第7話 舞姫~エリス~

エリスの前世の話をしながら二人でわたしの家に向かった。

舗装された通路が途切れて森の中の土道にさしかかる。


「こっちよ」


わたしはエリスを手引きする。

昨日一回だけ通った道だったけど、きちんと覚えていた。

記憶喪失ではあるけれど、道順を覚えるといった短期記憶に問題はなさそうだ。


「こんなところに森があったんですね。

 初めてきました」


エリスはきょろきょろと景色を見比べる。

あとでこの町の地図でも見てみようか。

スマホがあるなら地図アプリもあるでしょう。

そう思ったときだった。

どこからともなく不快な音が聞こえてきた。

調子はずれのオーボエのような低いくぐもった音。


「何、この音?」


わたしは嫌な音に顔を歪めながらエリスに聞いた。

尋常じゃなく気味の悪い音だった。

どうやったらこんな音が出せるんだろう? 

聞こえてくる周波数以上の焦げ付きを含んだ音。


「怪物が来ましたね」

「これも昨日みたいな怪物の音?」

「そうです。

 鳴き声なのか身じろぎの音なのかよく分かりませんが、耳は塞いだ方が良いと思います」


エリスはそう告げるとその場でアラベスクのポーズをとっていた。

片足立ちの前掲姿勢で脚を大きく上げる。

バレエでよく見るポーズ。


「何をしているの?」


わたしは不安だったけど、エリスは自信満々だった。


「怪物を追い払います」


エリスはその場でステップを踏む。

手足を自在に伸縮させて舞う。

オーロラのような淡い光がエリスに合わせて揺れ動く。

音楽は流れていないが、エリスの動きをでリズムが脳に直接刻まれる。

優雅な舞だった。


美しい。

美しいよ、エリス。

わたしはエリスの舞から目を話すことが出来なかった。

ダンスの造詣には明るくないが、こんな素人目に見ても熟練した動きだと本能が教えてくれる。

これがヰクトリア座当時二位に実力か。

太田豊太郎はエリスのダンスを「恥ずかしき技」と形容したけれど、わたしからすればとんでもない。

どこに行っても立派に誇れる技だと思う。


そんなエリスに見惚れてどれだけの時間が経っただろう。

エリスは舞を止めて、わたしの前で一礼した。

スカートを持って、大きく身体を傾ける。

西洋式の大きな挨拶。

太陽の傾きは変わっていないようだったからそんなに時間は経っていないだろう。

それでもわたしは映画を一本見たような感動を味わった。

手が痛くなるのも厭わず、強い拍手をする。


「素晴らしい!」

「ありがとうございます。怪物もどこかへ行ってしまいましたね」

「あぁ、そういえば……」


エリスの舞に見入って忘れていたが、怪物の声が聞こえていたんだった。

しかしそれもいつの間にか消えていた。

今聞こえるのは、つんっつんっというヒバリの鳴き声だけだった。


「これは退魔の踊りというものです。

 このダンスには怪物を寄せ付けなくなる効果があるんです」

「昨日も見せてもらったやつね。

 すごいわ」

「この世界に来た人には、こういう何らかの魔法が与えられるんです」

「魔法?」


確かに踊っただけで怪物を追い払うのは魔法の所業だ。


「あたしは前世でダンスが得意だったから、魔法のダンスが使えるようになったんです」

「やっぱり、この世界ってそんなファンタジーよりだったのね……」


昨日からそんなことをちょっとずつ予感していた。

化物がいるからファンタジーといえばそう。

そうなるのか。

そして魔法が存在するなんて、さすが異世界転生。

なんでもありだ。


「わたしはダンスで怪物を追い払えるので、町を歩いても比較的安全なんです」

「へぇ、エリスって強いのね」

「はい。

 あたしが出会った怪物は全部追い払えました。

 でも、こういう魔法が使えない友達は、怪物に連れ去られてしまいました」

「……辛いわね」


そっか。

みんながみんなエリスみたいに強いわけではないのか。


「でも、サイリさんは安心してください。

 あたしが守りますから!」


エリスは自分の胸を拳で叩いた。

頼もしい。

こんな華奢な女の子なのに逞しく見える。

前世では悲劇に見舞われたひ弱な美少女だったのに。

生まれ変わって立派になったんだなぁ。


「サイリさん?

