごすのも悪くはないんだけど。

やっぱり元の世界に帰りたい。

一番はカグヤ会いたい。


わたしは部屋の窓を開ける。

日差しは気持ち良いが、やっぱり風はない。

アイリは風が嫌いだ。

以前言っていた。

「世界を設計できる神になって、世界から風を無くすわ」

そう宣言していた通り、アイリが作ったこの世界には風が吹いていない。


特に考え事もせず、外の景色を眺めているときだった。


「サイリさん、大変です!」


エリスがわたしの部屋にやってきた。

ひどく慌てた顔をしている。


「どうしたの、エリス?」


わたしが訊くと、エリスは自分のスマホをわたしに見せてきた。


「わたしのダンス動画が、再生数が百万再生を超えているんです!!」

「え!?」


わたしはエリスに見せられた画面をじっと睨む。

…………バズってる!!


こうして、わたしとエリスは大金を手に入れることになる。

この金を何に使ったかは、また別の話。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

四季咲サイリの本棚 司丸らぎ @Ragipoke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