第18話 リア王~コーデリア~

わたしとエリスとコーデリアは三人で海までドライブすることにした。

自動車がするりと動く。

エンジン音は思っていたよりも小さい。

乗り心地は快適だ。

わたしが想定していた自動車の乗り心地と変わらない。


「ねえ、ギンノイト」


わたしはギンノイトに呼びかける。


「質問をどうぞ」

「この車の名前は?」

「ジョバンニ号です」


イタリアっぽい名前だな。


「どういう意味?」

「『銀河鉄道の夜』の主人公です」

「ああ、なるほど。

 あのジョバンニか。 

 コーデリアにぴったりね」

「え? 

 どういうこと?」


コーデリアは急に呼ばれておどおどしていた。


銀河鉄道の夜。

一九三四年に出版された宮沢賢治の代表的な童話。

ただ作者の死により草稿の段階で出版されている。

空想好きなジョバンニが、親友のカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗って旅をする話だ。


「『銀河鉄道の夜』はね、ほんとうのみんなのさいわいを探す物語なの」

主人公のジョバンニは孤独で空想好きな少年。

家は貧しく、母親が病気で寝込んでいるので、早朝には新聞配達、学校が終わってからは活版所でアルバイトをしている。

そんな少年がカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗り込む。

銀河鉄道は白鳥座やさそり座やケンタウルス座の星々を旅する。

ジェバンニはそこで様々な人と出会う。

幸せとは何か、生きる意味とは何かを考えさせてくれる話だ。

幸せを見失っているコーデリアに読んでもらいたい話だ。


「サイリは博識なのね」

「前世では読書が好きだったみたいよ」


前世の記憶はないけれど、本の内容は覚えている。

ぱっと思い出せるだけでも数百冊の本の内容を思い出せるのだから、前世のわたしは読書好きで間違いないだろう。


しかし、車の名前がジェバンニ号か。

銀河鉄道の主人公を名乗るにはスケールが小さすぎる気がするが。

いや、そんなことは気にする所じゃないか。


「二人とも、車に乗った感覚はどう?」


ジェバンニ号は時速六〇キロで走っている。

メーターにきちんと表示されている。

法定速度はどのくらいか分からないが、安全運転なのだろう。

完全自動運転だからヒューマンエラーによる交通事故は無さそうだ。


「すごいです。景色がこんなに速く動くなんて」


エリスは楽しそうだった。


「目、目が回りそう……」


コーデリアはあたふたしていた。

二人とも自動車に乗るのは初めてなのだけれど、こうも対称的なリアクションだと笑えてくる。


そんなことを話す楽しいドライブだった。

海に到着するまであと五分のところ。

車内にブザーが響いた。


「え? 何?」

「緊急事態です。前方に未確認物体を発見しました。走行を停止します」


ジェバンニ号のナビがそう告げた。

ジェバンニ号は急ブレーキをかけず、そろっと停車した。


「何かしら?」


わたしは車から飛ぶように降りた。道路の先には不思議な物体が蠢いていた。

車道を塞ぐほどの大きなゲル状の物体。


「な、なんですか、あれ?」

「……気持ち悪い」


エリスとコーデリアも車から降りてきた。

そして目の前のゲル状の山を目にする。

わたしもあれを見るのは初めてだ。

初めてだけれどあれが何物かは見当がつく。

この世のものとは思えない怪物。

あれに違いない。


「ねぇ、ギンノイト」


わたしはスマホを取り出した。


「何でしょうか?」


ギンノイトの合成音声が反応する。


「あれは何?」


スマホのカメラを謎の物体に向ける。

この世界で分からないことがあったらこの子に聞くのが一番だ。


「あれはショゴスです」


ギンノイトは淡々と答える。


「やっぱりそうか」


わたしの予想は合っていた。


「知っているんですか?」


エリスがわたしに訊く。


「ええ。