 なんで泣いているんですか?」

「うぅ……エリスが立派に育ってわたしは嬉しいよ……」

「お母さん目線です?」

「舞姫を読んだ人はだいたいエリスに同情するわよ」


物語を読むとはそういう感覚だ。

登場人物に肩入れして、彼女の幸せを願う。

報われるときもあれば報われないときもあるけれど。

推しの幸せを願うファンみたいなもの。

強くなってくれて、読者は嬉しい。


「それはともかく。

 サイリさんも魔法が使えると思いますよ」

「そうなの?」

「ええ。この世界だと、みんな何かしらの魔法が使えるようになるんです」

「おっ!」


それは楽しみだ。

どんな魔法が使えるんだろう?

わたしの前世に関係した魔法かな?


「あたしはダンスの魔法が使えるようになったのは前世の影響です。

 もしかしたらサイリさんも前世の影響で使える魔法が決まるのかもしれません」

「エリスの友達はどんな魔法を使えるの?」

「いろいろありますよ。

 前世でキャンプが好きだった人は、火を起こしたり料理が上手になったりする魔法とか」

「ほのぼのした魔法ね」

「前世でお医者さんをしていた人は、治癒の魔法を使っていました」

「職業関係になるんだね」

「前世で花屋さんをしていた人はいろんな花を咲かせる魔法を使っていました」

「可愛い魔法ね」

「そんな感じの魔法を使う人たちだったので、怪物が出てきたときに身を守る術がなかったのです」

「あぁ……」


魔法とは言っても戦闘用の魔法ではないのね。

生活のお役立ち魔法なんだ。


「あたしが退魔の踊りを使えたのは本当に幸運でした」

「エリスって前世で怪物と闘っていたの?」

「そういうわけではないのですが、そういう演目のダンスをしていたんですよ」

「ああ、なるほど」


ダンスの演目ならファンタジーっぽい題材もたくさんありそうだ。


「他にも色んなダンスの魔法がありますよ。怪物を追い払うだけじゃなくて、身体を軽くする魔法の踊りとか、いつもより強くなる踊りとか、癒しの踊りとか」

「良いわね」

「サイリさんも何かしら魔法が使えるはずです

 多分、スマホが教えてくれると思います」


こちらの世界に転生したとき、一人に一軒の家があたえられている。

その家に生活に必要な物は置いてある。

そしてスマホもあたえられる。

そのスマホにバーチャルアシスタント機能があるそうなのだ。

話しかけると教えてくれるやつ。

そのバーチャルアシスタントが、この世界のことをいろいろ教えてくれるということ。


「なるほど。

 やっぱりスマホを早急に入手しないといけないわね」

「そうですね

 サイリさんはどんな魔法が欲しいですか?」

「女の子を幸せにする魔法が良いわ」


わたしは自信満々に言い切った。

エリスはくすりっと笑った。


「サイリさんらしいですね」

「そうでしょ。

 女の子は幸せにならないとね」

「そっちじゃないです。

 自分を幸せにするための魔法じゃなくて、他人を幸せにするための魔法を思いつくところがサイリさんらしいんです」


おっと。

エリスがわたしのことをそんなふうにプロファイリングしていたとは意外だった。

昨日から数時間お喋りした仲ではあるけれど、そんな印象が付くほど分析されていたとは。


「エリスって人をよく見ているのね」

「なんとなくですよ。

 サイリさんはきっと前世でも素晴らしい人だったんだと思います」

「そうだと嬉しいわね」


一体、わたしの前世はどんなものだろうか。

今のところ不安より期待の方が勝っているけれど。

これで女の子を弄びまくった悪女だったら嫌だな。

そんなことを考えながら、わたしとエリスは家を目指した。

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