 本で読んだことがあるわ。

 クトゥルフの怪物よ」


ショゴスは、クトゥルフ神話作品に登場する架空の生物。

物語への初出は『狂気の山脈にて』だ。

太古の地球に飛来した宇宙生物達によって創造された生物。

漆黒の玉虫色に光る粘液状生物で表面に無数の目が浮いている。

ゲル状の不定形で決まった姿を持たず、非常に高い可塑性と延性を持ち、必要に応じて自在に形態を変化させ、さまざまな器官を生むことができる。

タールでできたアメーバのようだと表現される。

宇宙生物達に使役されるための生物だが、知性を持って反乱したこともある。


「どうします? 追い払いますか?」


エリスは踊って追い払おうとした。


「テケリーリ!! テケリーリ!!」


ショゴスが鳴いている。

身体の芯をひっかくような嫌な鳴き声だ。

わたしたちの存在には気付いているのかいないのか。

その場で蠢いているだけだ。


「ねぇ、ギンノイト。あいつはわたし達に危害を加えるかしら?」


見たところ、攻撃性はなさそうだけど。


「分かりません。

 ショゴスは奉仕種族なので、主人の命令に従って行動します。

 主人がどのような人物か、今の状況では判断出来ません」

「なるほど。襲われるかどうかは、こいつの主人次第ってことね」

「テケリーリ!! テケリーリ!!」


ショゴスが鳴いている。

悶え苦しんでいるようにも聞こえるし、主人の命令を待っているかのようにも聞こえる。

その実、何も考えていないのかもしれない。

ただ不快な声ではある。

ずっと聞いていたいものではない。


「まぁ、でも危なそうだし、追い払っておきましょうかね」


そう言って、わたしはバッグからピートガンを取り出そうとした。

しかし、わたしが構えるより速くコーデリアが剣を構えていた。


「でえゃりゃぁあ!!!!!!!!!!!!!!!」


およそコーデリアのものとは思えないほどの気迫のこもった声がした。

剣が振り下ろされる。

同時に衝撃波が放たれる。

白い衝撃波。

荒ぶる海の波のような衝撃波がショゴスに命中する。


ショゴスは塵になって消えた。

道路に黒い染みが残った。

え?

びっくりした。

もしかして、コーデリアって強いの?

突如剣振る姫様。ショゴスは悲惨な有様。華麗な姿をごちそうさま。

いや、脚韻を踏んで遊んでいる場合ではなくて。


「今のは、何?」


わたしはコーデリアに説明を求めた。

明らかに鉄の棒を振った以上の力が見えた。


「私がこの世界に転生したときに授かった剣よ。

 ストームステルという名前なの。水や風や雷を操れる剣だわ」


ストームステル。嵐はまだ続いている。


「てんこ盛りな剣ね」


剣というか魔法の杖だな。


「リア王の詩を象っているそうよ」

「リア王の詩って?」


わたしが訊くとコーデリアは歌い出した。


「風よ吹け その頬を割り 砕くまで

 雨嵐 その水が地に 満ちるまで

 屋根に染み 風見鶏すら 溺死しろ

 稲妻は 光の速さの 硫黄の火

 巨木すら やすやすと裂く 雷よ

 焦がすのだ 白髪頭も 黒々と

 潰すのだ 丸い世界を ぺしゃんこに

 生命の 全ての母胎を 根絶やしに

 愚かなる 人の連鎖を 終末に 」


コーデリアは朗々と歌っていた。

なかなかに過激な歌詞ではある。

これはあれだ。

リア王に登場する詩だ。

見たことがある。

リア王が娘に追放されて嵐の中、彷徨っているシーンだ。


「絶望したリア王が歌ったやつね」

「この剣には私の父、リア王の願いが魔法として込められているわ。

 これで倒せなかった怪物はいないのよ」


コーデリアは自信満々に言った。


「頼もしいわね」


もしかしてコーデリアと一緒に旅をすることになったのはわたし達にとっても僥倖なのかもしれない。

この先、やたら強いクトゥルフの怪物に出会っても、コーデリアがいればなんとかなるかも。

そんな期待が高まった。 


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